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このエッセイは、音声読み上げソフトの音声でお聴き頂く事が出来ます。
MP3音源 (約12分)
http://www.geocities.jp/arata_tokyo_jp2004/essay-121.mp3


「機能美の話」 トイレの水が流せないよーの巻


きょうは、機能的な美しさや実用的な美しさのデザインについてのお話しをしたいと思います。
たまに外出をしたり町中を歩いている時に感じる事ですが、建築デザインや工業デザインなどを制作している人たちというのは、機能性や実用性のある美しさを考えてくれているのだろうかと、疑問を感じる事が時々あります。

例えば必要性のない駅前の大きなモニュメントや、バス停のベンチや地下鉄のホームのベンチなどのデザインです。
昔は、ベンチといえば木製でしたが、それが雨に濡れても腐らない強化プラスチックのような物になり、今ではアルミのような金属になって一見進歩しているかのようにみえます。

ところが、デザインは確かに格好は良いのですが、お尻はヒンヤリと冷たいし、何故か非常に座り心地が悪いのです。
金属ですから、ほどよい弾力もありません。
それに背もたれの部分は、背骨にゴツゴツと当たって痛いのです。
全く「人間工学」というものを無視してデザインをしているかのような作りなのです。
建築デザインや工業デザインというのは個性美を尊重する芸術ではないのですから、「ただ見た目がよい」というだけでなく、使い易さと美しさの両方を兼ね備えたものを作って頂きたいものだと思います。



以前こんな事がありました。
病院のトイレの鏡の前でお爺さんが困った様子をしていましたので、近づいてみますと、
「この水道はどうやったら水が出るのですか?」と聞かれたのです。
これはセンサーの働きで手を差し出せば自動的に水が出て、手を引っ込めれば水が止まるというものでしたから、そう説明しました。

このトイレの水道はセンサーのガラスの部分に水滴が当たり、それが乾いてよごれとなってセンサーが働かず水が出ない事が度々ありましたし、このお爺さんは少し視力も弱っているかたでしたから、全く分らなかったわけです。
それでこの汚れたセンサーの部分を洗ってみますと、すぐに直りましたから、これはセンサーの取り付け位置が悪いデザインなのだと思いました。



まだこの程度の話なら我慢も出来るのですが、本当に困ってしまう事があるのです。
以前家族で横浜まで遊びに行った時の事です。
その日は石川町駅から元町商店街、港の見える丘公園、山下公園、中華街などの「お決まりのコース」を見て歩きましたが、
私は何故か遊覧船や水上ボートなどに乗る事が好きですので、この時の一つの目的は、港内を2時間くらいで一周する遊覧船に乗る事でした。
以前は「赤いくつ号」という可愛い赤い色の遊覧船が周航していたのですが、それが新品の豪華な水上ボートに変わった事を知りましたので、是非これに家族と一緒に乗りたいと計画したわけです。

その船内に入りますと、思っていた以上に綺麗で、近代的なデザインを感じて楽しんでいたのですが、その内に母親が「トイレに行きたい」と言い出してその場を立ちました。
ところが、母親がトイレに入ってからしばらく経ってもなかなか出て来ません。
「どうしたのかな」と思っていましたが、その内になにか不審げな顔をしながら母親が戻って来たのです。
そして、「用を足したあとのトイレの水が流せない」と言うのです。

私は「まさかー」と言って笑いましたが、母親が真剣な顔をしているので、
「水を流すレバーかボタンが必ずある筈だから、もう一度戻ってよく探して見て」と言っておきました。
ところがしばらくすると、また不審そうな顔をして母親が出てくるのです。
「レバーもボタンも何処にも無い」と言うのです。
こんな事を何回か繰り返していましたが、結局この時は諦めて、水を流さずにそのままにしてしまいました。

この時は、母親の心境としては非常に困っていたと思うのですが、私にはそれが分からず、「母親も歳を取ったものだなあ」と内心笑っていたのです。



それからしばらく経った時の事です。
私の音楽の仲間から連絡があって、「ライブをやるから、暇だったらこないか?」と誘いを受けたのです。
私はそういう時には喜んでいくたちですので、この時もいってみたのですが、
いってみますと、そのお店というのは、ライブハウスというよりも「開店したばかりのレストラン」というような雰囲気の綺麗な内装のお店でした。

お店の雰囲気も良いし、音楽も良いしと楽しんでいましたが、その内にトイレに行きたくなって席を立ちました。
そして用を足して、水を流そうと思った時です。
おやっ?
水を流すレバーが無い!
この時、脳裏をよぎったのは、あの水上ボートのトイレの母親の表情です。

