健康120歳, ついに50年計画スタート!そし香港、自分の再発見

120歳まで、あと48年となりました(^O^) カタツムリの更新です。

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尾道の昼と夜

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5/1出雲を出発、倉敷経由で尾道に着きました。
列車の窓から目を凝らしていたのですが、海もあまりよく見えず、初めての尾道にそれほどの期待をしていませんでした。

ところがTAXIで千光寺山荘に着いてから、見るところ眺めるところ、全てが感動でした。チェックインまで一時間あるというので、トランクを置いて山頂へ上がってみました。膝を傷めているので可成ラクではありませんでしたが、来てよかったと思いました。

語彙に乏しい私には、うまくあらわせません。ましてや短歌や俳句にその感動を込める術も知りません。頼みは3台のデジカメだけです。まず、眼下の眺望をご覧ください。

夕方から夜にかけての尾道の素敵な表情の移り変わりに、心打たれない人はいまいと思われました。

男たちの大和

イメージ 15/1は尾道を訪れました。
TAXIのドライバーに、尾道の見所を訊ねました。

彼は、千光寺山頂とYAMATOの実物大ロケセットを紹介してくれました。
YAMATOは5/7まで公開が延長されたもので、聴くところによると参観者は100万とも150万人とも言われているとのこと。一見の価値ありと言いました。

尾道市駅の正面にある向島に造船所があります。少し雨がぱらつく5/2朝、小さなフェリーで、鏡のように静かな内海を渡り、島に向かいます。

フェリー乗船者は少なかったのですが、バス乗り場には「男たちの大和」実物大の模型を見るために長蛇の列が出来ていました。

前方の部分から2/3の実物大に造られた巨艦の姿を、複雑な思いで見学しました。

日清.日露の戦争での勝利が、大鑑巨砲主義を固持させ、結局は国力の消耗を決定づけたこと。
暗号がすべて筒抜けで出港に際して丸腰で出掛け、満身創痍で撃沈されたに等しかったこと。
乗組員の多くが少年兵であったこと。また、3000人を超えるなか生き残れたのは僅か一割にも満たなかったこと。
YAMATOが完成する頃は、物資が窮乏して国民の多くがタケノコ生活を強いられていたこと。

かたや、戦略では大敗を喫したものの、YAMATOなどを造った技術力が戦後復興を確実にし、JAPAN AS No1と言わしめるまでの技術革新が出来、経済力世界第二位にまで上りつめることにもなったこと。

戦時体制で、個々の思いを越え、「挙国一致」の目標があったこと。
国のため、家族のためと信じ、犠牲となって死んでいった若者たち。
彼らの命を賭した犠牲のおかげで、今日の平和と物質的豊かさを手にすることができた私たち。

今の私たちの生活のあり方と、私たちの死に様が、子孫の未来を形作るになる、
彼ら先人たちの死を決してムダにしてはいけない。

そして、10年くらい前のことですが、出雲で紹介されお会いした当時84歳の、ある茶道の宗匠が、生きざま死に様についてお尋ねした私に、『自然体ですよ』と微笑まれたのを思い出しました。

YAMATOに乗艦した少年兵たち、「彼らの自然体」は戦争での玉砕しかなかったのです。
今に生きる、いのちの尊さを、噛み締めねばなりませんね。

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ポール.アンカ Live in Hong Kongを掲載して、夜の鳥取駅の地下歩道でギターをかき鳴らし大声で唄っていた二人の少年を思い出しました。

*ゴールデンウイークに路上ライブします♪

こんなチラシを配っていました。↑

私は歌も唄えないし楽器も演奏できないので、時折目にするストリートミュウジシャンにはあまり関心がありませんでした。

一昨年、友人たちに「ありがとうの歌CDをつくろう!」と呼びかけ、一人の少年が、友人の詩に曲をつけ録音してくれました。その少年の真面目な歌いぶりと演奏がとても気に入りました。ミュージックをこのブログでご紹介したいと思うのですが方法がわかりません(^ ^♪

