エッセイ集

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 私がインターネットを始めてから、もう10年以上になります。
 音楽カテゴリのサイトでは HP・ブログ・You Tube・Facebook をやっていますが、それ以外にも他のカテゴリで HP・ブログ・You Tube・Twitter をやっていました。

 他のカテゴリというのは、私が子供の頃から一番苦手で嫌いな分野だった「政治カテゴリ」です。

 今でも政治や経済は苦手な分野ですが、このサイトは初めから政治サイトを作成しようと考えたのではなく、「嘘が大嫌い!」と言うか「騙されるのは嫌だ!」という強い気持ちで「真実追求」をやっている内に、結果的に政治カテゴリになってしまったのです。
 政治の世界はウソが多いですからね!
 
 相互リンク数とアクセス数に関しては・・・
 音楽サイトの友人知人などの相互リンクは20人程度ですが、政治カテゴリのツイッターでは私のフォローが60人程度で、フォロワーが5000人以上になっています。

 現在では政治サイトへの情熱は失せてしまって更新を停止していますけれども、過去に於いては人気サイトのようになっていたのではないかと思います。

 ブログへのアクセス数も、5年ほど前の全盛期には毎日4000人以上、特別な記事を書けば5000人以上の訪問者がありました。
 現在の全訪問者数は280万人を越えています。

 「にほんブログ村」のランキングにも参加していて、3年ほど前のランキングでは・・・
 政治カテゴリ・ランキング「9位」、政治・社会問題「7位」、時事ニュース・注目記事ランキング「5位」などの記録があります。

 時々、ふと考えるのですが・・・
 この人気「政治サイト」と不人気「音楽サイト」をリンクで繋いだらどうなるのかな? と。
 音楽サイトの方もアクセス数が増えるのではないかな? と。

 だた、ちょっとねぇ・・・音楽サイトに政治関連の情報を持ち込むのは如何なものかと。
 
 それでこのサイトの事は秘密にして、未だにリンクは実現していないのですが、私も歳をとって来た事ですし・・・
 何れは秘密をバラす時が来るのではないかと考えている次第です。

 今日はちょっと試しに呟いてみました。



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 2年ほど前からスピリチャル系に興味を持ち始めて、随分と色々な天然石を購入したものです。
 分類としては・・・癒し系、お守り系、スピ系、健康系、チャクラ系、誕生石等々。
 ただ、風水系だけはハマッてしまうとキリが無いので、気をつけようと思っています。

 画像はトレジャー・メノウですが、これを購入しようと思ったのは、価格が比較的安かった事もありますが、断面が円に近い形だったので、重ねた時に球状になるのではないかと思ったからです。
 自然のままで球状になっているというのは珍しいですからね。
 ただ、実際は残念ながら(というか、当然といえば当然なのですが)、底の部分は欠けていました。母石から切り取っているからです。

 また、市販のブレスレットは自分の腕には合わないことが多いので、一連(40cm)で購入して、2つのブレスレットを作ります。
 例えば、私の場合は10mm の玉でしたら20粒、女性用でしたら17粒くらいで出来ます。

 石は大きいほどパワーがあると言いますけれども、ブレスレット用には10mm くらいが丁度良くて、それ以上大きい粒になると邪魔になったり手首が痛くなったりします。20mm の石はチャクラ用です。

 初めて石を購入する場合、どんな石から購入したら良いのかが分からない事があります。そんな時は先ず水晶。 
 また、生年月日から調べたり(誕生石・星座石)、数秘術から探す方法もあります。
 私の場合は2月生まれの水瓶座ですからアメジスト(紫水晶)、数秘術では「11」と「2」が出ますからムーンストーンとルチルクォーツなどです。

(ほとんどの石は、長く身に着けていても何時までも艶がありますが、マラカイトとラピスラズリは艶がなくなって来ます)






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 大災害の時に、著名人が寄付や支援物資などを被災地に送るという事はよくあることですが、これにも美しく感じるものと、そうでな いものがあります。
 タレントの場合、他人に見てもらうのが商売ですから、寄付や支援を直ぐに表明して、またそれを当然の事と思っています。
 それに対して "偽善" だとかトヤカク言う人たちがいて、ブログなどが炎上します。
 これは良いとか悪いとかの "善悪の問題" ではなく、美意識や感受性の問題です。

 公表せずに陰で行えば、それは "神の行い" と同じですから非常に美しいのですが、タレントは神でも宗教家でもありません。

 ただ、スポーツ選手や著名人の中には、慈善的な行いが数年経ってから(本人の意思とは関係なく)他者によって公にされて、美し く感じる人たちもいます。

 ちょっとした違いで・・・

 例えば、被災地へボランティアに行った人が、自分の経験を誇って、経験のない人たちを批判して見下すようになりますと、これは非常に醜い姿となります。
 「トヤカク言わずに、お前らも被災地へ行け」、「やらない善より、やる偽善」などの発言に現れます。


