愛知限定 歴史レポ

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奥の院「織田信秀公廟所」地下道入口
地下道先の奥の院
奥の院左手の小さな岩窟
奥の院中央の織田信秀公墓碑
信秀公墓碑は宝篋印塔(ほうきょういんとう)
信秀公碑の横の祠
奥の院右側の「重軽地蔵尊」

は奥の院左にある小さな岩窟は、尾張名陽図会、万松寺の絵に
白雪大明神の社の左側に岩穴が描いてあり、これを現代の
万松寺奥の院に模したものであろう。
なお、このシリーズ最初にUPした尾張名所図会の絵には岩穴が
描いていないが、白雪稲荷の左の小山が、「いなりかんのん」と
描いてある所が穴山と推定されます。

信秀公は名古屋末森の城にいる時病床にあったが、天文二十一年
三月三日病死、享年四十二才であった。葬儀は名古屋村の、
万松寺で三百人を数える役僧の中で厳粛にとり行われた。
導師、住職大雲大和尚は本堂の中央に座し、親族は信秀の正室、
土田御前、濃姫、信秀公の側室、次弟信行、信包はじめ家臣の
林佐渡守、柴田勝家、平手政秀ら威儀を正した家中の人々七百名が
多数参列した。(追記、天文二十一年は西暦1552年)

ところが喪主の信長の姿がなかった、が焼香の時本堂に信長が姿を
見せた。その姿は乱暴者の日頃の姿、茶筅巻きの髪、長束の太刀と
脇差、はかまはない、並み居る人々は眉をひそめた、そのうえに
焼香にあたっては、抹香を大きく手ずかみにするといきなり信秀公
の位牌に投げつけたという。これが有名な焼香事件ですが、過去、
NHK大河ドラマの「国盗り物語」では大雲永瑞大和尚の役を、
現在の万松寺、伊藤治雄住職が演じてみえました。が今年お尋ね
したところ、平成18年に逝去されたそうです。謹んでお悔やみ申し
あげます、合掌。

この葬儀における信長の粗暴な振る舞いも、近隣大名に油断をさせる
為と計算された行動だとも近年は言われる。また一説には信秀公の死
を知ると同時に信長は馬を駆って犬山、楽田、岩倉、清州、鳴海へと
走らせ、どこか不穏な動きを見せるか、探り回った後斎場の万松寺に
姿をみせたものだともいう。

次回も万松寺レポNo4新本堂などをUPします。

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万松寺、伊藤治雄住職が演じて・・・知らなかった あのころは みていても さっぱり意味がわからない番組でしたわヾ(@^▽^@)ノ

2008/1/23(水) 午後 11:24 ねこコーチ 返信する

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朝五時々さん、万松寺の大和尚の役を自ら全国放送で出演する。すごいことでしたね。

2008/1/23(水) 午後 11:45 [ エリア行く ] 返信する

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