まさか、この私がトイレの水を流すレバーやボタンを見つけ出せない筈はありません。
私はまだ若い!
そう思って必死になって探しました。
しかし、その小さな個室の中を、前後左右、上下360度全てを見回してみましたが、いくら探しても見付からないのです。
センサーらしき物もありません。
若い人たちでしたら、新しい物に対して順応性がありますから、直ぐに見つける事が出来るデザインになっていると思うのですが。

「これでは母親を笑う事が出来なくなってしまうぞ」と思いながら何度も探してみましたけれども、結局諦めてしまいました。
そしてこのトイレは、センサーの働きで人が用を足したあと、「ドアから出ていくと自動的に水が流れる仕組みになっているのだ」と無理やり自分に言い聞かせて、トイレから出て自分の席に戻ってしまいました。

それから演奏が休憩時間になって、バンドのメンバーたちが私のいるテーブルに集まって来ましたので、早速そのトイレの話をしてみました。
友人の話では、やはり私と同じように、トイレで水を流さない人たちがいるという事でした。

今から考えますと、トイレの中にはレバーやボタンなどの出っ張りが全く無く、平面的でしたから、多分センサーの黒いガラス状の物が何処かにあって、それに手を近づけると水が流れる仕組みになっていたのではないかと思いますが、暗い個室の中では見付ける事が出来なかったのではないかと思います。

このように目の見える一般人でさえ困ってしまうような建築デザインというのは、いかがなものでしょうか。
もし、ご老人や視覚障害者のかたたちだったら、全く使用出来ない物もあるのではないかと察せられます。



私はバリアフリーという考え方が好きです。
世の中には、ごく一部の障害者だけにしか使用出来ないようなデザインの建造物も見受けられますが、こういう物は企業などが景気の良い時には余裕があって造ってしまっても、不景気になれば利用頻度の少ない物は取り壊したり、無くしてしまおうとします。
あるホテルでそんな問題が起きて、ニュースになった事もありましたが、元々無理があるような気が致します。

バリアフリーという考え方は最近の考え方ではなく、もう数十年も前からある考え方だと思います。
私が30年以上も前に使っていたラジカセなどは、テープの再生、停止、巻き戻しなどの押しボタンの上部に小さな溝か出っ張りがあって、指の感触でもそれが分かるようになっていましたから、視覚障害者のかたでも点字のような感覚で、使用出来るようなデザインにしたのではないでしょうか。
こういう発想の製品ですと、障害者のかたたちだけでなく、一般の人にとってもより使い易いデザインになっているわけです。

また最近では、駅の構内案内の表示も日本語と英語だけでなく、中国語や韓国語の表示も増えてきました。
オリンピックや万博などのように世界中の沢山の国の人たちが集まるような場所では、文字に頼らず誰でもが理解出来るようなデザインが当然必要ですが、
日本も外国の人たちが沢山来るようになってきている現在では、駅の表示などの公共のデザインも、考え直す時期がきているのではないかと思います。
子供やご老人にも分かるような表示であれば、多分ある程度は外国の人たちにも伝わるのではないかと思うのですが。



話は変わりますが、茶道の方で有名な「織部の茶碗」というのがあります。
織部という人の美意識で作られた、非常に珍しい形の茶碗の事です。
これは普通の湯飲み茶碗のようにスッキリした形ではなくて、極端にデコボコがあってひん曲がっているのです。
昔の書院風の茶道ではなくて、わび茶の世界です。
私の想像ではありますが、これは多分、ごく少数の人にしか分からない美意識を鑑賞して楽しんでいたのではないでしょうか。

詳しい事は分かりませんが、茶道は「五感を楽しむ総合芸術」であったと思います。
味覚、聴覚、視覚、臭覚、触覚の全てを楽しむ芸術だと、人から聞いた事があります。
つまり、お茶の味や香りを楽しむだけでなく、お湯の沸く茶釜の音や庭の獅子脅しの音を楽しんだり、美しい花や花瓶を見たり、茶碗に触れて手の感触を楽しんだりするという事です。
(余談になりますが、世の中には視覚や聴覚を楽しませる芸術は沢山あるのですが、未だに手や皮膚の感触を楽しむ「触角芸術」というのが一般化されていないのは不思議な事です)

ですから、そういう限られた場所では、極端にひん曲がった茶碗を楽しむ事もよいのですが、日常的に使う物や公共のデザインなどは、個人的な美を尊重する芸術ではないのですから、機能的で実用的で、人間工学を考えたデザインをもっと発展させて欲しいものだと思います。
使い易さと美しさの両方を兼ね備えた、近代的なデザインという事です。

しかし、誰もが使いやすく、誰もが美しく感じるデザインというのは、想像以上に難しい事なのでしょうか。
とりあえず、最先端のトイレにはお気をつけ下さい。
先ずセンサーの位置を確かめて、水が出る事を確認してから、用を足されるとよろしいかと思います。
今日はこんなお話になってしまいました。
お退屈さま。


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