山菜採り日記

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キノコ山にも冬将軍

?H1>昔日の手代を思う
 天気予報図にも雪だるまが並び、一週間前まで歩き回ったキノコ山はもうすっかり冬将軍の支配下に入ってしまった。私のフィールドとする鳥海山北東麓の手代一体がブナの原生林に覆われ、ブナ林の切り出しに森林軌道が敷設されて学校の分校が出来るほど賑わったのが50年ほど前まで。今は面影も残らずわずかに建物跡が台地として残り、水道の名のこりの水が蛇口から絶え間なく流れ出ているだけだ。
 今は深い雪の下になっている手代の昔日を鳥海町史を紐解きながら思い浮かべた。
  戊申の役で庄内藩を迎え撃つ秋田藩側が気勢を上げるため、罪人の首をはねたされる処刑場の峠を越えて右手の玉田川を渡って行くのが手代林道。途中、鳥海山百宅登山口の大清水を通って山形県の酒田市八幡町に抜ける。私がまだ山菜採りに興味を持たず専ら登山に専念していた頃、営林署の事業所と呼んでいた建物がまだあったのは、手代林道に向かわず真っ直ぐ進むと直ぐのところだった。
 文中資料は「鳥海町史」より写す。

手代林道
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玉田渓谷
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手代に学校があったことをす示す地図
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手代に直根小学校手代分校が設けられたのが昭和23年。ブナ林の伐採の隆盛と符合する。
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ブナ林。事業所の頃は鬱蒼とした原生林だったに違いない。
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手代林道は赤沢川に沿って延びる
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昭和35年廃校。手代林道が整備されぶな材の輸送が車に変わったことや伐採するブナ林が少なくなったことによる。
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手代沢分校の児童数の記録は載っていないが、分校も含められていると思われる直根小学校の児童数の推移。因みに平成20年度の直根小学校児童数は46人で少子化時代とはいえ、昭和30年代の多い時と比べ700人近い減少である。当時の児童数が多いのは戦後のベビーブームだけではなく鳥海山麓のブナ林を資源とした産業の隆盛があったため伐採作業や製材業など従事者が多かったためと思う。
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たぶん玉田川沿いの事業所周辺には分校の他住宅なども建ち並び、子どもたちはブナ林や玉田川で遊び回ったに違いない。玉田川にイワナやヤマメ放流した佐藤浅治の功績をたたえる石碑があるという。来春雪が消えたら探してみようと思う。
子吉川中流を更に遡って小沢の川まで鮭や鱒が遡上したという。
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放流したイワナやヤマメが増殖して足にまとわりつくほどだったという。学校の新築祝賀会に供されたと記述がある。
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キノコなど森の産物も沢山あったことと思う。
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往時を偲んで想いを馳せるのも、又、登山の楽しみです…。
家中にいる時間が多くなるこれから、特にそうです。(苦笑)

2008/11/23(日) 午後 9:07 楽遊原 返信する

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「ま」の前に「や」をつけるか「う」をつけるかが私の行動パターンでしたが、「う」のほうは通算すれば女房に着物を何十着も買えるほどの散在で最近はG1レースだけに控えるようにしています。
この冬は小屋の奥から歩くスキーを引っ張り出そうかと思っています。
楽游原さんの冬のアウトドアの行動力には敬服しています。

2008/11/25(火) 午後 9:20 [ aratame1751 ] 返信する

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