Scene10
アレクサンデル・ゾルカエフ将軍。
曾祖父が三代前の王ベリュトスの弟という本流からは遠い家系の出だが、現王リシェットの他に本流のない火の国では、第一位の王位継承権を持つ。
加えて本人の才覚に並々ならぬものがあるため、リシェットが王位を継ぐにあたっては、陰で一悶着あったのではないかと噂されている。何しろリシェットをさしおき、「火精の具現」とも言われているのだ。
王族男子は身体に特に不具がなければ、一六となる年に軍の指揮官を養成を目的とする士官学校に入れられる。ゾルカエフは先王に特にその才を認められ、また本人の志願もあって一四で入学するが、常には四年かかる課程を二年で修了してしまい、結果本来ならば入学する歳には卒業し、そのまま小隊長に任官している。
その後各地の賊徒や叛徒の鎮定に従軍して武功をかさね、二年で中隊長となる。これも普通ならば五年はかかるところだが、それは中隊に五つある小隊でも常に先頭に立ち、にもかかわらず記録的な低損耗率を維持し続けたゆえであり、王族の威光など必要としなかったというのだから驚きである。
戦に強く兵士の受けも良く、民にも慕われ、先王の覚えもめでたかったゾルカエフだが、先王が斃《たお》れた後、王となろうとはしなかった。噂に曰く、二一歳という異例の若さでの将軍職はその代償だろうというわけだが、その真偽は闇の中であり、今後も明らかになることはないであろう。
アレクサンデル・ゾルカエフ将軍の司る方角は北、位は右──通称北右将軍と呼ばれていた。
「おやおや、どうなされたワズワルド黄師長閣下。そのように血相を変えられて。部下殿も怯えてござるぞ」
この顔はそういう意味じゃない。思わずかすかに顔色を変えてしまった分隊長の顔をちら見て、ゾルカエフは言う。
ワズワルドは顔をしかめた。
平民出の自分に対して、上級──それも最上級の貴族であるゾルカエフがこの言葉遣い! しかも五人の王師長は、直接ではないとはいえ四方左右の八将軍より下位とされているのに、わざわざ付ける「閣下」の尊称!
そのおよそ総てがワズワルドの癇に障るが、しかしそれを口に出来るはずもない。
「なに、どうという事はござらん。部下の不出来な報告をどやしつけておった処《ところ》でしてな、ゾルカエフ閣下のお耳を汚すような事は……」
ワズワルドにとしてはこの辺りが落とし処であったが、意地の悪い──と、ワズワルドだけが思っているはずの──ゾルカエフは、さらに一歩踏み込んでくる。
「いやいや、そうは言っても謹厳なワズワルド殿の場所柄も構わぬ取り乱しよう。ただ事ではないと思われるが……もう一度お聞きする。いかがなされた?」
一瞬「くっ」と、怒りやら無念さやら様々な感情に言葉を詰まらせたワズワルドだったが、体裁だけはどうにか取り繕い、かくかくしかじかと部下の報告を手短に、自らの憶測も交えて説明した。
「ほおっ、御霊器《ごりょうき》とな?」
場所が場所だけに、密やかな声を上げるゾルカエフ。
その顔にちらりと走った表情に、ワズワルドの厳つい眉が、ピクリと反応した。治安を担当する──いわば警察か──王師ならではの勘ぐりかと自分でも思ったが、その顔を忘れることは、ゾルカエフが立ち去った後でも出来なかった。
ワズワルドは、その場にいる唯一人の部下の耳に口を寄せる。
その部下──昨日からの不運な成り行きがどうしても断ち切れない哀れな分隊長は、耳打ちされた自分の所属する組織の長の言葉にゾクリと身震いする。それは彼のようなぺいぺいに毛が生えたような立場の者にとっては、暗黒の淵をのぞき込んだように思えた。
「お主の上官──大隊長に伝えよ。こたびの御霊器の件について、ゾルカエフ将軍の身辺を洗えとな」
ゾルカエフが去った方を厳しい目で睨みながら、ワズワルドは心中問う。
──あの笑みは何のつもりだ。
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