田舎で暮らせば

変わるのは風景だけではない

市民と村民

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 リセットという言い方は、やはりちょっとヘンですね。それまでの暮らし方を否定するようでもあるし、そのうえに始まった現在のイメージも、あまり明るいものではないようです。ちょっと、考えてみます。
 ここに来るきっかけになった「百姓天国」以来の知り合いが、彼のブログで面白いことを書いていました。「10年前なら、田舎暮らしを始めるなんて、どんな酔狂な変人かとまわりに思われたが、今ではまた新しい奴らが来た」と、ごくふつうに受け入れられる、と。その通りです。
 私たちも、当初は「オームだ」と思われていたようです。そのころ、私たちより2,3年早く「作物を作り、都市に供給する」と決めてこの町に来た家族がいます。彼は、不幸にも数年前に事故で亡くなったのですが、その人が宝島の「田舎暮らしの本」の取材を受けたことがありました。彼が宝島の編集者に聞いた話では、田舎暮らしを始めた人の80%は3年も持たずに出て行ってしまうのだそうです。きつい農作業、安い作物価格、という経済的なこともあったでしょうし、立ち居振る舞いの都市との暮らし方のちがいに対応できなかった人もあったでしょう。
 今、同じデータをとれば、この10年でかなり定着率が高くなったのではないかという気がします。一つは、迎える側の人たちが、確かに、「よそ者」に慣れてきたと思います。もうひとつは、企業的(?)農業というか、そういう方法が官民一体というか…そういう雰囲気があることと、第二の人生を自然にあふれた田舎で、派、がすごくふえたことです。

 このブログ、写真を入れないと受け付けてくれなくなりました。なので、適当に写真入れます。トマトの写真は、ハウストマトとしては私が思うには国東半島でいちばん美味しく、いちばん低農薬(農薬8割り減)で作られている田中さんのトマトです。実に美味しいのです。一粒直径4,5センチで使いやすく、美味です。何だか宣伝のようですが、宣伝です。1キロ1500円です。6月一杯です。食べてみようと思われる方を募っています。

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農村環境改善センター

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 固定資産税を払いに改善センターに行ってきました。改善センターは、正式には「農村環境改善センター」と言います。役場の出張所のようなものです。各種の証明書が取れたり、税金を払ったりする窓口の他に体育館や和室などがあり、田舎では小学校と並ぶ立派な建物です。バレーボールなら2試合同時にできる体育館では、この地域の地区対抗ミニバレーや卓球大会が開かれたり、選挙の時は投票所になります。和室では、町の教育委員会が世話をする「公民大学」のお茶やお花の教室に使われたりします。
 10年前、「環境改善センター」という名前を初めて見たとき、びっくりしました。農村環境を改善するとはどういうことでしょう? そこには改善すべきものとして農村があるということなのでしょうが、スポーツに親しむ機会やお茶やお花を習って教養でもつけることが、農村の環境を改善するということなのでしょうか? 改善すべき農村の環境とは、いったい何でしょうか? 
 では、改善センターのない東京や都市の環境は改善すべき点のない申し分のないところでしょうか?
 この施設は行政が作った施設なので、たぶんこの国の過疎地には「●●地区農村環境改善センター」という立派な建物が、自然環境と全く調和せずあちこちにあるのではないでしょうか? 
 もうひとつ、この町にはB&Gの体育施設があります。私の知っているかぎり一つおいた両隣の町にもあります。体育館とプール、野球場もあるかもしれません。これは、今は日本財団とかいう、かの笹川良一氏が日本のあちこちに作った体育施設のようです。ここの体育館は、改善センターにくらべて格段に広いので町全体の卓球大会やミニバレーの大会などに使われます。B$Gというのはブルーシーアンドグリーンナントカという名前らしいのですが、笹川氏のほうがよほど田舎を理解していたと思われます。

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文化は辺境にあるか?

