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観光客はもちろんのこと、京都市民にも意外と知られていない、岩倉の一条山問題。
(我が家のハードディスク問題で2004年以前の写真を紛失中のため、古い新聞から拝借しました)。

「美しい国」の「一番美しい町」に、このみっともない「モヒカン山」が20年間も放置されていました。

1981年、開発業者が京都市から宅地造成の許可を得た。
1982年、「山の稜線を残す」という許可条件に反して山がどんどん削られ始めたのを見つけた住民が
    「おかしぃんちゃうか?」と市に通報。
1983年、工事停止命令は出たものの、山はそのまま放置。
1989年、京都市「もう今さらしょうがないのでやっちゃえ」と後付け許可。
1992年、市は住民の主張を認めたものの、業者は今度は建設大臣に再審査請求。
1994年、なぜか建設大臣は業者に全面開発の許可を与えた。(←密室審議で経緯は不明)
1995年、市民466人と弁護士33人が原告団を結成、環境保全の裁判を起こしてから17年・・・
    31回の裁判と1回の現場検証を経て、
2001年、原告が提訴を取り下げる、という形で裁判は終わった。

山らしい形に作り直して植樹すること、開発する宅地数を減らすこと、という条件で決着したのです。

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こちらの写真は2005年の夏に撮ったもの。

すでに復旧工事が再開され、あのおかしなモヒカン頭はもう無くなっていました。
しかし地元は決して「全面解決、バンザイ!」という様子ではなかったです。

訴訟を起こした市民原告団の代表を務めてきたTさん(近隣の主婦)の話では、
「裁判が長引いて皆疲れ果て、諦めに近い形でこうなった」のだそうです。

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先日(2006年11月末)に見てきたときには、もうこんなふうになっていました。
木を植えればそれらしい緑地になり、20年以上続いたモヒカン山問題も忘れられていくのでしょう。

でもそれは、住民の記憶に残っている「丸いお椀を伏せたような山」とは似ても似つかない、
小さな角ばった丘です。

ここで皆さんは「なぜ市が違法開発に追従許可を出したのか?」という疑問をお持ちになるでしょう。
それはズバリ、開発業者が「エセ同和」だったからです。

京都市ではこの他にも、高さ制限を上回る高層ビルなど、不思議な許可がよく下りていました。
同和問題に限らず、様々な行政の思惑や官民(ついでに宗教?)のしがらみがあったようです。

美しい燻し銀の「甍(いらか)の波」はもうほとんど残っていません。
細い路地は車で溢れ、街には勝手気ままなビルと「歯抜け」のパーキングが立ち並んでいます。

かつては「五山の送り火」(通称大文字焼き)の全てが市内のどこからでも見えるべきものでしたが、
今ではひとつでも見えるスポットを探すのが大変、8月16日の夜は大混雑になります。
(そこで送り火を見せるための高層ホテルが建ち、地上からはますます見えなくなる、という悪循環)。

市内のいたるところにあった借景の庭も、今では郊外の二つの寺にかろうじて残っているだけです。

京都の町は、「もう今さら何を止めても手遅れ」というところまで来ています。

ところが先月末、「京都市:景観保全のために建築規制を強化」というニュースが出ました。
点滅広告や屋上広告の禁止、特定地域の景観保全のほか、高さ制限も厳しい規制に戻すそうです。

それによると、規制がかかる地域に今すでに建っている高層マンション等は、
立替時には、セットバックならぬ「階数減らし」をせざる得ないことになるらしいです。

マンションの場合、当然、立替時には戸数が減ることになり、資産価値にも影響します。
住民の方々にとっては、「お宅、姉歯物件やで〜」と言われるのに近いくらいの衝撃でしょう。

桝本市長は「京都ブランドを守るためには多少の痛みもいたしかたない、頑張ります!」
というような姿勢らしいですが、そんなに簡単に行くものなら、どうしてここまで来たのでしょう?

京都市のこの問題は、私にはあまりにも生々しく、もう思考がストップしてしまっています。
これからどうなるのか、どうすればよいのか、全然考えられません。

京都好きな全国の皆さん、どうか一緒に考えてくださ〜い。

一条山は、叡山電車木野駅のすぐ南、地下鉄北山駅・国際会議場よりそれぞれ徒歩約20分です。
岩倉南公園のグラウンドからよく見えます。

閉じる コメント(15)

その当時『モヒカン山』とはよく言ったものだと思いました。その後もひどいものですね。ボタンの掛け違えからずっとこじれて行くことがよくありますね。だれも責任問われず、そしてあとには焦燥感だけが残る。

2006/12/4(月) 午後 4:17 mizuchan80 返信する

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ボタンの掛け違えだけならお互いに譲り合って解決といったこともできると思うのですが、ここの場合は確信犯の官民癒着ですからタチ悪かったですね。大きな環境問題だけでなく、地元の人々にとっても里山は神聖なもののはずですから、誰も責任を問われずにこのような形で終わったことに対する苛立ちは、察するに余りあります。

2006/12/5(火) 午前 11:08 [ bimbo ] 返信する

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便利な時代ですね、地図見てみました。http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F4%2F0.064&lon=135%2F46%2F49.859&layer=1&sc=3&mode=map&size=l&pointer=on&p=%CB%CC%BB%B3%B1%D8&CE.x=789&CE.y=617

