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思い出すのが一番いやな時代、終戦直前のあのやりきれない時代、
子供の顔から笑いが消えていたように思います。
畑の中にポツリと建ったその家は機銃掃射をしばしばうけました。
近くに陸軍の技術研究所があったせいでしょうか。
そんな時、私は子供たちを集め、家の一番中心と思われる所にフトンをかぶってじっとかたまって敵機の去るのを待つのでした。
屋根のほうで瓦がパチパチと音を立てたりするのを耳をすまして聞いているのでした。
本当にこわいと思うそんなときに私は
「支那の人たちもやっぱりこうして日本軍の飛行機にやられたのよ」
と云ったりしましたし、私はじっと目をつぶって
「少しはつみほろぼしになったかしら」と考えるのでした。
【樺美智子遺稿集『人しれず微笑まん』、樺美智子さんのお母さん、樺光子さんのまえがきより】
※支那…外国人の中国に対する古い呼び名
このような環境の中で、他へ思いを馳せることができることは、とても立派なことであると思います。
当時の庶民は食べるものさえほとんどない時代でした。
自分の子に食べさせるために、鬼ともなって、食料の確保をしたようです。
先般、テレビ放映もなされましたが、野坂昭如著『火垂るの墓』では、
最初はとてもやさしかった母親が、主人を戦争で失ってから豹変し、
それまで世話をしていた、両親を亡くした親戚の幼い兄妹への対応を冷たくして、結局、その兄妹はその家を出ることになります。
母親としては、日々配給が減っていき、このままでは三人の実の子すら食べさせることが困難になると危機感を覚え、鬼になって、人の数を減らしたのでしょう。
長女は、追い出したことになる母親を睨みつけ、「鬼…」と言い、「奇麗事を言っていては食べていけません」と母親に頬を打たれます。
結局、その幼い兄妹は餓死してしまうのです。
このように戦争は悲惨です。
樺家は、比較的裕福でそれほどの困窮はなかったと思われますが、誰しも自分のことしか考えられない時代の中で、他国の人民のことまで思いやれるということは真似の出来るものではありません。
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