徒然なるままに〜

雨が降りません。今年の夏はきっと水不足だな・・。

一日一聖句&名言集

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「父とあるく」

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 『百万人の福音』 より
 
 
                              「父とあるく」

 父は背が低く、おまけに片足が不自由だった。
 
 一緒に歩く時はきまって僕の腕によりかかってバランスを取りながら歩いた。
 
 そんなとき、周囲の視線が僕たちに集まることがたまらく嫌だった。

 でももし僕がそう思っていることに気づいたら、父はきっと僕の支えを断るだろう。
 
 そう思うとよけいつらかった。

 せかせか歩く僕とゆっくりな父が、歩調を合わせるのは楽ではなかった。
 
 だから、一緒に歩きながら2人が口をきくことはほとんどなかった。
 
 それでも、父はいつも「おまえのペースで歩けよ。父さんが合わせるからな」と言って、歩き始めるのだった。

 父が通勤に使っていた地下鉄の最寄り駅まで、父を支えながら毎日のように歩いた。
 
 少々熱があっても悪天候の日でも、父は決して仕事を休まなかった。
 
 同僚のだれも出勤できないような日であっても、父だけはいつも定時に職場にいた。

 今、僕が振りかえってみて驚くのは、父は大人としてあれほどの不自由さやストレスを
 
 抱えていたにもかかわらず、不平や不満とは無縁だったという点だ。
 
 父の口から自分を哀れんだり、ほかの人々をうらやんだりするような言葉を聞いたことは一度もない。

 父が大切にしていたものは、人間としての素朴な誠実さや善意、そして神を思う心、信仰心だった。
 
 人々の中でそれを見出しては、それで満足していた。

 僕もこの歳になってようやく、そうした「まっとうさ」が人間にとってどんなに大切かということが
 
 分かり始めている。でも、同時に、自分にはそれがどんなに欠けているかも痛感する。

 また、自分でやれるスポーツはほとんどないにもかかわらず、父は参加することに喜びを感じていたようだ。
 
 地元の草野球チームのマネージャーを買って出たり、町内会のダンスパーティーにも顔を出し、
 
 みんなが楽しんでいる様子を眺めては楽しんでいた。

 ある夏のビーチバーティーで、何かの原因で、その場にいたかなりの人を巻き込んでの
 
 つかみ合いの大喧嘩が始まったとことがあった。この時、砂浜に座っていた父も負けてはいなかった。

 「座って、俺とさしで戦える根性のあるやつはかかって来い。相手になってやる」と
 
 ものすごい剣幕でどなっていたと、後日みんなで大笑いしたものだ。

 父は何年も前に亡くなった。
 
 でも、今もよく父のことを考える。
 
 僕がささいなことで不満を抱くとき、他の人間がうまくやっているように思えるとき、
 
 まっすぐな心を失ってしまうとき、父のことを思う。

 バランスを取り戻すために、父の腕に寄りかからせてもらう。
 
 そして、こうつぶやくのだ。「父さんのペースで歩いてよ。僕が合わせるからね」
 
 

 
     ***************************************************************************
 
 
 
親が子に残してやれる大切なもの・・・「まっとうさ」
 
親の背中を見て子は育つと言いますが、責任重大ですね・・・。^^;
 
この「まっとうさ」を子供たちに育んで欲しいと願うなら、まずは自らが育まなくてはならないんですね〜。
 
 
 
(* ´Д`*)=3 ハァ〜 ・・・・・・・・・・。
 
 

