愛知限定 歴史レポ

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喜多福と山田才吉No1

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名古屋の末広町、今の中区栄3丁目「本町通」に漬物や
缶詰商「喜多福」を創業し巨万の富を得た「山田才吉」の
店と屋敷が、若宮八幡社の西門北側本町通り沿いに有りました
今回より山田才吉の出生まから没年までの生涯を紹介します。

山田才吉は美濃国厚見郡冨茂登村、現在の岐阜市大仏町に、
嘉永5年(1852)に出生した才吉は、若くして家を飛出し、板前の
修行をしながら江戸など各地を転々として歩く。
大須門前町に才吉が店を構えたのは、明治11年(1878)26歳の時。
14年に若宮八幡社の隣に漬物屋を開く。この時後に名古屋名物
として、全国に広まっていく守口漬を考案する。
板前時代の味覚の研究と年少の頃食べた漬物への郷愁、それが
彼をして守口漬を造りだすきかっかけとなったのであろう。
「Nagoya発二三号」に次のような記事が載っている。
明治13年ごろ、岐阜市内で行われていた細根大根のかす漬け製造
を知り、それをヒントに新しい漬物づくりを始めた。
彼の考案した製法の特色は、塩付けと酒かすの漬け込みに2-3年
かけ、その後、みりんかすやみりんをふんだんに使って、独特の
深みある味に仕上げるものだった。
この項、平成18,3,15,「堀川文化を伝える会」発行
 「名古屋本町通りものがたり」より引用しました。

〔掌轍飴埣羔莟稗加目付近地図
F=若宮八幡社 H=政秀寺 G1=元「喜多福」 
G2=工事中「喜多福総本家」G3喜多福仮店舗
元「若宮前の喜多福」銅版画(明治21年刊行 尾陽商工便覧)
4鄲進〜篭伴圈峪嚇頂裕函
ぁ峇鄲進〜輕棆函廚亮藐漬樽入写真、
ゾ赦4年地図 地図中央、若宮八幡社西隣「山田才吉」の文字
次回も続けて、喜多福と山田才吉No2若宮大通のシネラマ会館、
若宮八幡社、政秀寺、東陽館、等をUPします。

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こんばんは。今夜はここまでで就寝に入ります。紫式部の墓があるとは驚きました。柴川は「シバカワ」と読めるのですが・・・。やはり「ムラサキガワ」と読むのでしょうか。紫川なら分かりやすいのですが・・・。些細なことはいいのですが、驚きの墓情報発掘にポッチです。山田才吉以降を楽しみにして眠りにつきます。おやすみなさい。

2009/7/12(日) 午前 1:04 [ 加藤勝美 ] 返信する

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加藤勝美さんコメ&凸有難う御座います。江戸時代の名陽図会には「紫川」と書いて振り仮名で「むらさきかわ」とありますので、むらさきかわ、ですが、いまの「白川公園」は「しばかわ」と読み違い「白川」に由来しているようです。これも他地域の人は「しろかわ」と読み違えていますね。故山田才吉さんは以前、名古屋タイムズでその生涯が連載されました、名古屋の地でドラマチックな人生を歩んだ人です。

2009/7/12(日) 午後 6:37 [ エリア行く ] 返信する

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