仏教は、「欲」を否定していない先日、【人間の本質☆虐め・差別・偏見】を記事にしましたが、解りづらいところがあるように感じましたので、一部補足させて頂きます。▼人間は、「欲」と「忘れることのできる能力」というものを持っているから、生き続けることができると思います。 ▼人間の本質なのです。 ▼人間は、悟りの境地から遠くかけ離れた、存在です。そのことをまず、認識し自覚する必要があると思います。 ▼つまり、人間はこの本質がなければ、生きていけないということになります。 ▼「欲」と「忘れる能力」を持っていることは、生きる力であるとさえ言えます。と書きました。 「欲」から派生した、「よこしまな心」が煩悩しかし、仏教は「欲」を否定しているものではないのです。「欲」を実現するにあたって、「よこしまな心」となることを、戒めているのです。 この「よこしまな心」、それが煩悩です。 人間に「欲」を持つなと言うことは、生きることを否定することにもなります。 救済すべき衆生(しゅじょう:救済の対象となるすべての生き物)に対し、そのようなことをいうはずがありません。 ですから、人間にその「欲」があることを認めていることでもあり、自己実現や社会の発展に寄与するものでさえあります。 しかし、それが一歩誤ると、よこしまな心に変貌してしまいます。 これは、誤った見識に基づくものであり、誤った人生感であると言えます。 先日の記事の主旨が、「虐め・偏見・差別を考えるにあたって、まず人間の本質を自覚しなければならない」ことであったため、宗教と捉えられるのを避けたかった意味合いもあります。 しかし、宗教的側面からだけではなく、私自身は、そう思っております。 「欲」を良い方向に持って行く良い方向の「欲」を持つただ、一人を「助けて上げたい」と思う。大きなことでなくても良いと思います。 大きなことを言うより、実践です。結果でなく、その心、そして、過程でしょう。 たった一人も救えなくて…、でも、たった一人を救うことも難しいことです。 その人が、経済的に困難であり、経済的支援をしたいと思うなら、支援できるだけのお金を作りましょう。 会社で、同僚や後輩が、不遇(恵まれていない)を得ているならば、手を貸しましょう。それでも、駄目なら権限ある立場になりましょう。 人が、悩んでいるなら、話を聞いて上げましょう。 人が憤りを感じているなら、愚痴を聞いて上げましょう。 街頭カンパに耳を貸しましょう。 駅前で配られるビラに目を通しましょう。 選挙で一票を考えましょう。 「選挙なんかしても、政治が変わるものではない」と志を持って立候補される方もおられるでしょう。 良い日本を作りたいとする信念も「欲」でしょう。 「欲」は自分自身が成長するための自己実現、社会貢献、そして人類への貢献ともなります。 人類を愛する気持ちに、優劣はありません。 「欲」と「忘れることの出来る能力」を持つ人間、人を慈しむこと、は共存可能だと思っています。 しかし、よこしまな心を持つ私は、まだまだ日常の鍛錬が必要なようです。 |
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2006年04月17日
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