肺がん闘病記!あきらめたらあかん・肺腺がん・3Bからの生還/生存

5年生存率13%、多くの人に勇気をもらいました、私も誰かのお役に立てればと思いブログを通し勇気と希望と元気を・・・・

肺腺がん3b期・闘病記

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・・・あとがき・・・

◆(現在)◆


わたしの闘病記をご覧になられたみなさん、貴重なお時間ありがとうございました、

また今現在闘病されている方、そのご家族の方、癌と告知され絶望感に陥っている方、

そう・・あなたです・・・でも大丈夫です、癌は治る病気です、希望は有ります、

がんは今現在も手ごわい病気です、ですが治らない難病も数多くあります、

でもがんは治る病気です、誰がなんと言おうとがんは治る病気です、

・・・だから絶対最後まで・・あきらめたらあかん・・・


わたしも闘病中はインターネットや書籍等で色々と末期癌が治ったとか、

癌が消えたとか、そんな書籍を目にしながら、「この人たちは運が良かったんだ」とか

「この人たちは特別な人達なんだ」とかそう思いながら見てました、

しかしそう思いながらも自分は治る・自分は治る・自分は治ると言い聞かせてきました、

言い聞かせるだけで癌が治るとは言いませんが、そう思うことが大切なんです。


病は気からといいますが、まさしく気持ちで負けると体もそれに追随します、

負けない気持ち・戦う気持ち・元気な気持ち・がんばるしかない気持ち・・・

勿論回りの人の協力も必要ですが、まず自分自身がそう言う気持ちになる事が大切です。

私は何処にでもいるような兄ちゃんです、その私が寛解状態まで回復し、

今現在、好きなビールを飲み、元気で毎日を過ごしています、だからあなたも大丈夫です・・・


先の事はわかりません、再発するかも・・でも私は再発してもきっと負けない気持ちで、

また癌に立ち向かうでしょう、きっと「勇気と希望と元気」を持って・・・・

だからあなたも大丈夫です「勇気と希望と元気」を持って・・・・



病歴:診断・肺腺癌・中分化型・3b期

右肺上葉に原発癌及び縦隔(腫瘍)リンパ節転移あり

3a期のちに3b期(術後診断にて)

治療計画:化学療法+放射線のちに手術

化学療法:2剤併用抗癌剤(2クール)パラプラチン+タキソテール

放射線:1日/2Gy・・計40Gy

手術:右肺上葉切除・縦隔腫瘍摘出術・リンパ節かくせい術


*闘病記文中、医学的に間違った表現等や、事実と違った文面等が有りましたら、

この場をお借りしてお詫び申し上げます、記憶に基づいての闘病記ですので。

・・・・ m(_ _;)m ごめんなちゃい・・・・・

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◆2005年1月上旬・・・(追憶)


術後3日目、今日も右の胸から背中にかけて痛みがある、朝から痛み止めの薬を飲む、

朝からベットに座り込み考え込んでいた、しょうが無い事だろう、残されている治療は、

抗癌剤治療しかないのか?また放射線との併用治療なのか、今の段階では何もわからない、

非小細胞癌だけに投薬治療はあまり効果が無い事は承知の上だ・・絶望的か??・・・

しかし内科治療は放射線と抗癌剤の併用治療が上手くいった、期待は出来る??