鳥取駅の二人の少年の歌も、「僕たちは心を込めて、努力した。何も悔いるものはない」と言った内容だったと思います。

ケンタ君と898君の二人、5/3、7のライブ成功したことを祈ります。
写真を撮っただけで、あまり深い会話はしませんでしたが、真面目な二人との印象を得ました。

きっといつか、ポールアンカのように「Its My Life」と自信をもって振り返ってくれる時を楽しみにしたいと思います。電話もアドレスも尋ねなかったのは、、、、/(+_+)


ケンタ君と898君、これからも健闘を祈ります\(^o^)/

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      ★どじょうすくい饅頭は検索できませんでしたが、踊りについて、
           お二人のどじょうすくい踊りMasterのURLをみつけました★
                        o(*^∇^*)o

      どじょうが田んぼから姿を消してずいぶんになりますが、若い人たちはこの踊りを見て、

      強い農薬を使うこともなく、安全な食品を手に入れることができ、どじょうやメダカ、その      
      他の田園の生態系のバランスが取れていた、よき環境の頃に思いを馳せることが出来れば、

      踊りの意義大変大きいと思います。いや、スローライフが提唱される今こそ、安全農業、安

      全漁業、適切な森林管理の復活に、どじょうすくいの踊りは大変重要であると思います。
                   
                       ◎◎◎◎◎◎


イメージ 2 1.ふところ手で、ザルを頭にして腰を落し中央に進む
2.ザルを頭からとり前をみてにっこり笑う
3.どじょうをさがして指をさす
4.腰をおとしてどじょうをおう
5.6.どじょうをすくう動作を2回くりかえす


7.すくい終わるとザルの中の土をふるい落してどじょうを選別する
8.笑顔でどじょうをビクの中に入れる
9.ザルの中の土をザルの底をたたいて落す
10.顔についた土をぬぐう

4.〜7.の動作をくりかえす
11.どじょうがビクから逃げる動作をする
12.逃げたどじょうを手でおさえつける
13.手でおさえたどじょうをつかまえる
14.ようやくつかんだどじょうをビクの中に入れる
15.ビクに入れたどじょうがたんまりといるのを見てうれしそうに笑う

4.の動作をする
16.足にヒルがついている
17.これは大変と指でヒルをむしりとる
18.やっと足からヒルがとれたかと思うと今度は指に吸いついてなかなかとれないすばやくとってなげすてる
19.落ちたヒルが再び近くにこないようにザルで遠くに追いやる
20.ここでザルを手にしてニッコリ笑って退場する

 民謡「安来節」は代表的な日本民謡の一つであるが、全国的に安来節の人気を高らしめたのは出雲の初代・渡部お糸さんである。お糸さんの父は、渡部佐兵衛で、幼児より父の厳しい稽古を受け、中でも寒稽古は寒風吹き荒れる川の堤防で喉を鍛えられた、と言われる。「努力は天才に勝る」と良く言われるが、生まれつきの素質と厳しい修行の積み重ねで頭角を表し、天才少女と言われるほどになった。 やがて、東京へ出て唄い始め、レコードを吹き込むと、お糸さんの唄の上手さ、評価は全国的に広まり、それまでローカル民謡だった「安来節」も全国版民謡へと知れわたるようになった。
お糸さんの一座がはじめて東京公演したのは、大正6年4月で、はじめは出雲の数人の芸姑が踊り子として参加していたのが、踊り「どじょうすくい」を併せて公演するようになって、安来節の人気は益々人気を高くした。

その後安来節は50余年間、人気を集め東京・大阪で安来節常設館が幾つも誕生、全盛をきわめた。

安来節「どじょうすくい踊り」は「鰌すくい」とも「土壌すくい」とも言われるが、はっきりとした文献はない。

前者は「うなぎ」を念頭において構成したと言われる。大阪の「うなぎや」の屋号は「出雲屋」が多く、出雲のうなぎを使うところからきたとされる。出雲地方では、盆踊りのあと、若い衆が川から「どじょう」を捕るという風習がある、ことにもとづいたものである。