 
 話は違いますが、何故か思い出すこと・・・

 最近ではタレントが自分の身体が癌に侵されている事を公表することがよくあり、ごく普通のこととなっています。
 昔の銀幕のスターたちは俳優という仕事に徹して、自分の素顔や日常を絶対に公開しませんでした。

 ここで思い出すのが、緒形拳という俳優の事です。
 "緒形拳さん肝臓破裂しても死直前まで会話"
 死の8年前から慢性肝炎を患い、肝硬変をへて4、5年前に肝がんに移行。むしばまれる一方だったが「肝臓のことは関係者に絶対 言うな」と家族に伝え「オレは絶対に大丈夫だ。強い気持ちで仕事に臨むことで病気に勝ちたい」と自分に言い聞かせるように話して いた。
・・・との事です。

 詳しいことは忘れましたが、自分が癌であることを家族にも伝えていなかったという情報もあります。
 これは一般庶民には中々真似のできない事です。
 "男の美意識" というのでしょうか?



 自分の一度きりの人生ですから、他人に迷惑を掛けなければどんな生き方をしても構わない訳ですが、美しい生き方をする人を発見 すると感銘を受ける、という美意識と感受性があることは確かです。

 美しく感じるのは・・・
 被災者の方たちが示す ”自分の苦しみよりも、他人の苦しみを思いやる心"。
 個人が公人となる姿。

 醜く感じるのは・・・
 一部の政治家、一部のマスコミ、一部のタレントの自己中心的な発言と行動。

 "美しい生き方" というものは、通常ならば中々真似の出来ることではありませんが、大災害時の被災地に見られる日本の "無名の人たち" の美しさは一体何なのでしょうか?

 日本人というものを色々と調べて、海外と比較してみますと・・・
 日本人は世界的に見て非常に "特殊な民族" であることは間違いありません。

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 先日、母親が入院している介護施設へ見舞いに行って来たのですが、いつもと違って完璧に眠り込んでいるのです。
 ちょっとやそっと身体を揺り動かしたくらいでは目を覚ましません。
 いつもですと、廊下から病室へ入ろうとすると、母親もこちらのドアの方を見ていて、直ぐに私と目が合って嬉しそうな顔をするのですが・・・
 これはもしかするとベッドの中から常にドアの方を見ていて、誰かが来るのを今か今かと待っているのかもしれません。寂しがっていたのかもしれません。

 この日は身体を何度揺すっても起きないので、心配になって看護士さんに一度起こしてもらったのですが、また直ぐに眠ってしまいます。顔に精気も感じられません。
 95歳ということで、歳も歳ですし・・・
 今回ばかりは「もうダメなのかな」「諦めなければならないのかな」と、徐々に気分が暗くなってきました。

 もう一度看護士さんを呼んで、その気持ちを伝えましたが、その女性は初めて見かける無愛想な看護士さんで「そんなに心配する必要はない」「特別なことではない」「大したことはない」と言わんばかりに無理やり母親を起こしはじめました。
 いつもは穏やかな母親も流石にこの時ばかりは苦痛の表情になり、ちょっと可哀想な気もしましたが、「昼間は起こして、夜は眠る」という習慣にしなければならないので仕方がありません。

 私が母親の身体を揺すって話しかけると、寝ぼけているのか目をつぶったままで「先生、私はとっても幸せです」と言うのです。これは初めて聞く言葉です。

 母親は徐々に耳も悪くなり、多少「ボケ」も出てきましたから、会話はスムーズにいきません。そこで今回はホワイトボードに太い文字で伝えたいことを書くことにしたのですが・・・
 私がホワイトボードに「幸せにしてあげられなくてゴメンね」と書くと、「もう、これで十分よ」と、いつも通りの返事が返ってくるのです。

 母親は山の手のお嬢さん育ちで、経済的にも豊かな暮らしをしていたようで、子供の頃は健康優良児に選ばれ、成長して初めてお見合いをした時には、その相手は将校だったそうです。
 その時に母親の調査をした興信所の人からは「貴女のように何処に行っても評判の良い女性は初めてです」と言われて褒められたそうです。
 母親の父親は公務員、弟は帝国大学を主席で卒業して三菱に就職したという秀才。その下の弟も中学校の教師で教頭まで成り、校長になるという時に学校を止めて、自宅で塾を開いたという優秀な人たちです。