・・・あぁ〜俺なおるんかな・・・・そんな風に毎日同じ事を繰り返し考えていた・・・・


昼から妻と次女が病院に来た、娘の前では出来るだけ明るく振る舞おうとしていたが、

あとで妻に聞いたら顔が暗かったらしい・・・(´ヘ`;)とほほ・・

娘も気を使ってくれてたのか手作りのお守りを持って来てくれた、ありがとう・・・

この子の為にもまだまだ死ねない、せめてこの子が20歳を過ぎるまでは、8年〜10年・・

たとえ癌と共存してもそれ位なら何とか生き抜けるかもしれない、出来れば花嫁姿を見るまで、

生きられれば恩の字かな・・・頑張らねば、絶対治すぞと言う前向きな気持ちがまた湧いてきた・・・


そんな感じで夕食後テレビを見ていたら担当医のI先生が息を切らして病室に入ってきた、

I先生:「ハァハァ・・アリパパさん、いいお話なので先に伝えにきました・・・

・・先程病理検査室に呼ばれ行って来たんですが、病理検査の結果が出ました・・・」

わたし:「エッ、もう結果が出たんですか?・・一週間くらい先と聞いてたんですが・・」

先生:「正月明け一番の手術だったんで、検査室もまだすいてたのですぐに結果が出ました、

手術の時に採取した右肺上葉・縦隔部の腫瘍・リンパ節や他の各組織からは癌細胞が

ひとつも出てきませんでした・・・」

わたし:「はぁ・・????・・・」

(あまりにも突然だったので、この時先生がいったい何を言ってるのか理解できなかった)

先生:「ようは、病理学上アリパパさんの体の中にはもう生きた癌細胞が1つも残って無いと言う

事です・・・・癌になる前の体に戻ったと言う事です・・」(*^-^*)ニッコリ

わたし:「・・・???・・・」

(一瞬自分の耳を疑った・・・エッ・・まさか??どう言う意味??)

わたし:「せ・先生・・それってメチャクチャいい話しなんですか・・」

先生:「うん、この結果は非常にめずらしい結果で、劇的に抗癌剤が効いたんだと思います、

今は薬も良くなってますが、これだけ薬がピッタリ合う人も珍しく、

たいへん稀なケースと思います・・この病院でも2〜3年に一人いるかいないかですね〜」

(・・奇跡が起った・・) ヾ( ̄∇ ̄=ノ バンザーイ♪ヾ(_ _)ノ モヒトツヾ= ̄∇ ̄)ノ バンザーイ♪


先生:「実は診断前は内科と外科でステージが3aか3bか意見が分かれていました、

外科としては胸空鏡検査の時点で手術は出来ないと判断してたのですが・・・・・・

実際3期のステージは現代の医療現場では治療方法が確立されておらず、

治療方法も試行錯誤の段階でチャレンジ的な治療を行ってます、その中で今回のような

治療結果には少し驚いてます・・・ほんとによかったですね・・」

嬉しかった、そばにいた看護師さんもパチパチと手をたたいて喜んでくれた、

看護師:「わぁ〜ヨカッタネ・・アリパパさん、今まで辛い治療頑張ってきたもんネ・・」

わたしも思わず涙が出そうになったが、恥ずかしいのでぐっと涙をこらえ後で一人で泣いた・・

これもみんなが俺を支えてくれたおかげだョ・・みんなありがと〜。。。


『お医者さんは統計学上の数字でしか判断しないので奇跡と言う言葉は使わないが、

おそらくそれに近い物だろうと思う。

何故なら、実際わたしが受けた内科治療は完治を目的の治療ではなく、

手術の為の前治療で化学治療2クール・放射線40Gyで通常の半分ぐらいの治療しかしていない、

小さくする目的の治療で癌細胞が全て消滅してしまった、わたしはこれを奇跡としか言い表せない』


すぐに携帯メールで妻に伝えた、勿論その日は家族も身内も皆な歓喜の渦だったに違いない、

あぁ〜良かった・・ほんと良かった・・こんな事が起るなんて夢にも思わなかったョ・・

内科治療中、絶対に治す・絶対に治す・絶対治すと自分にいい聞かせて、

あきらめない気持ちで治療に励んでいたのが良かったのか・・・

応援してくれた家族・兄弟・友達・先生・看護師さん・etc・・みんな・みんなありがとう・・

ありがとう・・・ありがと〜〜〜う(叫び)・・・・・完



と言う事で2004年5月頃から2005年1月までのわたしの闘病は一応これで終わりました、

現在は寛解状態でこれからも再発しないように見守りたいと思います。

術後の追加治療も無く、現在は経過観察中です、退院時に先生から言われましたが、

今回は稀な結果で再発する確立も少なくなりましたが、0%ではないので、

やはり物が肺がんなのでこれから先も慎重に見守らないといけないみたいです、

細胞単位で脳や骨に転移してるかしてないかはそれは分かりません、採取した組織からは

癌細胞は見つかりませんでしたが、脳や骨にミクロの細胞単位で転移していればわかりません、

「神のみぞ知る」です、でもそんなネガティーな事はもう考えません、

私は治った・私は治ったと今も自分に言い聞かせてます・・これからも・・・

「勇気と希望と元気」を持って、絶対にあきらめたらあかん・・そんな思いで・・・

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◆2005年1月上旬・・・(追憶) 


