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何かと批判される東京電力、
でもそんな人たちばかりではないと思っていたら
今回4/7の地震で、東北電力停電時、自分たちも大変な状況で東北側に凄く迅速に電力を提供したらしい。
あまり表に出ていないニュースだが、こんな小さなことでもいい。
どんどん公表していくべきだ。
もちろん悪いところは確かに指摘すべき。
準備不足や供えが足りないのも然り。今回はしゃれにならない。本当に怒っていい。
しかしその一方でで、組織の中で変わろうとなさっている、
もしくは一歩踏み出そうとなさっている方々もいるのではなかろうか。
こんな状況だからこそ、
ひとつでもいいところ、がんばってるところを外部の人間が拾い上げ
それを広く報道しそれが彼らに伝われば、会社全体の行動が変わっていくのではなかろうか?
私にも東電に知り合いがいる。一人ひとりに悪い人はいない。
彼らは批判を素直に受けとめている。批判されすぎて動けなくなっているようにも見える。
東電は悪いニュースばかりだが、いいニュースはこれからも受け止めてみんなに発信していきたい。
それが、東電の現場の皆さんを勇気付け、奮い立たせ、ひいては我々の生活の復旧にも
つながっていくと思うから。
。。。。。それでも、思うところはあるんだけどね。人間小さくてすみません。
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思うところ
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政府が後手に回っているのを尻目に、
今、自治体が元気だ。
いわき市が孤立して水不足になった際、
友好都市の港区は自分たちが備蓄していたほとんどの水を
送って援助した。
ところが、原発の被害で金町浄水場がおせんされると港区も水不足に。
ここで、岐阜のとある自治体が、港区を援助。
とってもすばらしいと思う。
いわき市は風評被害で水不足というのに政府は助けてくれなかった。
しかし、それぞれの自治体は違う。
友好関係を結び互いに助け合うという真の関係を結んでいたからこそ
このことがなしえることができたのかと思う。
あと、静岡のメガフロート提供。
排水処理に、浮島の空洞を使うという発想をいち早く提供した静岡は
すばらしいと思う。
いま、自治体が少しづつ力をつけているように思う。
地方こそ、この日本が立ち上がれる本当の力なのかもしれない。
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面白くない話なので、、、いつもの方はスルーしちゃってください。
政府の対応には不信感ばかりが募る
○水の指標値は3/18に変更になっている。
・ヨウ素安全指標値 3/17まで 10ベクレル → 3/18から 300ベクレル
・セシウム安全指標値 3/17まで 10ベクレル → 3/18から 200ベクレル
金町浄水場で120ベクレルで大人には影響ないって言ってたけど
3/17の指標からすれば12倍、うーん
○野菜の検査は良く洗っているらしい
それでも数万レベルの値が出る、彼らは何を隠しているのか?
○放射線はもれている
あきらかにそうだ、雨のときそれは顕著にでてきている。
○そもそも健康被害は直ちに出ない
1年後、3年後、10年後じわり、ジワリとやってくる。
そして何より放射線との関係は証明できない。
例え関係性があるように見えてもそれを証明することは不可能。
明らかな詭弁。
不安の中、正しい情報をつかみどう行動するかは各個人の判断に
ゆだねられている。特に健康系にとっては石橋をたたくくらいでちょうどいい。
まともな基準値なんて本当は無いのだから。
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ちょうど今頃ブログを開設して早1年、
訪問者が4000人を超えてました。
ほぼ毎日10人以上の方が訪問してくださってことです。びっくり!
最悪の健康状態から始まったブログ。
病気の治療とダイエットから始めて、色々書き綴ってきました。
当初の趣旨とは色々変わっていますが、皆様に
支えられて続けていけている感じがします。
友達の方、そして互いにブログ訪問している方の
色んな考えに触れて、自分が新しい領域に踏み出せているような気がします。
最近は忙しくてろくな記事も投稿できていませんが
あせることなく、しかししっかりとこのブログ続けていこうと思います。
これからも皆様のご支援、宜しくお願いします。
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先ほどの記事で、無くなった技官の家にご挨拶する件ですが
残念ながらいけなかった。
奥様が看護婦で、当日急用ができて、、、時間切れ。
まあまた来るさって思っていますが、、、
今年2月頃から、僕もちょっとした病気になり、何とか生還した今
いつなにがあるかわからないって思った。
いまもなーんか調子悪いし、、今のうちにあの方の位牌に挨拶をしておきたかった。
あの方はいつでもみんなの事を考えてくれた。
一番だらしなく、自己主張が強い、そのくせ何もできなかった僕にもちゃーんと
話をしてくれた。思えば困ったときには彼がいたのだ。
でも、あえなかった。
彼は、晩年組織が変わって大変だったそうだ、
僕の先生が新しい組織を作ったとき、制度の壁で学科を移れず
彼は残った組織でそれでもがんばった。
しかしここ2−3年、新しく来た教授、准教授の確執の犠牲になり
胃をわずらうことが多くなって、今回の悲劇が起きたのだという。
都合がいい考え方だけど、、こう考えるようにした。
彼に会いに行くと、彼を取り巻いた不幸の思念が僕を引っ張って行っちゃうんじゃないか
彼はそれを心配してあの世から少しだけ運命を変えたんじゃないかと
まだ来るんじゃない。元気になってから顔を見せに来い!
そんな風に感じている。
大丈夫ですよ、、僕はまだまだ、、、それどころかこれからますます元気でいます。
あなたの志を受け継いだものとして、、、
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