 しかし、母親の居るこの病室のご老人たちは、看護士さんたちから見れば皆「やっかいなお婆さんたち」に過ぎません。
 母親は結婚してから苦労をしたせいか、歳を取っても非常に穏やかなお婆さんですが、ベテランの看護士さんから見れば「最初はおとなしい老人も、何れは五月蝿く騒ぐようになる」と思われていて、実際そういう意味の事を言われるのです。皆「やっかい者のお婆さんたち」にしか見えないのです。

 看護士さんたちの中にも色々な方がいるとは思いますが、老人に対しての扱いを見ていると「老人を赤ん坊のように扱う」というような印象を持つことがよくあります。
 どんなに腹が立つことがあっても、相手を「赤ん坊と思えば腹も立たない」というのがあるのかもしれません。
 ただ家族にとって、それは違和感を感じることでもあるのです。

 介護のお仕事は「力仕事」でもあり、大変なことは分かりますから、仕方の無いことだとは思いますが、ご老人によっては社会的に立派な方たちもおられる訳ですから、先生でも社長でも大臣でも、それが「十把一絡げ」に扱われるというのはどんな気持ちがするのでしょう。
 ですから、そういうこともあって、またこれは自分自身の無力感と反省でもありますが、「幸せにしてあげられなくてゴメンね」という言葉が自然と出てしまうのです。



 さて、今回の母親の様子でいつもと違っていたのは、母親の方から「食べに行こう」「お寿司を食べよう」「何でもイイの、おむすびでもイイから食べよう」などと、「食べたい」という言葉を繰 り返し言っていたことです。
 食べ物に関する話は可哀想なので、いつもはその話題は避けているのですが、母親の方から言われてしまえば答えてあげるしかありません。
 
 実は母親は胃瘻(胃ろう)なのです。ベッドの上で寝ているだけで、食べることも歩くことも出来ません。
 口から食事の摂れない人や、食べてもむせ込んで肺炎などを起こしやすい人の為に、直接胃に栄養を入れるという方法を取っているのです。
 ですから、口から食事を摂らなくても腹が減ったという感覚はありませんし、味覚を味わうことも全く出来ません。

 以前、看護士さんに頼んで「例えば飴のような物を舌でペロペロ舐めたりして、味覚だけでも楽しませてあげることは出来ないだろうか」と頼んでみましたが、答えは結局「No!」ということでした。



 私も一度だけ、たった一週間程度ではありますが、点滴だけで(腕に打った注射針から)栄養や鉄分などを摂っていたことがあります。
 その時に不思議に思ったことは「腹が減らない」、「空腹感が全く無い」ということでした。考えてみれば至極当然の事ではあるのですが、初めは非常に不思議な気がしたものです。
 そして一週間ほど経った時に、医者から「水分は麦茶くらいならば飲んでも良い」「飴は一日3粒まで舐めても良い」と言われました。
 私は「飴よりもキャラメルが欲しい」と言って許可を得ることが出来ましたが、それは飴を舐めるよりもキャラメルを噛みたかったからです。

 それで病院の売店で麦茶とキャラメルを買ったのですが・・・
 この時に感じたことは、「麦茶とキャラメルって、こんなに美味しいものだったのか!」という発見でした。
 たった一週間程度ではあっても、「味覚」と「噛む・飲む」ということが無くなると、非常にストレスを感じるものだということが分かりました。
 ですから「キャラメルは3粒まで」という規則はあっても、食べ出すともう止まらなくなるのです。一日に10粒以上は食べてしまいました。

 話を元へ戻しますが・・・

 母親は胃ろうを条件に入院しましたが、もう一年近くは経ちますから可哀想で仕方がないのです。
 五感の内の「味覚」と「聴覚」がダメなわけですから、残りの「視覚」と「臭覚」と「触覚」を楽しませてあげたいと思って、見舞いの時には毎回必ず綺麗な花束を持って行き、手を握ったり擦ったりするのです。
 それから過去の懐かしい写真や、ネットで拾った動物の可愛い画像や短い動画などを見せると喜びます。

 とは言っても、段々とネタも尽きてしまいますから、今回は私が作曲をしたテレビCMを見せたのですが、母親は「わー、綺麗!」と声を上げて喜んでくれるのです。
 それから私が若い頃に書いた油絵の「19歳の自画像」の写真を見せると、「わー、これ欲しい、これ頂戴!」と言うのです。

 以前にも同じ事を言われて非常に不思議に思ったのですが、母親にどんな写真を見せても「欲しい」とは言わないのです。なぜこの絵だけを欲しがるのかが全く分かりません。
 下手な絵で恥ずかしいのですが、母には「何か」を感じるようです。「何か」を気に入っているようです。