2006/12/6(水) 午前 9:46 ecodeoyasai 返信する

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周囲の環境を見て無いのでなんとも言いがたいのですが、周囲に住んでいる方の我儘なのか、本当に自然を残そうとしているのか、どっちなんでしょう。事実そのすぐ横に住まわれている方がいるし、その手前にはグラウンドのネットらしきものが見えます。山の稜線を残すという例では、神奈川県の金沢八景にある称名寺庭園からの景色も過去にひと悶着あったようです。機会を見て行って来ようと思いますhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%B0%E5%90%8D%E5%AF%BA_(%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82)

2006/12/6(水) 午前 9:58 ecodeoyasai 返信する

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上のウィキリンクカッコ内の記述がリンクに反映されなかったようです。 ウイキで称名寺庭園検索すると真面目なページが出てきます。

2006/12/6(水) 午前 10:03 ecodeoyasai 返信する

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以前、民主主義は歴史に残せるようなものは作れないといった話を聞いたことがあります。私利私欲に走るばかりですから、一理あるなとうなずいておりました。こういったところを開発してまでお金儲けに走りたいのでしょうかね?

2006/12/6(水) 午後 1:00 [ tanaatsu122 ] 返信する

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ECOさん、この辺りは以前は田畑で、その中に岩倉五山と言われる山々がポッカリ浮いているような風景の場所で、その後次第に田畑が住宅地に変わりました。「お山ポッカリの風景だけは残せ」というのが当初の京都市の許可条件でしたが、それを明らかに無視した工事契約(一条山を地上から10mの高さで平らにする)が結ばれていました。明らかな不法行為が追認許可された、という点が大きな問題でした。

2006/12/6(水) 午後 5:11 [ bimbo ] 返信する

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リンクを張っていただいた地図で見ると、一条山という交差点の左側の空地に元々の山は納まっていて、道の右側一帯はかなり前から住宅地(もと田畑、平地)でした。そこにある緑色の一角が岩倉南公園で、写真のグラウンドもその一部です。

2006/12/6(水) 午後 5:15 [ bimbo ] 返信する

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tanaatsuさん、私なんか小心だから、山とか谷とかいった大きな自然の産物をぶっ壊すと考えただけで恐れ多くてできませんけどね・・・高齢者を騙す悪徳リフォーム業者や貸金屋しかり、「そんなにしてまで儲けたいか???」という現象が実に多い今日この頃ではあります。

2006/12/6(水) 午後 5:18 [ bimbo ] 返信する

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「景観の構造」の樋口忠彦教授の解説によれば、綺麗にこんもりと丸い形をした山は、古来から信仰の対象であったそうです。古代の日本人は何でも自然に美しい形をしたものを神と拝んできたわけですし、特に近畿地方では山は「そこにあるのが当たり前」なものです。その大切な山をこんなふうにされて、ショックで寿命を縮めたお年寄りもいるのではないかと心配します。

2006/12/6(水) 午後 5:32 [ bimbo ] 返信する

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欧米では山や丘の上に都市を作りましたが、日本では山の谷間や裾野に村を作りました。「山の上に家が建っているのは神戸だけ!」とアメリカ人に説明していた私ですが、もはやそんな文化論も通用しなくなりました。

2006/12/6(水) 午後 5:38 [ bimbo ] 返信する

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復活!!です。景観を含めた環境を無視した開発行為が罷り通るのは経済性を重視して住宅政策を始めた戦後の規範が駄目な物だったようですね、ドイツの住宅政策を少し読み解いてみたいと思ってる最中です。浜離宮の景観は古の背景を逆に想像してみたくなるまでの、超近代的な高層ビル群が乱立する不思議な空間となってます。本当に皮肉なものです。

2006/12/15(金) 午前 6:19 ecodeoyasai 返信する

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2つ上のコメントは興味深いですね。欧米では山や丘の上に都市を作りましたが>日本の場合は移住してきた頃の弥生人が米の文化を持ち込んだこと、その米を生産する地を川岸(満潮で上昇した川の水の上澄み部分(アオ)淡水を使ったこと)に求めたことによる違いがあるのかと思いました。

2006/12/15(金) 午前 6:24 ecodeoyasai 返信する

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2011年9月現在でも角倉了以が開削した高瀬川の物流の始点である一之舩入(木材のストックヤード)付近の開発が進みつつあります。もともと木屋町の由来も木材を扱っていた商人が多く、四条通りまでの間に九の舩入があったそうですが今は始点しか残っていません。京都市の行政を監視しないと何を許可するかたまったものではありません。はりぼて観光都市だけは避けたい。

2011/9/24(土) 午後 8:22 sabicat**** 返信する

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番ねこ様、お知らせ有難うございました。京都市は市民の意見を公募したりしているのですが、道路景観に関する指針づくりの時にも、広報が悪かったのか、ほとんど意見が集まりませんでした。目の肥えた住民の多い街なのですから、本物を残さないといけません。でも観光客も悪い。花見小路など、マナーの悪い人々のせいで風情も何も無くなりました。

2011/9/25(日) 午後 9:09 [ bimbo ] 返信する

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