日々に想う

俗世で考える「葦」であり、また、日本人でありたい。

随想

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麗しき5月よ

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 気付けばもう5月ですね。やっと4月、少しは楽になると思いきや、急激なアッパーカット。暑さに参るとはこのことでしょう。
 最近の気の利いた熊公は、冬眠などせず、冬でも街中を徘徊するような律儀な奴が出てきたと聞きました。しかし、我が熊精神はとんと駄目です。暖かくなったので起きたら、暑すぎて途端にダウン。気付けばまた寒く、再眠、の繰り返し。
 近頃は何でも自分の不摂生を、歳のせいにして、誤魔化そうとする悪癖が身に付いたようです。
 でもそれを認めてくれるものがあるのです。NHKの深夜放送です。
 曜日によっては、夜中の1時から落語番組、昨日は古今亭今輔師匠の74歳の頃の話をやっていました。また、昭和40年とか50年代の歌謡曲の日や、懐かしの映画音楽、現役の役者の苦労話など、私の歳でも知らなかった事や、懐かしい事を知ることが出来ます。
 何よりも気強いのは、リクエストの発信者が60歳から90歳ぐらいまでの人が多いのです。皆さん寝られないのでしょうかね。不眠の人が全国にこんなにいると思うと安心して寝られます。私は長く聴いても10分ぐらいで寝入ってしまうようです。
 
 長寿の国、日本。これを当事者の私の立場から言えば、これが果たして目出度い事かどうか。
 
 何事があっても、身体が健康であれば問題はないのですが。

 お若い方には、兎に角健康であってほしいと願うばかりです。

過ぎ越しの祭り

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 今年は参りました。気温の変動に全く身体がついて行けず。トイレに行くのもハアハア息切れ、PCの前に座って10分が限度でハアハアの息切れが、と言った具合で、仕方なくほとんど医師の指示に従って寝て過ごしています。今日は敵のスキを見て、PCの前に来ても何とかなっています。
 さて、今夜は勝手に「過ぎ越しの祭り」を一人でやる予定でおります。
 キリスト教では復活祭(イースター)と同等な大切なお祭りなようです。でもこれは、旧約聖書時代にエジプトからモーゼがイスラエル人を連れて、逃げ出した頃の古事によるものです。
 仲の悪いユダヤ教とキリスト教でも、根っこの大神様は同じです。兎に角調査をやり過ごし、見つからずに調査班が通過して行ってしまったことに「やれ、目出度いな」と言った祭りのようです。
 でもそんな事、私には無関係なことです。
 私の「過ぎ越しのお祝い」は、今年流行った風邪、特にインフルエンザを無事やり過ごした事なのです。
 今年感染したら、生命消滅の危険度は80%の確率だそうでした。その見えない黴菌さんが頭上を通過して行ったのです。これを祝わずに居られましょうか。と言ってもまだ絶対安全とは誰も言っておりませんが。
 一先ず前祝とでもしておきましょう。好きなお酒も、お猪口一・二杯が限度です。でも飲まないよりは良いのです。のん兵衛の賤しさです。そして続いて今日は「花まつり」。お釈迦様にお猪口一・二杯で乾杯をしようと思っています。
 一升瓶を脇に置いた、ついこの間が、今では遠いい昔の様に思えます。
 