 この絵を描いた頃の私は、子供の頃から好きだった絵画を諦めて、その代わりに音楽家になりたいという夢を持ち始めた頃です。
 この油絵はコンクールで「入選」だったのですが、「入賞」ではなかったので「これではダメだ」とガッカリして諦めたのです。
 色々なことが降りかかった時期で苦しさはありましたが、音楽に対してだけは「やるぞ!」という気持ちが現れていたのかもしれません。
 真っ暗なトンネルの中に入り込んで、どちらの方向へ行って良いのか全く分からない時に、遠くの方から小さな一筋の光が差し込んで来たような・・・そんな時期だったのかも知れません。

 しかし、母親がこの絵に対し「何」を感じ「何」を気に入り、「何」を欲しているのか・・・
 その母親の心を私は理解することが出来ないのです。



 ここまで書いた後で、ちょっとした閃きと発見がありましたので、追加して置きます。

 この「19歳の自画像」を見ている内に、当時の "19歳の私自身" に対して「今の私の気持ちを伝えて置きたい」・・・という強い衝動を感じてきました。
 こんな気持ちになったことは初めてです。

 19歳の君へ・・・

 あの頃の君は幾つかの大きな問題を抱えて、 "人生の岐路" に立っていたと思います。
 君は人生の苦しみを感じながらも、よく頑張って、たった一つの "微かな夢" を追い続けてくれました。
 君のお陰で今の私は、こうして生き続けています。

 あの頃、もし君が苦しみの末に人生を投げ出していたら、今の私はこの世には生きていません。
 よく夢を追い続けてくれました。
 ありがとう!

 今まで、君の気持ちを分かってあげられなくて、申し訳なく思います。
 ごめんなさい。

 19歳の君のエネルギーは、今でも私の身体の中に残っています。
 今の私も "人生の岐路" に立っているような気分です。

 でも、今の私のエネルギーと19歳の君のエネルギーを持ってすれば、現状を打破出来ると思います。
 何とか、この困難さを乗り越えて、更に先へ進みましょう。


 一週間ほど前から "身辺整理" のように大掃除をしていて、必要の無くなった物を粗大ゴミとして捨てたりしています。
 今後は見ることも無いであろうビデオテープやカセットテープも200本以上は捨てたでしょうか。
 若い頃に着ていた服も沢山処分して、衣装ケースが3つも空になりました。
 次は幾つものダンボールに入っている沢山の本も処分するつもりです。



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以前NHKのテレビで、江戸っ子の美意識を現代に伝えようとしている人が紹介されていました。
その人は着物の似合う上品そうな女性でした。
その江戸っ子の心意気というか、江戸っ子の美意識というのは「江戸仕草」というものなのですが、その内の一つに「迂闊謝り」というのがありました。

これはどういう意味かと言いますと、例えば・・・
狭い道を歩いている時に、向こう側から急いで来た人が、すれ違いざまに腕や肩にぶつかったとします。
その時に、ぶつかってきた相手は当然「ごめんなさい」と謝るわけですが、それだけではなく、ぶつけられたこちら側も「いえ、こちらも迂闊でした」と言って謝るのだそうです。
これによって人間関係がギクシャクしなくなるわけです。
この大人の感覚は、日本人ならば多くの人が理解できるものではないかと思いますが、外国の人たちには伝わるのでしょうか?

「謝る」・・・という事で思い出す事があります。
確かフランスなどでは、すれ違いざまにぶつかったとか、足を踏んだとかした場合には「絶対に謝らない方がよい」と言われているようです。
西洋人の感覚では「罪には罰」という強い意識があって、うっかり「ごめんなさい」と謝ってしまうと、それだけでは済まなくて「謝って罪を認めた以上は罰を受けなければならない」という事になるそうです。

日本という国は、良くも悪くも謝ってしまえば許されてしまう国だと思います。
例え人を殺しても、「犯人が謝って十分に反省をしている」という事で罪が軽くなってしまいます。
しかし、海外ではそういうわけには いかないようです。

これは実際にあった話ですが、ある日本人が(多分、勉強熱心な学生ではないかと思いますが)フランスで図書館の本を破って持って帰ってしまった事があったそうです。
この日本人は後になって、日本人の普通の感覚で、謝ってしまったそうです。
こんな場合には、フランス人であれば決して謝らないそうです。
何故ならば、公共の物を壊したりした場合には、謝って罪を認めてしまうと、日本では考えられないくらいの重い罰が待っているからだそうです。
当然、刑務所行きです。
それもかなり長い間です。

日本でしたら、図書館の本を破った程度の事であれば、謝ってしまえば簡単に済まされてしまう事でしょう。
「日本の常識は世界の非常識」と言われることもありますから、十分に気をつけなければいけません。
日常的な小さなトラブルに関しては、江戸時代の美意識が伝わる世の中になってくれると良いのですが・・・

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