手術の翌朝目がさめる、昨夜はほとんど寝ていない、術後の結果を聞いてショックのあまり、

術後の痛みと悔しさと無念さで一晩泣いていた、体中が痛いので座薬の痛み止めを入れ、

ベットを起こしもたれ掛かるように座っていた、この方が体の痛みはましになる、

いずれにしても結果が出てしまった以上今はどうする事も出来ない、これからの事を考えていても

悩んで免疫力が下がるだけだ、取り合えず術後の回復の方が先だ・・・・

とは思うが、やはりこれからどうなるのかが心配でしかたが無い。


朝早く妻が病院に来てくれた、わたしが落ち込んでないか心配してか9時ごろに来てくれた、

妻:「どう、少しは気持ちが落ち着いた??」

わたし:「・・・・・・・・」

妻:「もう、こうなった以上しょうがないやん、これからの事はまたこれから考えて・・

・・・今は術後の回復が先やで・・・」

そんな言葉をかけてくれるがわたしは押し黙ったままだった、たぶん看護師さんたちにも

同じ様な態度だったと思う。

(おれの気持ちなんか・・だれにもわかれへん・・死と言うのがそこまで来てるんだよ・・)

と無口になりそんな事を考えながらひねくれていた・・・・


先生が回診に来た、先生のほうからは別段何も言ってくれない、

わたし:「先生、再発の確立はどれ位なんですか・・・」

先生:「詳しいことは病理検査の結果が出ないと何とも言えませんね・・・

昨日もお話ししたように血管に浸潤したように癒着してたので、実際手術は不可能な状態でした、

ステージも3bになりますね、外科としては出来るだけの事はしたつもりですので・・・」

と足早に去っていった・・・・


午前中にレントゲン撮影を終え、妻も横に居るがベットに座ってボーっとしていたら、

先に手術した癌患者のTさんが奥さんと見舞いに来てくれた、

Tさん:「やぁ〜アリパパさん、調子どう?手術はいつ??」

わたし:「Tさん、わざわざありがとうございます、手術は昨日終わりましたよ・・

・・手術は終わったんですけどね・・腫瘍の方は全部切り取れなかったんですよ・・

・・また内科の方で治療せなあかんと思いますわぁ〜・・・」

そんな会話を10分ほどして最後にTさんが,

「アリパパさんは若いし元気やから大丈夫や・・わしらみたいに年取ってたらもうあかんけど、

・・・あきらめたらあかん・・がんばりや・・・」(^―^) ニコリ

ありがたかった、すごく嬉しかった、なんか落ち込んでいた自分がすごく恥ずかしくなった、

Tさんが帰える時には私にも笑顔が蘇えっていた、ありがとう・・きっと元気になりますから。


その日の夜一人でボーっと考えていた、ステージも3bにステージアップしてしまった、

癌細胞が体の中に残っている、腫瘍の塊は別として、細胞単位で飛び火する事を絶対避けたい、

すぐにでも抗癌剤治療を始めたいが、術後の体調回復が優先だ、早く治療をしなければ・・

早く・・はやく・・・・

そんなつらいことばかり考えさせられ、奈落の底に一度は落とされたわたしだが、

このあと奇跡が起るとはこの時は思いもしなかった・・・・つづく

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◆2005年1月上旬・・・(追憶)


