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このニュースは、私としては珍しく小躍りしたくなるような気持ちになりました。 皆さんもそうだったでしょう。 このトリノ五輪ほど、日本そして日本人を意識させたオリンピックはありませんでした。 毎日、新聞に掲載される国別メダル獲得数に日本の名前が見当たらなかったのが、やっと今朝の朝刊に載りました。(現在26ヶ国) 日本は、経済大国と言われ久しいです。 そして、日本の人口の多さは、世界では抜きん出たほどなのです。 政治的にも、発言力は増して来ています。 ところが、荒んで来ているように感ずる日本と日本人の心。 その悪い空気が、トリノにまでも及んでいるのかとさえ、思ったりしました。 どの国に勝ちたいとか、BEST10に入りたいとかいう願望からでは決してなく、ただ日本の名前を見出せない寂寞感の中にいました。 村主章枝選手は、メダルと同等の演技だ≪採点競技は合理的な基準を掲げても、微妙な違和感が残ることがある。ひいき目かもしれないが、四位の村主章枝さんの点数は、印象よりずいぶん低いように感じた…≫【日本経済新聞2月25日付朝刊「春秋」欄】安藤選手は、4回転ジャンプを果敢にチャレンジしました。この間、練習でもあまり成功しなく不調であったそうですね。 幾度も転倒しましたが、めげることなく、最後までよく頑張ったと思います。 私であれば、『日の丸』の重圧から、その場を逃げ出したい衝動に駆られていたことでしょう。 若い時は、『日の丸』が嫌いでした。 その後、数年を経て、人間は理屈だけではなく、人情の機微と心の奥底にあるものについて、拙い経験ではありますが、感じ取ったものです。 Jリーグが盛んになり始めた頃、若い人々が大きな日の丸を振りかざし応援する姿を見て、日本も変わったなと思ったものです。 日の丸の持つ意味やその想いなど、違ったものになって来たのだろうなと。 上の絵は、徳川家康が≪武田信玄に三方ケ原で敗れた、生涯唯一の敗戦を肝に銘ずるため、命からがら浜松城に逃げ帰った姿を描かせたと伝えられ≫ている、三方ヶ原戦役画像です。(桃山時代 16世紀) 家康は、後年天下人となり300年間の徳川時代を築き上げた人であることは、ご承知のところです。 安藤美姫選手も村主章枝選手もまだまだ若いです。 挫けることなく、次の晴れ舞台で、頑張ってもらいたいと思います。 ※画像 上:フィギュアスケートGPファイナル最終日(2005年12月17日、国立代々木競技場)での安藤美姫選手。【2005.12.18付サンスポ.COM】 下:【徳川美術館】 |
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2006年02月25日
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