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「存在が目障りだ」
「お願いだから消えてくれ」
「おまえは対人恐怖症やろ」
「お前は会社を食いものにしている、給料泥棒」
「背中一面にフケがベターっと付いてる。病気と違うか」
「どこへ飛ばされようと、おれはお前が仕事をしないやつだと言いふらしたる」

男性営業マン(当時35)が自殺したのは上司の暴言などパワーハラスメントによるうつ病が原因だとして、労災認定するよう求めた訴訟の判決で、パワーハラスメントによる自殺に労災を認めた判決は初めてだそうです。

しかし、労災認定だけではなく、ここまで追い込んだ、この係長だという上司は犯罪者ではないのですか。

このような人格を否定する言動を繰り返すとは、とても尋常ではありません。
この言葉、毎日毎日聞かされると、身体に変調を起こすのは当然です。
管理職などは、ビジネス上においての管理だけでなく、社員の心と身体の気遣いも必要なことです。


一方、この現状を知っていた社員もいたことでしょう。
その方々を批判することは、たやすいです。

生きるために
自分を守るために
ということもあったことでしょう。
悲しくつらい思いを引きづっておられる方もいらっしゃるでしょう。

あなたもつらかったことでしょう。
よろしいのですよ。
あなたが悪いのではありません。
(異なる事例で)
私は、職を賭して闘ったことがありますが、
耳を塞ぎ、目を瞑ったこともあります。



さて、そのことの認識をしていた幹部社員はどうなったでしょうか。
権限のある社員のことです。
権限があるので、なんとか出来たのではないですか。
会社として、何らかの処分をしたのでしょうか。
権限あるのであすから、大いに責任があると思います。


残念なことですが、このような事例は世の中にいくらでも存在しています。


長時間労働者半減など目標―政府部会、年内に行動指針
という新聞記事が一昨日載ってました。

長時間労働に苦しみ、過労死される方もたくさんおられます。

何か遠いところのような感じがしました。



[ 天邪鬼のひとり言 ] 嵐風人
「日の丸」「君が代」と
『思想・良心の自由』


◆先月末、'''公立小学校の女性音楽教諭が、
入学式に「君が代」のピアノ伴奏を拒否して懲戒処分'''を受けたことに対し、
処分取り消しを求めた裁判で、
この教諭の敗訴が確定しました。


◆国旗・国歌の「強制」に対し、この教諭は
「憲法が保障する思想・良心の自由を侵害する」として訴えていたものです。

判決は、
・「職務命令が直ちに教諭の歴史観や世界観それ自体を否定するものと認めることはできない
・「(ピアノ伴奏は)音楽専科の教諭にとって通常期待されるもの」
・「命令は特定の思想を持つことを強制したり禁止するものではなく、児童に一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものでもない」としました。



◆【日本経済新聞社説(2月28日付)】には、こうありました。

なるほど一般国民の日常生活の中では、こうした解釈が成り立つだろうが、
争われているのは公務員の職務としての行為だ。

判決の補足意見が常識にかなうのではないか。

「(国家伴奏などの行為が)『思想・良心の自由』を理由にして、各教師の個人的裁量に委ねられたのでは、学校教育の均等性や組織としての学校の秩序を維持する上で深刻な問題を引き起こしかねない」




「日の丸」「君が代」を認めない政権が誕生した場合

「日の丸」「君が代」を深く愛する人に、
新たな国歌を伴奏するように職務命令があったなら、どうでしょうか。
(「君が代」でなければ良い)という前提ではなく、入学式・卒業式に、他の曲を伴奏することが極めて苦痛であったとします)



「日の丸」「君が代」だけに限らないところにおいて、
この〔思想及び良心の自由〕を深く考えておくことは大切なことだと思います。




※ご参考
日本国憲法
〔思想及び良心の自由〕
第19条思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。