今日はいよいよ手術日だ、朝早くに起こされ手術の準備をする、淡々と準備をする、

手術は2回目なので段取りはわかってる、8時に家族が来た義理の父・母も、

皆に励まされている、感謝・感謝だ・・・昨日の先生の説明で癌細胞がほとんど死骸しか

残ってないような事を言っていたので明るい見通しと思っている、

がしかし癒着が気になる、全部上手く切除できるかが問題だ・・・

手術時間までまだ少し時間が有る、注射をした後病室で家族と話をする、妻には手術後ちゃんと

先生から説明を聞いておくようにたのんだ、病室の人たちも「ガンバリや」って励ましてくれた、

あとは手術中に地震とか何も起らない事、術中・術後に合併症を起こさない事を祈る。


しばらくすると看護師が来た、「アリパパさん、手術室から呼び出しが有りましたので、

行きますよ」ベットごと部屋を出る、2回目だけに妙に落ち着いている、

エレベーターで手術室まで・・・・手術室に入ると前と同じ段取りで、硬膜外麻酔、

つづいてマスクをされて麻酔をかけられる、10回くらい深呼吸し意識が無くなった・・・


「・・アリパパさ〜ん・・・アリパパさ〜ん・・・」と遠くで聞こえるような感じだった、

意識が戻るか戻らないかの瞬間気管チューブを抜かれる、例のごとくエヅキながら目がさめる、

ハット気がつき胸から背中にかけてすごく痛みを感じる、やはり前回の胸空鏡検査とは違い痛い、

痰がからみ咳き込むとすごく痛い、痛いので小さく何回も咳をして少しずつ痰を出す、

痰を出さないと肺炎になってしまうので、痛くても我慢して小さく咳き込む。

看護師に手術が上手くいったかを訊ねてみた「ええ、手術は上手くいきましたよ」って答えた、

ほんとに上手くいったか少し不安だったが取り合えずホッとした。


しばらく様子を見て問題なさそうなので病室に戻ってきた、時間を聞いたら6時間経っていた、

意外に早く終わったなと思った?・・・摘出した肺を見たか妻に聞いてみた

妻:「うん見たよ、肺はなんか肉の塊みたいでよくわかれへんかったわ、

それと先生もココが癌かな?って言ってたけどあんまり良く分かれへんかった」

原発の癌は元が1僂らいで小さいのであまり良くわからなかったのだろう、

わたし:「縦隔膜の腫瘍はどうやった」って聞いた、

妻:「私が見せてもらったのはそれだけ、あとは先生も何にも言わなかったョ・・・」

いやな予感がした、元々原発部分の癌は肺葉ごと切除するので問題ないと思っていたが、

縦隔部分の腫瘍は癒着の可能性が有るのでそちらの方が手術前から気になっていた。


しばらくして担当医のI先生が様子を見に来た、全身をチッェクしていた、

わたし:「先生、手術は上手くいきましたか・・・」

先生:「手術は上手くいきましたが、縦隔部分の腫瘍はやはり心臓から上の血液が全て集まる、

太い血管の所まで浸潤したようになって癒着していたのでそのままで何もしてません・・」

がが〜〜ん・・・一瞬時間が止まったかのような感覚に陥った、一番恐れていた事だ・・・

腫瘍を取らないまま胸を閉じられた・・・最悪の結果だ・・・

先生:「放射線で血管も弱くなってるので、むりに切除して万が一血管を傷つけると、

大出血してしまうので、非常に危険な為切除しませんでした、

腫瘍の部分とその周りの各組織とリンパ節は病理検査に回してます、

一週間後に詳しい結果が出ますが、おそらく再発する確立が高くなったと思われます・・」

(ぐぁ〜〜かっかっかんたんに言うなよ〜・・・)全身の力が抜けてしまった、何も考える気力も

消えてしまったようだった。

そのあと、先生が廊下で妻に一連の説明をしているのがかすかに聞こえていた。


(ハハッハ・・こ・これでおれの命も2〜3年か・・・5年持たないだろうな・・・

・・今まで何のために治療頑張ってきてん・・無念だ・ほんとに無念だ・・・・)

心も体も奈落の底に落ちてしまった、そんな言葉がふさわしかった・・・・

おれは死ぬのか・・おれは死ぬのか・・・そればかり頭の中を駆け巡っていた、

悔しかった・・ほんとに悔しかった、その晩は術後の痛みと悔しさと無念さで一晩ベットで泣た、

どうすればいいんだ・・どうすればいいんだ・・どうすれば・・・つづく

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◆2004年12月下旬・・・(追憶)