後者の「土壌すくい」は、出雲では砂鉄がよく取れ、その砂鉄をとる動作、つまり土壌すくいからその振りが付けられた、というものである。

これによると、踊り手が笊を持つのは、砂鉄と砂を振り分ける所作にるというものである。正調・安来節保存会は全国に約8、500名の会員を有し各地で切磋琢磨、自己研鑽を重ね、年一回開催される「安来節資格審査会」に挑んでいる。



その「安来節資格審査会」は「唄」・「絃」・「鼓」・「踊」に分かれ、新人は「三級」・「二級」から「一級」「初段」「二段」「三段」、上は「准師範」・「師範」を目標に挑戦する。また、毎年8月には安来節の大イベント・「安来節全国優勝大会」と銘打って、部門別・階級別の日本一を決めるコンクールが開催される。各支部の予選大会を突破した者ばかりの、支部代表が出場します。

正調安来節保存会のどじょうすくい踊り
准名人一宇川流家元一宇川勤氏のURL http://www.toraz.jp/yasugibushi-ya/ より借用しました。
どじょうすくい男踊り
安来節の調子に合わせて、小川でどじょうをすくうときの動作を振り付けたものでとくに固定した形はなく野趣をそのまま面白く踊り、我流を織りまぜてローカル性豊かに踊ることが好まれる。動作に合わせてとくにユーモラスな顔を作ることも大切なことである。


★このURLも大変ユニークで面白い内容です。
↓↓↓↓
荒木八洲雄の 「どじょうすくいだよ、人生は。」 ---Yasuo Araki =master of Japanese folk dance=
http://arakiyasuo.exblog.jp/
荒木八洲雄は、どじょうすくいと安来節に人生を賭けた男。
私の踊りもおもしろいが、私の人生はもっとおもしろいよ。
わたしのすべてをご紹介しましょう。
最後までおつきあいを、頼んますけんねぇ。
イメージ 1足立美術館へは

安来市で下車しました。

駅構内にひょうきんな看板、

駅の外には観光案内所があり、

すくい愛と題した石像が目を引きました。

とりあえず写真だけとって、

後日インタネットで検索しました。


★どじょうすくい踊りのはじまり★

この安来節と共に生きてきたのが皆様お馴染みの「どじょうすくい踊り」。「あら、えっさっさ〜」の掛け声とともに始まるこの踊りの由来は、江戸時代末期にまでさかのぼります。

いつの時代でも「飲ン兵衛」というものが居り、安来の郷でもご多分に漏れず、ドブロク徳利を後生大事に抱えた「飲ン兵衛」達が、近くの小川で捕ってきた泥鰌を肴にいつもの酒盛りを始めた時、ほろ酔い気分も手伝ってか、その泥鰌を掬う仕草を安来節に合わせて即興的に踊ったのがその始まりだといわれています。

初めは野良着姿の野暮ったい「どじょうすくい」踊りでしたが、長い歳月を経てリズミカルに形作られ、お糸一座の活躍とも相まって次第に大衆の生活(宴席とも言う)の中に溶け込んでいき、今では「安来節」と言えば「どじょうすくい」を連想されるくらい、切っても切れない、一心同体の間柄になっています。

全国にその名を知られ多くの方々に親しまれている「安来節」。それは、安来の人々が育んできた暮らしの唄で、歴史の変遷を経て来た現在の安来市にその軽快なリズムが流れるとき、米や砂鉄の積み出し港として賑わった往時のたたずまいを偲ぶことができます。

安来市役所(地域振興部 商工観光課)
http://www.city.yasugi.shimane.jp/kanko/
いろんなことが紹介されていますよ。

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