※画像と記事は関係ありません。 [ 天邪鬼のひとり言 ] 嵐風人
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2008年11月13日
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大腸がんのお母さんを、 「トイレの始末などができず腹が立った。寝ているときに起こしてけった」と 肋骨3本を折った、息子である47歳のタクシー運転手が逮捕されました。 衰弱したお母さんは、暴力から逃れるために、庭で寝起きしていたそうです。 付近に住む50代の女性は 「『出ていけ』という怒鳴り声がよく聞こえた。雨が降っているのにビニールにくるまって中庭で寝ているのを見た」と話したそうです。 お母さん、 苦しかったですね。 悲しかったですね。 こんな息子にしたのは、 自分が悪い。 自分が悪いと、 ご自分を責められた 毎日ではなかったでしょうか。
※笑顔の人だけがいい、というものではありませんね。 逆に、信用出来ない人、ということもあるのです。 言葉でも、
なんでも、 意味するものは、 一つではありません。 また、 0か100か という二つだけでもありません。 人の心というものは、 指で数えることなど、 できはしないのですから… [ 天邪鬼のひとり言 ] 嵐風人
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◇【精神疾患と偏見☆精神科医はいらない?】は、連載です。少しずつでも、ご一読いただければ幸甚です。 ◇下記は、実際に入院された、ブログ【♪ 1%の奇跡〜今 おだやかに〜】のわこさんの記事です。一部割愛させて頂いておりますが、原文通りです。わこさん、ありがとうございました。 わこさんのブログをどうぞご訪問ください。嵐風人 治療のされない精神病院に入院した私精神病院と呼ばれる所に何故転院となったのかは、のちに知ったことだが、私が、窓の外を今にも落ちそうな体勢で、覗いていたので落ちたら・・つまり自殺してしまうのでは、と思われたらしい。が、私の頭の中は何にもなかった。自分が、生きていることもわかってはいないし,考えすらなかった。 6階の重症患者の部屋に案内した看護婦が、ジャラジャラといっぱいある鍵の一本で、そのドアを開けようとしたが、何故か、その上のインターホンで中の看護婦を呼び、「ちょっと、どけて!」といった。ガラスごしに看護婦が、ドアの目の前の患者をどけて、私を招きいれた。そして、鍵をかけた。 病室は、20人位が一緒で、カーテンなどという仕切りはなく、プライバシーはいっさいない。廊下との間にある引戸も開け放たれていた。何人もの患者が、話しかけてきた。「どしたの?」「これあげる。」「入院何回目?」などと質問攻めだったが、みな、どこが、どう悪くて、ここにいるのか、まったくわからない人ばかりであった。その日の夕食は、長いテーブルで、みんなで食べた。夕食は、窓まで取りに行く。少しカラダの不自由な私をかばい、「とってきてあげるよ。」「ここすわりなよ。」と、みんなやさしかった。しかし、少しづつ私は刑務所のようなその病院をみて、疑問を感じるようになる。 夕飯が終わると、「水をくんでならんで」と声がかかる。といっせいにコップだけを持った列ができた。なんだろう?と思っていると、看護婦の前で一人一人が、口をあける。その中に薬をほおりこむと、持っている水で、自分が流し込むというわけだ。それが、終わるとそれぞれが、好きなことをしている。 床に寝転がり、いつも煙草を吸っている女が、「ねえ、なんできたの?私はね〜精神分裂病で、22年入院してるの〜」といった。 「じゃあ、もう治ってるんじゃないんですか?」というと、「いまさら、働けないでしょう?生活保護もらってるし、おこづかいは、ここだいたい1万位しかくれないけどさ。煙草買うだけ」といった。驚きだった。ここの病院は、治療は投げ出しているのか?と・・・ その日、消灯前の薬があった。また、列でならび薬をほおリこまれた。しかし、入院初日、私は思いもよらない経験をした。夜中トイレに行きたくなったのだと思う。立ち上がろうとすると、転び這いつくばっても中々前に進めない。やっとの思いで、廊下に出た、しかし記憶は途切れ途切れ何度も転び這っては、やっとの思いで、トイレについた。そこまで、どれくらいかかっただろうか、トイレに入ってからも、トイレで転び、また、這いつくばって、部屋にかえった・・と思うが憶えてはいない。しかし、目覚めたのはベッドの上。