※私の記事は、私個人の主張を入れずに、問題提起とさせて頂いているものが多くあります。
蛇足ですが、付け加えさせて頂きます。

体罰にあたらない事例

〈1〉放課後も教室に残して指導する
〈2〉授業中、教室に起立させる
〈3〉学習課題や掃除当番をほかの子供より多く課す
〈4〉授業中に立ち歩く子供をしかって席につかせる
〈5〉騒いでほかの子供の邪魔をした場合などに、別室で指導するなどの措置をとった上で教室の外に出す
〈6〉授業中にメールを打つなど学習に支障を与える場合、子供から携帯電話を一時的に預かる
〈7〉暴力を振るう子供から教師が身を守るためなどやむを得ない場合、力を行使して子供を制止する
(2007年2月3日 読売新聞)



文部科学省は、いじめや校内暴力などの問題に対応するため、教師の体罰に関する基準を全面的に見直したことが、この月初に公表しましたが、以前はこれらが、体罰であったという事実に愕然としました。

未成熟な子供を指導するのが、教育で、その過程において、子供を叱ることだって、教育ですし、躾であることは自明の理です。

こんな当たり前のことがどうして、規制されていたのでしょう。


授業中に席を立つ子供を注意出来ない学校というのは、一部聞いたことがあります。

しかし、規制までなされているとは…。


子供の躾において、虐待にまで発展し、悲惨な結果となった事件が多発していることも事実です。

しかし、叱るということは、一般常識を考えれば、限度はおのずとわかるものではないですか。

先生方を信頼していないのでしょうか。

先生方を、教育する機械にしようとしているのでしょうか。

機械には、『心』がありません。
『心』がなくて、どうして、教育や躾が出来るのでしょうか。

多少、文部科学省を援護するならば、各種関係団体からの圧力やその社会という存在があったことも否定出来ない事実でしょう。


しかし、教育の元締めであるはずの文部科学省が、実際に子供たちと向き合う先生方を信用しないで、真に心の通った教育が出来ると考えているのでしょうか。

見直しという問題ではないと思います。

誰にでもわかるようなことですから、その真意を聞いてみたいものです。

このままでは、心を感じない子供たちが増えていくのではないでしょうか。


そのような環境下で、
真に子供たちに
向き合っておられる先生方、
本当にお疲れさまです。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
◆転載の際は、【こちら】 から、お願いします。
私の記事は、著作権などがあるようなものではありません。
自由にして頂いて結構ですが、転載の転載は、とても重くなるのです。
ご理解下さい。
[ 天邪鬼のひとり言 ] 嵐風人

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危険な通学路(何事も異なる目線で)

私事で恐縮ですが、以前在籍しておりました会社は、交通機関のアクセスが悪く、通勤はマイカーでした。
運転手さんがおられたので、どこに訪問するのも、出張するにあたって空港や駅に行くのも送迎して頂いていましたから、まさにドアツウドアでした。

歩くのは、社内だけという有り様で、運動不足は痛感していました。
しかし、時間的制約と心の余裕もなかったものですから、スポーツクラブや散歩などは思い浮かべるだけでした。
それでも、意識はしておりますから社内で万歩計を付けていて、笑われたこともあります。

昨今は、時間的余裕が出来たこともあって、午前中に郵便局に行くのに、散歩がてら歩いてきました。
画像は自宅近くの風景ですが、そこから車の往来に出ましたら、当然のこと風景は一変しますが、歩道が無いために、自動車の危ないこと。身体すれすれを走っていきます。

よく歩行者がいるのに、この狭い道を自動車で通行していたものだと思いました。
比較的「安全運転」するほうだと言われていた私ですが、それでも運転していて、ひやっとした瞬間は一度や二度ではありません
そんなことを考えながら、立場をかえて歩行者となって見ると、怖くて仕方がありません。後ろからの車が気になり、全神経は耳に、そして時に、振り返りながら進んでいる私がいました。