 宗教をネタに戦争するなんて、愚かしい事ですね。私の所へ持ってくればお猪口一杯で解決するのに。

 今年もはや桜も終わり、鯉のぼりの時期になりますね。

 「春よ来い」と懐かしむうちに、もう「夏は来ぬ」の時期です。 

大人の歌考

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 この数日前からの気温の変動の激しさに、身体がついて行けず、ダウンしました。
 どうにか復調の気配が見えて来ました。歳はとりたくないものです。
 さて、前回の子守歌は詩によって曲の様子が左右されましたが、大人の音楽はどうかを考えました。
 明治期に入って来た西洋音楽の音階、ドレミファソラシは7音で出来ていますが、基本的にメロディーは、ド〜ドを音階とした明るさが強いものと、ラ〜ラまでを音階とした暗さを持った、2種類の音階のどちらを使うかで、明るいメロディーと暗いメロディーが、初めから分かれています。明るい音階を長音階(長調)、暗い音階を短音階(短調)と呼び分けているのはご存知の通りです。(それ以前の音階は、日本音階又は東洋音階などと呼ばれ、5音で音階が出来ています。明るいものを陽旋法、暗いものは陰旋法と呼び、それは今日も同じだと思います)
 明治に入りドレミファの洋楽が入って来た初期の学校唱歌は、欧米の国の歌に日本語の訳詞を付けたものだったのですね。「蛍の光」などは今でも日本の曲だと思っている人も多いようです。やがて日本の作曲家(滝廉太郎など)が、メイド イン ジャパンの曲を作り出しました。大人向けの歌謡曲や子供向け童謡などが、ともに盛んになりました。歌謡曲は無論の事、童謡でも「月の砂漠」のように静かな少し寂しげな歌、これが大いに受け入れられ、日本の曲の特徴となっていました。
 勇壮活発、猛烈果敢な勇ましさが売り物の軍歌もこの短調の曲が多いのには、さすが日本人ですね。

 根性とは面白いもので、あれほど西洋文明に憧れ、またそれを真似た開国日本も、基本的にはもっている哀愁とか「わび・さび」の感情が取れなかったようで、日本の曲には暗さや淋しさの強い短調の曲が多くなりました。
 月を見て欧米人の多くは、心に浮かぶのは”オオカミ男”や”魔法使い”という人が多いと聞きます。日本人が月にロマンを感じる感覚との大きな違いの一例でしょう。四季を愛でることも日本独特の気候風土が育てた日本人の精神性なのでしょうか。
 
 このような日本人の持つ国民性が、結局詩歌や茶華道その他諸々の伝統文化が無くならず、また欧米文化に飲み込まれずに、脈々と今日まで残り、さらに発展したのだと思います。
 
 大人の歌として、歌謡曲は(演歌などを含め)大半は短調の様にように思います。
 敗戦後、復興の機動力になったように評価されている「リンゴの唄」なども代表的な短調ですし、それは歌謡史上切っても切れない古賀政男の古賀メロディーなど、言い出せば限りがないでしょう。

 しかし、最近ふと気が付いたのですが、東北震災の復興応援歌「花は咲く」、あれは長調です。それは当然でしょうが、良く聴いていると、詩的に内容は「あなたと別れて・・・・」と言った昔の歌謡曲と大差ない内容の詩なのに、曲は長調で作られているものが大変増えていることです。
 日本の音楽は大人の歌も、子供の歌も主流は短音階の世界から、長音階の世界へと移りつつあるようです。
 
 まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」とはこのことでしょう。日常生活やその様式が欧米化し、思考も次第に国際化されて行くのは止められないことでしょう。
 しかし、明治開国当時の様に、基本的な日本人の心髄だけは頑固に守ってほしいと願う所です。万葉の時代の”おっとりさ”や”わび・さび”を感じる心は残して欲しいものと思う今日この頃です。
 

子守歌考

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 私達はどちらかと言えば、子守歌には哀愁があると思うのではないでしょうか。
 ♪ ねんねん ころりよ おころりよ・・・・・・・・・ ♪     など、懐かしい子守歌が沢山ありますね。この歌は徳川の11代家斉時代の文献にはもう出て来る古い歌だそうです。この歌はのんびりした、如何にも子守歌の感じを持っていますが、中国地方の子守歌としてよく知られている♪ ねんねこしゃっさりまーせ、♪ この歌は「寝た子の可愛さ、起きてなく子の面憎さ」と少し荒っぽくなって来ます。
 また教科書などにも入っている島原や熊本の五木の子守歌になると、もう子守歌よりは哀愁や苦しさや、大人たちへの恨み言葉が多くみられるのが面白い所です。
 江戸時代は恐らく武士や大店では、雇人の乳母や専任の女中などが赤ん坊の世話をしたのでしょう。しかしその頃は農村や庶民社会の一般家庭では貧困者が多く、特に農家の貧富の差が激しく、貧農の男の子は労働力として使えますが、それに不向きな女子は10歳前後から”口減らし”として、中・豪農や多少裕福なお店へ子守っ子として、奉公に出されるのが多かったようです。
 その子たちにとっては、辛い過酷な重労働だったに違いありません。
 その結果、奉公の辛さを歌にして唄ったのが、これらの暗く重苦しく、悲しみさえある仕事歌が子守歌として今日まで歌い継がれて来たのだと思います。
ですから歌の内容に、「早く寝ないと人買いがやって来るぞ」、とか「あの人たちは良い着物や帯を締めている」と言った脅しや、妬みが歌詞となって残った。それが日本の子守歌の特徴でもあると思います。
 何故か面白い事には、関東より北には、地元で歌われるものはあるでしょうが、あまり全国的に歌われるような特徴のある子守歌が、ほとんど無いと思うのです。