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『ただ愛すればいい』 

          岡野俊之  オイコス出版 から一部抜粋


人は死ぬまで幸せを求めます。

若いうちは仕事に励み、老後は楽しいことを計画し、死ぬまで幸せに生きたいと願います。

しかし、私たちの人生は、自分のやりたいことを好きなようにやりながら死んでいく、

というようにはつくられていないようです。


恋愛結婚して楽しい生活を始めても、やがて子どもが生まれ、親となり、

「子どもに仕える生活」が始まります。母親は、自分が眠くても、疲れていても、

夜中も起きて赤ちゃんにお乳を与え、日に何度もおむつをかえ、子どもに仕えなければなりません。

少し成長してハイハイするようになると、危険なものを口にしないかと気を配り、

親は子どもから目が離せなくなります。


もっと大きくなると、幼稚園の送り迎えで時間を縛られ、

小学校の毎日の持ち物チェックや学校行事に追われます。


中学生や高校生になると、教育費がふくらみ、親は、子どもたちのためにひたすら働きます。

そして、ついに子どもたちの自立する時が来て、ほっと一息、夫婦でのんびりしようと考えますが、

そこに待っているのは、年老いた親の介護です。


そして、やっと親の介護から解放されたかと思えば、次の夫の介護や妻の介護が待っています。

人間は死ぬまで、だれかを愛し、だれかに仕えて生きるように造られているようです。

神様が、私たちをそのように造られたのです(『ただ愛すればいい』143頁)。


律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」

という一語をもって全うされるのです。」(ガラテヤ5:14)

「愛の人で、幸せでないという人はいないと思います。

なぜなら、愛の人は、与えることに生きがいを感じることのできる人だからです。

失うことを恐れたりしません。

なぜなら、愛の人は、自分に死んで、仕えることに生きがいを感じることのできる人だからです。

人に仕えることに時間を奪われて、自分の好きなようにできないということを不満に思ったりしません。

命をも捨てられたイエス様のような人たちなのです」(同上145頁)。

「クリスチャンの多くのが、受けることを通して満足を得ようとします。

教会の多くが、自分を大きくすることによって満足を得ようとします。

しかし、聖書の教えは逆なのです。

真の幸せとは、与えること、失うこと、犠牲を強いられること、好きなようにできないこと、

仕えること、死ぬことなのです。

赤ん坊に、朝も昼も夜も夜中も自由を奪われた母親のように、

だれかのために愛して使えることに満足し、喜びを感じることのできる人は、

本当の幸せをつかんだ人です」(同上146頁)。


   
                 ***********



果たして、自分は自分を捨てられるだろうか?自分のエゴや自分の欲求を抑えることが出来るのか?

とてもとても無理難題極まりないことのように思えて仕方がないのですが、

そのエゴや欲が原因で、自分や他人を傷つけてしまい、またそれを思い煩い苦悩する。

きっとそんなことの繰り返しで、自分は生きていくのだろう・・・。


では、結局「愛の人」になる生き方のほうが、難しくとも心は楽なのではないかとも思えたりして。


神様が人間をそのように造られ、自然の法則で「仕える人」になってゆくならば、

自分の人生はそういうものだと謙虚に受け入れて健気に生き、

与えられるより与えることに幸せを見出すことが少しづつでも、経験できていくならば、

逆らって生きていくより、満たされ幸せだと感じる生き方が必ず出来るのだろうと、

そんな風に考えさせられた一文です。

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安息日説教で、牧師さんがご自分の大好きな作文として、紹介されたものです。