外泊から病院に戻ってきた、あと手術までに検査が2・3有るが日程的には余裕が有る、

今日はテレビを見ていると、スマトラ沖地震による津波で数十万人の人々が被害に遭っている、

一瞬にして何十万の命が散ってしまった、なんて悲しい出来事だろう、

10年前に起った阪神淡路大震災を思いだす、あの時は大阪もかなり揺れてた、

これまでに体験した事の無い揺れだった、あの地震でも数千人の人が亡くなった、

テレビを見ながら事故や災害で亡くなった人は無念だろうと思う、まだ自分は生きている、

もし病気が治らないとしても自分にはまだ時間が有る、それを思うと幸せなのかどうかを

考えさせられる、生き地獄のように死ぬまで悩み苦しみながら死んで行くのがいいか、

あっさりと事故や災害で死ぬほうがいいかが・・・・・合掌・・・


年末になり病院も休みに入る、私も年末年始は何とか自宅で過ごせそうだ、

でもいつもの年とは違う年末年始を迎える、手術まで後10日ほどだ、日に日に迫ってくる、

いやなものだ、しかしこの年末年始はめい一杯楽しもう、来年に向けて今年の垢は洗い流し、

新たな気持ちで年を越そう、K1見て・プライド見て・漫才見て・紅白見て・年越すぞ〜〜

ゴ〜ン・ゴ〜ン・ゴ〜ン・と百と八つ・・・


あけましておめでとうございま〜す。

正月を迎え初詣・おみくじを引く・・大当り〜大吉、

これは年始早々縁起がいいわい・・神社でお参り、家族でお祈りをする・・

勿論手術が上手くいき病気が治る事を・・おさい銭もふんぱつ・・(金額は・な・い・しょ・・)

正月妻の実家に身内が集まり正月を祝う、みんなわたしの事を励ましてくれた、

さしずめわたしの激励会の様であった、(みんなが応援してくれてる・・弱気な事は言えないョ

・・・頑張らねば、ありがとう・・身にしみるョ〜・・)

頑張るよ・・ここまで来たら、やるっきゃない、がんばっていきましょい・(*^-^*)ニッコリ


楽しい年末年始も終え、3日の晩に病院に戻ってきた、患者さんたちはほとんど外泊で

病院はまだ静かだ、なんとなくさみしい感じがした病院の外を見ながら夜景を見ていた、

何を考えるわけでもなくただボーと夜景を見ていた・・・・


翌日、昼から手術説明があるので妻と上の兄が病院に来た、別室に行くとI先生とH研修医がいた、

担当医は今日まで休みか?来てなかった。

講師I先生から最終に撮ったCT画像を見て説明を受ける、

I先生:「CTの画像を見る限り、ほとんど癌細胞が死んでるような写り方で、ほとんど死骸しか残って

ないような感じですねー?・・しかし残念ながら今の医学では画像だけでは100%判断できないので、

やはり手術をするのが一番いいでしょう」

(オォ〜抗癌剤が効いてるのかな・・放射線か??・・うむ待てよ、非小細胞癌だよな??)

I先生:「放射線をあてているので、本来なら1年か2年くらい空けて手術するのが理想なんですが、

癌と言う病気はそう言う訳には行かないので、ここは一気に手術するのがいいでしょうね・・

・・手術は右肺上葉切除術・縦隔腫瘍摘出術およびリンパ節かくせい術を行います」

「右肺は1/3切除しますので呼吸機能が約20%ダウンします、息切れがするからといって

寝ていては治りが悪いので、術後は出来るだけ動くように心がけて下さい」

と一通り先生の説明を受けて各承諾書にサインをする。


説明はいい話だった、いっそこのまま癌が消えてくれ〜って思った。

いよいよ明日は手術だ、成功を祈ってる、家族も朝早くに病院に来なくてはいけない、

家族にも色々迷惑をかけてきた、癒着の事が気がかりだが何とかこれで決着をつけたい、

もうこれで闘病が何とか終了する事を、何んとか・・なんとか・・・つづく

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