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フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

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ルネ・マグリット
René Magritte
1898、レシーヌ(ベルギー) - 1967、ブリュッセル

絵画の約束事をあらためて問い直す

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ブリュッセルの美術アカデミーの短い期間を経て、キリコエルンストを発見する。

1925年にメセンスに協力しシュルレアリスム的雑誌『食道 Œsophage 』や「美しき青春のために journal bimensuel pour la belle jeunesse 」と銘打った隔週新聞『マリー Marie 』に寄稿し、そして最初のシュルレアリスム作品である『迷える騎士 Le Jockey perdu 』(1926年)を制作する。

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パリ郊外に居を構え、1927年から1930年のあいだ、グループの活動と出版に直接関与する。
ブリュッセルに戻ってからは、ベルギーのシュルレアリスム隊列の先頭のひとりとなる。

もっとも知られた彼の寄与のひとつに、単語と図像のシステマチックな解体がある。
ただ「ことばの使用 usage de la parole 」に関する約束ごとを告発し、ことばと対象との隔たりを明らかにするためだけに、彼は一本のパイプを描きながら、これはパイプではない Ceci n'est pas une pipe 、とタイトルをつける。

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不安の画家、彼は1961年に雑誌『レトリック Rhétorique 』を創刊する。
同年、ブルトンはマグリットについて、「シュルレアリスムはその最初 ―― にして最後 ―― の次元のひとつを彼に負っているのである」と書く。

彼はまた「ポップアート」の先駆者のひとりとされている。


デビュー当時、生活のため、壁紙会社でブーケを描く仕事をせねばならなかったことが、彼の伝記に物語られている。
彼にはマルセル・マリエンパトリック・ワルドベルグジョゼ・ピエールによる評伝が刊行されている。
また彼自身による『全著作 Écrits complets 』(Flammarion 1979)も刊行されている。




日本アートNipponArtでは、(ほぼ自分のための)シュルレアリスム理解のため、比較的平明な文章で書かれ、コンパクトな「シュルレアリスム人名事典」ともいうべき装いの Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.の翻訳を試みています。あくまでも、ご参考までに。

今後とも日本アートNipponArtをよろしくお願いいたします。
日本アートNipponArt
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