愛知限定 歴史レポ

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 今回は地中から湧き出て古くから地元住民より、信仰されている、石像を写真の撮れた畑中地蔵と、写真は無いが、その地名由来のレポをUPします。
 その1「畑中地蔵」通称「生え抜き地蔵」 写真´↓ 畑中地藏の在る名古屋市熱田区花町1丁目は、(地図)いまから数百年前、この辺りは畑地であったが、ある日ここを耕作していたお百姓さんが、突然畑の中から大きな石が出現し、
耕作の邪魔になるので、掘り出そうとしたが、石は段々大きくなるばかりで、根元まで掘り出すことが出来ず、困って家に帰った。その晩夢枕に異様な人が現れ、「我を祭らば願い事を叶えてやろう」と言って
消えた、次の晩又次の晩も同じ夢を見たので、土地の古老に相談したところ、それならば、畑の中から出現された御方だから、畑中地蔵菩薩として、お祭りしたらよいであろうと言われ、早速お祭りして毎日
おまいりした所、霊験あらたかに、色々な願いが叶った。伝え聞いた近隣の人々もおまいりしたら、大変ご利益があった。戦時中、度々の空襲でこの近辺は火の海となり焼け野原となったが、地蔵堂と地蔵様の
所在地の花町1丁目は一軒の被害もなくこれは、御地蔵様のご加護下さったのだと、町内の信仰を集め今日に至る。平成二年二月には近所の松田ボクシングジムに所属する、畑中清詞さんが世界タイトルマッチ臨む際、同じ畑中と言う名前のお地藏様があると聞いて必勝の祈願をし、見事タイトルを取得し、
チャンピオンに成った事があります。この石は学者が以前調査したところ、古墳石であることが明かになったとの事です。
その2 石仏町 町名由来の石の千手観音像のある善昌寺 名古屋市昭和区石仏町1丁目 写真きキ
古文書によるとここには白山社があり菊理媛命を祀り、境内に観音堂及び石地藏あり、堂内に長さ五尺
余の石像の千手観音を安置す、これこの村の号の本基なり、傍に寺有りて慈雲山善昌寺といふ、以下略・・・・・・・天正二年甲戊冬頃 領主 某 大廈造営の事ありて大石ともども運ばしめらるる
内に一巨石の地より生たるを堀得むとすれどもかって動ざれば、石工鎚をもって撃たりしかば石より
光を放ち忽目くらみ悶絶して倒伏ぬ 有司等はじめ見るもの恐法て石霊の恐れしる、かくて石工茫然として家に帰り遂に剃髪して、滋雲と名付 この石仏の傍に座しめてあけくれ行ひ居り・・・・・以下略
この善昌寺には私も訪れましたが休日でもあり住職は留守でしたが、本尊は誰も見た事がないそうで以前
法会の時に参加された人も、白布で一面に巻かれていて誰も拝観した者は居ないそうです。本堂の西隣の
お堂奥に石工滋雲によって彫られた盲地藏尊がありうす暗いですが拝観できます。
また本堂東隣は古墳跡にある白山神社で、その昔石工が彫った石は古墳の石棺の蓋石かも?
その3 こちらも町名由来の石仏がある稲原寺(とうげんじ)写真Л┃ 地図
愛知県岩倉市石仏町中屋敷 名鉄犬山線石仏駅より南西およそ150mに稲原寺があります。
古書「小治田之真清水」には「本尊は自然石体三尺八寸の観世音にて村名起れる所の霊像也 後土御門院の明応6年5月23日より村中振動して田畠叢林も傾壊せんとす、他村は平穏にて当村のみの地震なれば
村民恐怖戦慄に堪たり、同28日村の西なる水付の田面裂分かれて石体観世音光明を放ちて湧出し給へり
かくて振動も止みければ、村民感涙を垂れ、恭礼し奉り官庁に訴へ一宇の草堂を営み、彼尊像を安置し
稲原庵と名づけ曹洞宗の僧宗益といへるを請して住持とす、元禄7年9月13日円通山稲原寺と改号
この稲原寺は本堂庭に五百年紀念石碑と由来説明板があり、本堂裏に素朴な五輪塔が数其あります。
本堂奥には本尊の石地藏尊がありますが、訪れた日には留守で撮影出来ず。

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