ちょっと、聖句&名言集から反れるかもしれませんが、私も大好きな作文となりました。

温かさが滲み出ていて、私達にも、こんなほのぼのした笑いのある明るい家庭が築けたらなぁ〜と、

思うのであります♪


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わたしのかあちゃん、ばかかあちゃん


私のかあちゃんは、本当にばかです。いつも失敗ばかりしています。

炊事と洗濯を一緒にするから、煮物の途中でシャツを干そうとしていて、煮物がふきこぼれ、

火を止めて走ろうとすると、さおに通しかけたシャツは地面に放りだされます。シャツは泥だらけ。

そして、煮物の鍋はひっくり返って台無しです。

「こんな私で悪かった。 ごめんね、とうちゃん、勘弁な」

すると父ちゃんは「ばかだなー」と言って笑います。

そういう父ちゃんもバカ父ちゃんです。

いつかの日曜日、みんなが朝ごはんを食べていると、

奥からあわててズボンと洋服を着ながら、カバンを抱えて茶の間を通り抜けていきました。

「ああ、もうだめだ。こりゃ、いかん」とか言って、玄関から飛び出していってしましました。

「まただね、しばらくしたら帰ってくるからね」とかあちゃんは落ち着いたもんです。

すると案の定、父ちゃんは帰ってきて、恥ずかしそうに、

「また無駄な努力をしてしまった。日曜日だというのに、ハハハハ・・・」と言い訳を言っています。

そんなバカ父ちゃんとバカ母ちゃんの間に生まれた私が、利口なはずがありません。

ついでに弟もバカです。私のところは、家じゅう皆バカです。

でも私はそんなバカ母ちゃんが大好きです。世界中の誰よりも一番好きです。

私が大きくなったら、うちのバカ母ちゃんのような大人になって、

うちのバカ父ちゃんのような男の人と結婚して、子供を生みます。

そして私のようなバカ姉ちゃんと、弟のようなバカ弟をさずかって、

家中バカ一家で、今の私の家のように明るくして、楽しい家族にしたいと思います。

バカ母ちゃん、そのときまで元気でいてください。



こんな作文を将来子供が書いてくれたら、最高に幸せ〜♪

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   子供たちが外出しているときに

 
父よ 子供たちは でかけています
そして わたしは
彼らを 護ってやることができません
子供たちが 大きくなるに従って
わたしたちが 子供たちに
付き添ってやることが 少なくなります
子供たちは 彼ら自身の道を歩み
わたしたちは あなたを頼むより他に
なす術がないのです

どうぞ 私たちの子供たちに
注意深く 付き合ってくれる
クラス・メートやお友達や
大人たちを 与えてください

私たちの子供たちが危険な目に
会わないように
そして 誰をも危険な目に
会わせることがないように
どうぞ 彼らを交通事故から
お守りください
子供たちが 彼らだけになった時にも
間違いを犯さないように
お護りください

とりわけ たったひとつのことを
子供たちが 再び
家に帰ってくることをお願いいたします
私たちが この家で 彼らを
私たちの集いを 心地よいものに
することができるような 力をお与えください
そして 彼らとこの集いとが
長く 続きますように
子供たちが 両親に不安覚えたりしないように
力をお貸しください また
子供たちが 何か間違いを犯し
どんなばかげたことをしても
この家の扉だけは
いつも彼らに開かれているという
信頼感を 子供たちにお与えください

そして 私たち皆が この家で
文字通り「家にいるようにくつろげる」という
気持ちをお与えください
あなたのもとを わが家とし
あなたの永遠の御国の
家と食卓とにあるように
アーメン


『神さま ようこそわが家へ』H&J・ツィンク H・タイニンガー絵 伊藤紀久代訳 新教出版社


今はまだ子供たちが小さいので、24時間一緒に過ごしますが、
大きくなるに従って、一緒に過ごせる時間は少なくなっていくことでしょう。
子供たちが大きくなるに従って、悩みごと、心配ごとも比例していくのでしょうね。

その時に心を落ち着けて、このような祈りを捧げることが出来ますように。
このような憩いの家に築き上げることが出来るように、普段から心掛けていきたいものです。^^;

病者の祈り

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 「病者の祈り」

        NY大学リハビリテーション研究所の壁に書かれてある詩


 大事をなそうとして
 力を与えてほしいと神に求めたのに
 慎み深く従順であるようにと
 弱さを授かった

 より偉大なことができるようにと
 健康を求めたのに
 より良きことができるようにと
 病弱を与えられた

 幸せになろうとして
 富を求めたのに
 賢明であるようにと
 貧困を授かった

 世の人々の賞賛を得ようとして
 権力を求めたのに
 神の前にひざまずくようにと
 弱さを授かった

 求めたものは
 一つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞きとどけられた

 神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
 心の中の言い表せない祈りは
 すべてかなえられた

 私はあらゆる人の中で
 もっとも豊かに祝福されたのだ


  求めたものは〜以後の詩がとても清々しい気持ちにさせてくれる詩です。
  
  
    

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