 それに対して欧米諸国の子守歌には、静かで優しく、多くは直接母親が子供を寝かせるのに歌い聞かせるものがほとんどですね。
シューベルト・ブラームス・ジョスラン等々有名人の作品も、或いは民謡の中でも、ほとんど親が子に対する直接的な気持ちの詩が一般的なようです。

 子守歌の根本的な発想の違いは、生活様式も全く異なり、また欧米では社会に根付いているキリスト教の聖母マリアの存在が欠かせないような気がしますが、さてどうなのでしょうか。

 この明るさと暗さの違いは、今日に至る長い人の世の歴史の中で、それぞれの地方や国々の生い立ちや生活様式や環境、宗教など、様々な要因があるのでしょう。

 子守歌の持つ特徴が面白く、思いついたのを機会に、もう少し考えを広げてみたいと思います。


一膳飯

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 昔、祖母から食事の時、ご飯は2膳食べろと言われました。何しろ小学前だったと思いますが、残すので少しずづ2膳にして貰ったことを覚えています。理由は分かりませんでしたが、兎に角ご飯は2膳は食べるものだと思い込んでいました。成長と同時に食糧事情も良くなくなったこともあると思いますが、普段は1膳も普通になり、何時の間にやらそんなことは、我が家からは忘れ去られて行きました。
 高校時代の友人に2膳飯を言う人が居り、やっと子供時代のその理由を知りました。
 「お通夜の晩に、枕経が済んだら親類一同で、軽く盛ったご飯を1膳ずつ食べ、それが死者への弔いであり、最後の晩餐なのだ」そうで、宗派の決りなのか地域の風習なのか解らないけど、そう言う意味合いがあったのだそうでした。今日で言うお別れパーティーなんて、昔の人も結構洒落たことをやっていたのですね。
 以前は川柳で「居候三杯目にはそっと出し」と言われました。単に遠慮でソット茶碗を出すと言うことと、これは2杯目までは堂々とお替わりが出来る根拠だとも見え、よけい納得がいき面白いですね。

 大学時代奈良から来ていた友人の下宿に、遊びやバイトで遅くなると、よく泊めて貰いました。
 昭和32・3年頃ですが、当時学生街や独り身の会社員の下宿屋やアパートの多い町やその駅前には一善飯屋ありました。
 自宅からの通学しか知らない私にとって一善飯屋は非常に珍しく、新鮮な驚きでした。朝5時頃には開店していました。小さなガラスのケースに見本の品々が並んでいました。海苔5・6枚、生卵、漬物、きんぴら、芋煮、塩鮭、鰺の干物など諸々の一般の朝の家庭のメニューが、値段表と一緒に並んでいました。でも家で食べるよりも作る量が多いせいか、兎に角美味しかったことを覚えています。行けばご飯丼一杯とみそ汁はセットで、後はそのケースの中から選び、好きな物を選び注文しました。

 やがて時代は過ぎて、朝は喫茶店でモーニングセットが誕生し、ハンバーガー屋やファミリーレストランでの朝食セットを食べる時代がやって来ました。更に今日ではコンビニで好きな物を揃え、自宅で朝食をする学生や独身者が増加していると聞きました。

 先日何かのニュースで東京のどこかで「一善飯屋」が流行っている、と流していました。どの様な形態なのかは分かりませんが、世の中は結局行きつ戻りつなのでしょうかね。

 このニュースから昔、祖母の言った「一膳めし」を思い出したのでした。
 今の世にも、昔風の一善飯屋が残っているのでしょうか。懐かしい思い出です。

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