私は、何を飲まされたのだろう? 午後、院長が現れた。そこでは、診察というものはほとんどおこなわない。だが、ナースステーションにききにいった。「昨日飲んだ、私の薬はなんですか?」と院長は「あ、軽い睡眠薬ね。」「何錠ですか?」「えっと、5錠だよ。でもね、軽いから大丈夫。」「私、昨日トイレにもまともにいけない位、フラフラでした。かるくても、5錠は多くないですか?」というと、「じゃあ、今日から、少し減らそうね」といった。 私は、いま思えば、そこでは特におかしかった。煙草を吸うようになっていた。もちろん、私の脳血管障害からして、煙草は絶対にいけないものなのだが、そこではそうせずにはいられなかった。 「ね〜1本頂戴よ〜」と最初の女が、あちら、こちらから煙草をねだる。ものすごく太っていて、めがねをかけて、汚い床に寝転がっていると、とても醜いものに見えた。 他にも、なぜか、長ぐつを履いて、両手に紙袋をさげて、2時間以上もじっと、入り口の前で、たっているものもいれば、1時間以上、ハンカチを洗い続けてるもの、お化粧をして綺麗な細身の女性が、急に走りだして、看護婦3人に押さえられ、薬を口に無理やり入れられていたが、それをバーっと、吐き出す光景も見た。 そのうちの落ち着いた感じの、女性が、話しかけてきた。「もう、まともな人もいるのよ。私も、おかしくないけど、精神病院ってことで、身内すら、もうこない。引き取り手がないと退院できないのよ。弟が、たまに来て、差し入れしてくれるけど、入ってくる生活保護は、この病院が受け取り、薬も飲んでいないけど、ここにいる。もう、23年よ。あなたも早く引き取り手がいるうち出ないと大変なことになるわよ。」といった。 「あの押さえられた女性ね・・中学校の先生だったの。綺麗な人でしょ?入院当初は、あんなんでなかったのに・・どうしてかしらね。」といった。窓は、ほとんど開かない、太い鉄格子が、張り巡らされ、個室が、二つあった。暴れたり抵抗するものをいれるらしい。個室は、刑務所と同じで、トイレの便器の隣に、ベッドが、あり、向こう側に、鉄格子その下から、看護婦が、食事を入れる窓があった。 ここで、違う自分が、目覚めたのを感じた。 入浴の日が、週に3回あった。看護婦が、「もう、あの人1ヶ月入ってないから、いれなきゃ。」といって着替えをいやがるものもいれば、歯を磨かないものなどは、何人もいた。 「あいたら、どんどん入って!」と言うので、私も服を脱いだ。浴室は、10畳位の広さだったが「みんな、はやくはいってよ。」という怒鳴り声で、湯船につかると、そのお湯の汚さは、垢がいっぱいで、入ったら余計きたなくなるんじゃないかと思うくらいだった。 風呂から、でると、素っ裸で走っているものもいれば、シャンプーしながら、廊下にいるものなど、風呂の日は、すさまじかった。 私の面会に、幼馴染がきた。彼はアメリカに住み精神科医をやっている。何故か子供の頃から、1番仲の良い友達で、医師ということもあり、私の病には理解があった。 「ここは、なんで、鍵かかるんだろうね、日本はおかしいね。」といった。私は、何故この病院に来たかが、やっとわかった。前の病院では、鍵がかからない・・つまり自殺しそうなものは、面倒が、みれない。ここで、自分が生きていることに気がついた。「帰るよ。」と私は、彼に言った。彼は「お母さんと迎えにくるよ」といってくれた。 次の日、院長がきたので、お話しがあります。といい、ナースステーションで「ありがとうございました。退院します。」というと、院長は一瞬驚いた顔をしたが、「誰かくるの?お母さんか・まぁ、君の場合は来てくれる人が、いるから・・退院していいですよ。」といった。 そして、その日のうちに退院したのである。私は、この精神病院の出来事を聞いて欲しかった。ほとんど診察せず、なんの薬を、みんな飲まされているのかわかっていない。汚い風呂、トイレまったく、プライバシーのない部屋。院長の傲慢さ。大理石の玄関・・・これが何をものがたっているのか・・・20年以上も入院している患者が、話した言葉も・・ 私はここにいた、29日間を忘れない。 ※精神疾患と偏見と☆精神科医はいらない?
鬱病☆特殊な病気ではない☆【精神疾患と偏見☆精神科医はいらない?】《その2》 鬱病☆神経症状のあることは、健常者のあかし☆【精神疾患と偏見☆精神科医はいらない?】《その3》 鬱病☆医師の水準とひきこもり☆【精神疾患と偏見☆精神科医はいらない?】《その4》
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