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世界の歴史

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ライバル

今まで人生の中で、ライバルに出会うということを経験した人もいるでしょう。仕事のライバルであったり、勉強のライバルであったり、スポーツのライバルであったり、あるいは、恋のライバルであったり。歴史の人物の中でも、ライバル同士の名勝負というのものがみられます。有名なところを少しあげてみると・・・

アレクサンダー大王ダレイオス1世

項羽劉邦

ハンニバルスキピオ

カエサルポンペイウス

諸葛孔明司馬仲達

リチャード1世サラディン

ナポレオンウェリントン

グラントリー

などなど。いずれも、死闘を繰り広げ、あるものは敗れて死に、あるものは勝利して栄光を掴み取ります。また、ライバルとの戦いに勝利したものも、その後なんでもないことで破滅してしまうなんてこともあります。

さて、今回、紹介したい人物は、古代ガリアの英雄、ウェルキンゲトリクスという人物です。この人は、あまり一般には知られていない人物ですね。どういう人物かというと、ローマの英雄、カエサルがガリア遠征時に戦ったガリア人の王の一人です。フランスのほうでは、ジャンヌ・ダルクと同じくらい有名で、人気があるようです。

当時のガリア人たちは、多数のの部族にわかれて互いに争っており、統一性がありませんでした。カエサルは、そこに目をつけ、侵攻したり、あるいは懐柔したりしながら徐々に支配を進めていきます。ところが、ローマの支配を受け入れないガリア人による反乱が各地で起きます。その時、今までまとまりのなかったガリア人たちをまとめあげ、組織的な抵抗を行ったのがウェルキンゲトリクスでした。彼は、地の利を活かした徹底的なゲリラ戦法でカエサルを苦しめます。しかし、アレシアという城砦に追い込まれて包囲されてしまいます。奇襲攻撃で最後の抵抗をみせますが、結局敗れてしまいます。ウェルキンゲトリクスは、兵士たちの命と引き換えに自ら投降し、ローマへ連行され、数年後、カエサルのガリア遠征の凱旋式の後に処刑されてしまいます。まだ、20代だったそうです。カエサルは、ウェルキンゲトリクスの実力を惜しんで、最後まで部下に引き入れようと考えていたといいますが、やはり危険すぎると思ったのでしょう。「両雄並び立たず」ということでしょうね。

その後、カエサルは、最大のライバルであるポンペイウスとの雌雄を決する戦いに勝利し、天下を平定します。しかし、そんなカエサルも、最も信頼する部下の一人であったブルートゥスを首班とする共和主義者たちに暗殺されるという悲惨な死を迎えるということは、多くの人が知るところですね。

ちなみに、僕はこれを書いている間、巨大ゴキブリと死闘を繰り広げ、ようやく勝利を収めることができました。ゴキブリを一匹見たら、百匹はいると思えっていいますよね。もし、ゴキブリ界にウェルキンゲトリクスみたいな英雄が現れて、反乱を起こされたら・・・ゾワワー!! 考えたくもないです(T_T)

あだ名について

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みなさんは、あだ名をつけられたことがありますか?誰でも一度や二度はつけられたことがあるのではないかなと思います。歴史上の人物もよくあだ名をつけられることがあります。

有名なところでは、第三回十字軍遠征に参加したイングランド王のリチャード1世があげられます。この人は、勇猛な戦い方をするということで、獅子心王リチャード(Richard, the Lion hearted)と呼ばれるようになりました。余談ですが、SMAPの「らいおんハート」という曲は、この人をイメージしているという話を聞いたことがあります。

他にも、紹介したい人物はたくさんいるのですが、今回は黒太子エドワード(Edward, the Black Prince)という人について書いてみたいと思います。この人は、英仏の百年戦争の時代に活躍したイングランドの皇太子で、当時のイングランド王エドワード3世の世嗣です。また余談になりますが、僕は高校の世界史の時間に「黒太子エドワードは、なんで黒太子というのか?」と質問したところ、先生に「そんなことは知らんでもいい、とにかく暗記しろ!」と言われました。こういう教育が学生の歴史嫌いに拍車をかけるんじゃないかなと思います。

黒太子エドワードは、イングランドの長弓部隊を率いてフランス軍と戦うのですが、とにかく強くて、この人が指揮している間、イングランド軍は連戦連勝でした。イングランドの長弓がフランスの弩よりも速射性に優れていたこともありますが、何よりも黒太子エドワード個人の能力の高さが勝因であったと思います。百年戦争の前半は、黒太子エドワードの一人舞台でした。こんなに活躍した人が、どうして即位してエドワード4世と呼ばれるようにならなかったかというと、答えは簡単、若くして死んでしまったからなんですね。病死でした。

「黒太子」というあだ名の所以は、鎧の色が黒かったからだとか、黒髪だったからだとか、黒死病(ペスト)に侵されて肌の色が黒かったからだとか言われていますが、正確なところはわかっていません。ですが、イギリスでは今でも騎士道精神の鏡であるとして尊敬を受けているようです。

それにしても、「黒太子」なんてカッコいいあだ名ですよね。一度でいいからそんなカッコいいあだ名をつけられてみたいものです。ちなみに、僕がつけられて一番嫌だったあだ名は「コパンダ」です。何で「コ」なんだよって!って感じです、トホホ・・・(T_T)

(既出ですが、間違って削除してしまったので再投稿です、すみません)

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1d/e0/aries1974_sagittarius1997/folder/799675/img_799675_11130350_0?20050919232700.jpg

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まずは、三国志についてひとつ書いてみたいと思います。

三国志を読んで、歴史に興味を持ちはじめた人も多いのではないかと思いますが、実は僕もその一人なのです。昔の中国の魏・呉・蜀という3つの国が争った、いわゆる三国時代のお話で、多くのの英雄、豪傑、策士が登場し、それらがとても魅力的に描かれている名作です。

おそらく、一般的に読まれている三国志は「三国志演義」というものを元に小説化されたお話であり、史実とは異なる部分が多くみられるようです。特に、蜀という国がひいきされて描かれているようです。
今日は、その蜀の軍師、諸葛孔明という人物について書きたい思います。

僕は昔、諸葛孔明と聞けば、無敵の軍師であると思っていました。これは、僕だけではないと思います。
しかし、田中芳樹さんが著書の中で時々書いておられますが、孔明は、主君の劉備が死ぬまでは全く軍事面での活動をしていないらしいのです。しかも、劉備が死んで、孔明が軍隊を動かすようになってからは、蜀はほとんど大きな戦いに勝てていないとも述べておられます。どうやら、孔明は政治家(軍政家)としては超一流であったようですが、軍師としては二流、三流であったようです。

僕は、これの話を知ったとき、とてもショックを受けましたが、面白いなとも思いました。これは、別に孔明の評価を下げるものではないと思います。むしろ、秀才ではあるが、能力に限界があり、支えきれないものを必死で支えようとする気骨のある官吏という感じがして好感を持ちました。そのほうが人間味があって、ドラマチックであるような気さえします。

しかし、孔明自身は自分のことをどう思ってたのでしょうか?軍師であるとの自覚はあったんでしょうか?僕は、孔明は自分の軍事能力の限界を良く知っていたけれど、一種のブラフ(はったり)として、軍事的天才であるかのように演じていたのではないかな…とも思います。まあ、軍師という呼称に対する憧れのようなものはあったのではないでしょうか?

それでは、中国史上、最も優れた軍師とは…? みなさんは誰を想像しますか?

僕は… その話は、また機会があれば(^^)

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