その道路沿いにある小学校に来ますと、立派な歩道があります。でも、学校の敷地廻りだけです。「学校付近での交通事故だけは避けたいという思わくなのか」と天邪鬼の私は思ってしまいます。
でもまぁ、学校近くに来ると子ども達がたくさん集まり、列を作って歩くためにとても危険ですから、少ない予算をその廻りだけに振り向けているのもわからないでもありません。

立場を変えて考える

これは当時、部下にいつも話していたものです。
会社取引先との折衝でも、厳しいことを言われる方こそ案外、親身になってくれていることもあるのです。
その時だけの言動で一喜一憂することなく、冷静になって考えるとよくわかるものです。

しかし、このブログにおいて、私の独り善がりの記事に対し、今日まで様々なご批判やご意見を頂き、まだまだ、その域に達していないと痛感したものです。

日本中どこにでもある、この危険な道路を歩いてみて、ドライバーの目線でしかなかったことを認識させられました。

『公の利益のために』だけでもないこと

生活道路と言われるものは、古くからある街道を舗装して今日も使用しているものです。自動車というものが通るなどとは、夢想だにしなかったのは当然で、歩くための道であったはずです。

その道を取り囲むように民家が立ち並び、狭いままの道路の主役は自動車になってしまったのです。
それでは、その民家の方々にご協力頂いて、立ち退いて頂きましょう。土地を少し提供して頂きましょう
小学生を危険から守るために。
『公の利益のために個人の利益を犠牲に』しなければならないことも、言われます。

私は、いくつかの反対闘争を経験した人間ですが、ある程度これは止むを得ないのではないかと、今は思うようになりました。

しかし、その土地に思い入れの強い方もいらっしゃいます。そんな折、なんとか、話し合いで和解できないかと思いますが、お金の問題ではありません。とても難しいことです。ある程度のご辛抱は願いたいですが、強制執行はどうかと思います

予算と行政

昨今、行政の不正や不祥事が相次いでおりますが、それらがなかったと仮定しても、財布の中身は限られたものです。

道路整備の問題もそうですが、地方医療の問題少子高齢化対策としての、第二子以降への補助金、特に働くお母さんがお子さんを預けるのに、1時間2,000円と今朝のテレビで報道していました。わずかでも家計の足しにと仕事に出掛けるお母さんが、「一日1万円も支払っていたら何のために仕事をしているのかわからない」とおっしゃっていました。まだまだ、そちらへの対策・整備も怠っているようです。

加えて、発展途上国への金融支援。国内外の災害補助金
お金は、いくらあっても足りません。優先順位を付けねばならないところは悲しい現実です。
せめて、その配分がどの地域であっても国民一人一人にとって、平等であれば納得は出来ないですが、理解は出来るのかも知れません

