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カーリングというのは不思議な競技で、審判はおらず、特別に意見が食い違った場合を除き、お互いの了解の上で、勝敗を決めるスポーツです。どっちの石が中心に近いか、順番を間違えたり、失投した場合はどこに石を戻すかなど、相談して決めます。自分の方が負けていると見たときは、相手の得点と認めます。
相手の最後の失投により、銅メダルが決まったロコソラーレは、表情一つ変えず、相手チームのメンバーと握手をしてから、みんなで抱き合って喜びます。相手をたたえあう、紳士?、のスポーツです。(アジアの一部のチームのみ、これができていませんが)
ヘリゲルは師匠に言われました。矢が的に当たるかどうかは、射の出来と関係ない。いかに図星に当てるかを考えてはいけない。すべての矢が的に当たるならば、それはあなたが見世物であるということだ。
悪い矢に腹を立ててはいけません。
良い矢に喜びを表してはいけません。
力を入れるなと何度も言われ、自分がなくなるまで練習する。引き絞った弓を放つのは、自分の意思であってはならない。私でなければ、誰が弓を放つのです?
「≪それ≫がいるのです」
「ひとたび弓を引いて、それを放つのは、あなたではなく≪それ≫だ」
それを教えてくれないのですか?
「あなた自身で苦労してそれを身につけることが必要です」
「これが分かった暁には、あなたにとって私は必要ではありません」
それからどれくらいか過ぎて、ヘリゲルさんが弓を射っていたら、師匠がヘリゲルさんに向かってお辞儀をした。
「いましがた≪それ≫がいました」
「それに対し、私とあなたは一礼しなければなりません」
もう数年たっていました。
私が変わったのです。
ここからやっと的に向かって打つことが許されました。今までは、的じゃなくて、2mほど先に置いた藁束に向かって打っていたのです。
四年ぐらい修行を重ねて、思ったようにできない(あるいは理屈をこねる外人)を見かねた師匠が、他では披露したことのない技を見せてくれた。もしかして、師匠は何十年も同じ場所で、同じ的を使って弓を射ているから、狙いをつけず、無意識で動作をしても当たるのではないか。慣れの問題ではないのかと、疑うようになっていた。
深夜、真っ暗で50m先の的が全く見えないところで、師匠が矢を二回射た。矢はともに的を貫いたことは、音で分かった。ロウソクを持って近づいてみると、一の矢は的の真芯に命中していた。二の矢は、一の矢の芯棒を、真っ二つに割いて、やはり真芯に当たっていた。
この古い「弓と禅」を欧米で有名にしたのはジョブズです。
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