すぐには、分かりようもないと思いつつ、悩ましい問題です。
「文化は辺境にある」と最初に教えてくださったのは、鶴見俊輔さんでした。30年前のことです。
そして、このところ汽車の旅の友だち、宮城谷昌光さんが「子産」の中で孔子の言葉として同じようなことを書いています。
すると、ここには文化が残っているのでしょうか? 5年ほど前、「京都は田舎の総本山だ」と思ったことがあります。人と人との上辺を平らかにするつきあい方、とかとかで。そのときは「お墓と土地を伝えていかなければいけない土地の人は、波風立てずに生きていくことが知恵。都会暮らしの人のように、いざとなれば引っ越せばいい」という訳にはいかないのだと理解しました。
ここにきてまた、訳が分からなくなってしまいました。
文化とは、一体何でしょうか? 正直なところ「文化鍋、文化包丁、文化住宅」しか頭に出てこないのですよ。食文化という言葉も流行っているし、新聞には文化欄というのもあるし、ちなみに私は文化学科の出身で、仄聞したところによればこの町には「国見町の文化を高める会」というのがあるとか…。
私がこの地でそう思えるのは、味噌を麹から自分で作れるようになったこと、柿酢を作ったこと、くらいでしょうか。どうも、何も混乱に陥っています。
どうぞ、教えてください。

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お接待

 旧暦の3月20日は、この地区の「お接待」でした。お接待は、弘法大師にちなんだ行事です。昔、弘法大師がこの地を訪れたとかとか…。当番にあたった隣保班では2,3日前にワラビを採りにいき、前日にタケノコやしいたけ、高菜の下ごしらえをし、当日の朝早くから男たちは「お弘法さま」(小さなお石仏)を迎えにいき、お参りに来る人のために場所を作り、女たちは椎茸やワラビ、高菜を炊き、ご飯を炊き、平たい皿に盛りつけていきます。
 11時すぎごろから近所の人、近所でない人、町内の会社の人たちがさい銭をもって、お昼ご飯代わりにお参りにきます。給仕は男、その他すべては女の役目。裏方のお昼時は皿を洗ったり、盛りつけたり、ご飯を炊き足したり、はては夜の宴会のために魚をさばいている人もいたりして、大変な騒ぎです。天気が良く、日が良かったりすれば数百人というお参りがあります。
 夏は、なぜか新暦の8月20日です。以前は「うどん」を出していたのですが、O-157以来、かっぱえびせんなどのお菓子にするところが増えました。最近はまた、「うどん」が復活しつつありますが、うどんだと作る方は大変で、お菓子だと費用が大変です。私の地区では3年に一回、当番が回ってきて、上の地区は一年おき、下の地区は家が多いので6年か7年に一回ではないでしょうか。上の地区は、ご飯をやめてお菓子にしています。
 ここに来て、はじめて知った行事です。両隣の町でもお接待はありますから、国東半島全域に残っているのではないでしょうか。
 ケベス祭りといい、お接待といい、鉄道が通らなかった代わりに、古い行事やことがらが飛ばされずに残っています。

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水の国

連休明け、北陸線に乗っていました。北陸トンネルをすぎて福井、石川、富山あたりは水田が広がっています。田んぼは、アラ開けが終わり代掻きもすんで、畦のすれすれに水が張ってありました。どの田んぼもどの田んぼも水をたたえ、田んぼに囲まれた家など、水の中に浮かんでいるようで「ベニスはこういうところかしらん」と、思ったりしました。この国は、水の国だったのですね。何度も何度も通った線路なのに、初めて気がつきました。百姓が身に付いたのでしょうか?
 九州の、うちのあたりでは、早期米を別にすればまだ水は入っていません。レンゲソウが咲いていたり、トラクターですいてあったり、畦草はきれいになっていますが土のままです。年々気温が高くなり、いつもどおり6月10日すぎに田植えをすると、高温障害が出ます。農政局などでは、7月に入って田植えをすれば十分と呼びかけています。が、自分の家族や都会に住む子どもや親戚に送る程度の米を作っているここの人びとは、やはり、誰かが田植えをすればうずうずして、自分もしないではいられません。みんな、トラクターも田植機も自前で持っているのですから…。
 さて、今年の稲はどうなるのでしょう。去年は、私たちがここで米を造りはじめて11年間の、最低の出来でしたが…。明日は、籾まきです。

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