|
まっすぐにそそり立つオクラのように、勢いのある勃起に目覚めたのは5時, アルカリイオン水と活性炭で濾過された湯が浴槽に満ちるまでの数分間、 丹田呼吸で柔軟体操をしたあと、数個の電氣石(トルマリン)を沈めた風呂に体を浸した。 浴槽から溢れださんばかりのなめらかな感触の湯に身を沈めると、皮膚がイキイキしてくる。 感冒の頭重はほとんど息を潜め、かわりに耳鳴りの音が、 森の静寂を際だたせるあの独特のノイズに似て、俺の中のイノチの営みをかみしめる。 階下の麺類屋でA餐朝食を(ケチャップ大豆、卵焼き、トーストの上にツナ、 一片の薄切りトマト)と、 香港ならではの鴛鴦茶(珈琲+ミルクティーのミックス)を満喫した。 店を出て辺りを見回しても日曜の朝は人の姿はまばらである。 健康100歳達成を目指す35年計画ををスタートして50日あまり、 このプランはほぼ2年前の毎朝の散歩で考えついたものだ。 街の四角を巡る最短の10分間散歩コースを今朝久ぶりに歩いてみた。 空を見あげると昨日とはうって変わって薄ら寒く、灰色のガスがメガポリスの上空に厚く覆いかぶさっている。 同じ雲でも成層圏から見下ろすと透明な紺色の世界に上空から光を受けて 思い思いの姿で輝き広がるさまはとても美しい。黄昏から暗闇の夜間への変化を機上から眺めていると 時間の経つのを忘れさせられる。 雲の厚さや量はどんなに大きく広くても、昼間であれば大空の一部でしかないことがよく分かる。 科学の発展によって天気予報の精度は格段によくなった。 しかし、どこからが雨や雪、ひょう、霰なのか、周囲の温度や、吹く風によっていろいろ姿を変えて 地上に降りてくる。方向があるようで決まってない。降下の時や量の予測は未だに困難である。 空に浮かぶ雲を見ているとオレのみる夢は雲の塊に似ているかなと思う。 記憶庫の時間がなくなって、突然風に乗って沸き起こったり、閃光を受けて元の雲の衣装を捨て去り 前、霰、雪のように俺の意識に浮かび上がってくるのだ。磁力線で体をスライスして連続撮影されたフィルムが まるでトランプのカードが無作為に並べ替えられたようでもある。 でたらめな内容に思う解釈に苦しむ夢の内容も、いままでみた夢の多くをメモした日記を読むと、 その夢の原因に辿り着けることが多い。 今日はオカダモキチ師にゆかりの深い、そして私のパトロンでもある分会を香港島に設立して 25周年記念日なのだ。思い返せば人助けが出来ると勧められ入会して以来37年、 ある意味では、この会の指導する徹底した服従と感謝及び誠実の要求は、 会員の上層部への疑問があたかも反抗や罪悪かのように彼等の精神を縛りつけることにもなった。 文句の多い人とのレッテルを貼られて口惜しくい懊悩を余儀なくされ、 また一方では彼の教義に教えられ強く支えられきたものだ。 よく考えて見ると、香港に派遣されて来たのは、 国内では反抗心の強い事だけが目立ち誤解を招きやすいオレに 思いのままに生きてきるがよいと彼がチャンスを与えてくれたのかも知れないのだ。 20年以上も習った英語は香港に赴任して試したが殆ど通じない。洋人とちがって 一般の香港の人にはジッと聴いてもらうことなど期待できないだけでなく バカにした表情が返されるか全く無視されたとき、心中に炎が燃え上がって来たものだ。 おッ〜し、そんな英語は全部先生にお返しして一からカントン語覚えてやろう。 それから35年が経過した。 マ〜ま〜話せ、イチオウの聴き取りはできるようにはなったものの、 オレは自分の能力を思いきり知らされることになった。漢字文化は日本のそれではない。 返り点で補佐された漢文すら十分には吸収できていないし、英語は幼児なみ、その上 中国の共通語(国語)は全くチンプンカンプン。。。 香港の会員はよくもこんなオレに続いてくれてきたものだ。いやオレに追いて来たのではない。 オカダモキチ師の教義の一部「病気治癒」の錦の御旗に魅惑されてきたのだ。 彼等もオレと変らないコースを歩んでいるのだ。或いはオレの目覚めが彼等の迷妄を解き放てる かもしれない。2008年はオレにも、会員にとっても大きなターニングポイントだ。 功利主義で入会している多くの人達には話して解るものではない。実証が必要なのだ。 「66歳になるまでは人の批評など出来るものではない」といった意味の格言があるそうだ。 じっさい若くしてリーダーとなった同士の多くが、精神面または健康面に支障を来しての 会のキャッチフレーズである治癒のお蔭を自ら証明できずに挫折していった。 またお蔭を標榜しているものの、会の勢いは景気に連動しているようで、 この十数年ずっと会員は減少の一途をたどっている。 「お蔭」は単なる入会勧誘の成果や集会参加だけで実現できるわけではないことが 分かって来たのだろう。 先進世界は好む好まないに関係なく老化し、団塊の世代の大量リタイアが老人社会を顕著にする。 信仰と健康面で見る限り、やはり長い人生経験を積んだ真の意味の長老による顕彰が必要である。 オレが100歳になったとき、人の世話にならなくとも日常生活を送れているるだけでなく、 他人を助けることができることを実証する特別記者会見の時に、 ずーっと支えてくれた一人でも多く会員にも共に栄光を享受して欲しいと思う。 そんなことを思いながら、 背筋を伸ばし両腕を振って踵で強く路面を蹴った。 90度に固定されて50年の両腕関節の動きは、街のおっさんの競歩スタイルだ。 えーやんけ、これがオレなんだ。人の目をまだ気にしていた2年前の自分は影すら留めていない。 (続)
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