子ども達の通学路を散歩みちに

前述した様々な事柄を考えますと、何事も今すぐの解決は困難かも知れません
しかし、少し目線を変え少しの配慮で、子ども達への危険は薄まるかも知れません。

私は、風光明媚とまでは行きませんが、やはり自然の溢れるところに望んで散歩します。でも、そこまで自動車を運転して出掛けています。

今回、初めてと言っていいぐらい、子ども達が毎日通っている道を歩いたわけです。

この自動車社会ですから、よくわかります。散歩するのも自然に触れる場所を望まれることもよくわかります。

でも、お時間があれば、子ども達の通学路を散歩みちとすることも、たまにはよろしいかと思います。

技術の明と暗

<総合研究大学院大学教授 長谷川眞理子>
▼水俣病の認定から50年。チェルノブイリの事故から20年。経済発展と技術革新で突き進んできた20世紀後半の負の遺産に、科学者として改めて思いをめぐらせるこの頃である。
▼啓蒙思想の発展は、無条件に人間にとってプラスの成果をもたらすと信じられてきた。科学と技術は人間の欲望をかなえ、暮らしを楽にし、新たな産業と雇用を生み出し、かつての不可能を可能に変えてきた。
▼しかし、そこには、ときには目に見えない、負の側面もあることがあきらかになった。原爆開発の1940年代から、公害、環境問題を経ての現在まで、私たちには、そのことを学ぶ機会が十分にあった。
▼それでも、日本は、まだまだ技術が存在的に抱えているかもしれない危険性についての配慮にたいへん甘いと私は感じる。
▼自動車のシートベルト着用やチャイルドシートの導入も、欧米に比べて大幅に遅かった。自転車のヘルメット着用に至っては、今でもたまにしか話題にならない。が、自転車先進国のヨーロッパでは常識である。
▼今、私が危惧しているのは、携帯電話の負の可能性である。携帯電話を耳元に押し付けて長時間話していると、かなりの電磁波を直接の脳に浴びることになる。それが長期的にみて有害な効果をもたらすのかどうか、少なくともイギリスでは、つねに真剣に論じられている。まだよくわからないのだから、10歳以下の子どもには使わせないように、という政府の指針もある。
▼我が国では、子どもの誘拐対策などで、携帯を持たせることが当然のようになってきているが、これでいいのか。
【日本経済新聞5月8日付夕刊『あすへの話題』より全文掲載】
確かに日本政府は、負の側面への対応が遅いと感じます。
日本政府というより、官僚かも知れません。
ハンセン病しかり、HIV(エイズ)もしかり。
アスベスト(石綿)問題では、欧米では1980年代に生産中止の法律が作られていたことを考えると、20年遅れの対応です。

日本が遅れているとは言い切れない
ただ、これを持って日本が他国よりすべて遅れていると見るには早計でしょう。
農耕民族である日本には、あちらこちらでため池などがありますが、いたるところに、金網が張り出され「入ってはいけません」と危険防止の表示をよく見かけます。

アメリカでは、こういう危険防止のためのものはほとんどありません。あくまで、自己責任なのでしょう。確かに、国土は広くそういう対策を施すのに限界もあるのでしょうけれども。

また、アメリカは地球温暖化防止会議の京都議定書から脱退もしています。

牛海綿状脳症(BSE)の危険性を「車でスーパーに買い物に行って事故に遭う確率の方がよほど高い。その事実を日本の消費者に伝えたい」(ペン農務次官)と指摘している国です。

自己責任とマナー
自動車や自転車のシートベルトやチャイルドシートなども本来、自己責任の範疇です。
飲酒運転による事故が増加したことによって、罰則が強化されたことにより、交通機関のアクセスが悪い地方では、冠婚葬祭などに出掛ける年配の方々は大変お困りのことかと思います。
罰則強化によって、善意の第三者の交通事故死が減少したことは、喜ばしいことではありますが。
これらは、人間が調子に乗って、程度を忘れたことが大きな原因でもあります。

ここにも義務(マナー)を忘れ権利だけを主張するところが垣間見られるように思います。
公害・環境問題とこの自己責任部分については、分けて考えてもらいたいと思います。

携帯電話電磁波の脳への悪影響
▼イギリス政府は携帯電話の電波が、明らかに脳腫瘍などの原因になることから、15歳以下の携帯電話の使用禁止を推奨しています。
▼また、オーストラリアでは電波安全基準を0.1μ W/cm以下としています。
▼ちなみに、我が国日本では600μ W/cm(99/10制定)、驚くことにその安全基準は6000倍も緩くなっています。
▼国民を大切にする国としない国、悲しくなってしまいます。
【『”笑って楽しめる”健康通販サイト』健康でいこう!】より。

今のところはっきりと科学的には証明されていないとのことですが、
携帯電話を手放せない子どもたちの、10年後20年後を考えると、恐ろしく感じます
携帯電話の使用にしても、程度を考えておく必要があるでしょう。

また、『国民を大切にする国としない国』と言い切ることにも疑問を感じます。
しかし、どこの国がどうだと言う比較の問題ではなく、負の遺産を残さない対策先進国となってもらいたいと思うものです。

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