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フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

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ルネ・クルヴェル
René Crevel
1900、パリ - 1935、パリ

アルトーが「社会が自殺させた者」と呼ぶであろうところの一人
両性愛に妄執し、悲劇の烙印を押された、短く、激しい生涯。
今もって謎多い人物。わずかな著作を残しただけであるが、シュルレアリスムが彼に負うところは大きい。

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シュルレアリスムが多く抱えたであろう、最重要人物の一人。
天使の顔、たえず脅かされる健康状態、さまざまの激情、非凡の文才、何にもまして、幼いころから死の観念に取り憑かれた悲劇の運命。

1921年以来、雑誌『アヴァンチュール Aventure 』を、ランブールモリーズヴィトラックと推進する。

翌年、「眠り」の実践を未来のシュルレアリストたちに手ほどきする。
それでもブルトンと彼のあいだに意見の相違が生じたことに変わりはない(クルヴェルは自動記述に懐疑的である)。

しかしまもなくグループに合流し、彼らの作業に参加し、ブルトンの最も忠実な支持者のひとりとなるだろう。

驚くべきことは彼が、頭から相いれないと思われた二つの世界、明らかに政治活動につながる行動(ブルトンが共産党を離党したときでさえ、彼は党の近くにい続けた)と、コクトー、ド・ボーモン、ジュアンドー夫婦、ジッド、マルク・アレグレらのいわゆる「社交界」に足繁く通う生活を同時に送るに至るということだ。

また私生活における同じような分裂は、自身の同性愛を受けとめると同時に隠ぺいする。

■「困難な死 La mort difficile 」

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その短い生涯の終わり、ブルトンへの愛情は認めながらも、彼は次第にシュルレアリストの友人たちから離れる。

彼は「文化擁護のための国際作家会議 Congrès international pour la défense de la culture 」(1935年6月)に際しては、その著作でシュルレアリストをののしっていたソ連の作家イリヤ・エレンブルグ Ilya Ehrenbourg に平手打ちをくらわせ、討論から排斥された『ナジャ』の作家(ブルトン)に発言権を獲得しようとして最大限の努力をした。

会議閉会の前日、消耗し、進行する結核に衰え、実の父の自殺という強迫観念につきまとわれたクルヴェルは、自ら命を絶つ。

この突然の結末にかきたてられた感情は少なくとも一つの結果を生んだ。
ブルトンの演説が、ブルトンではなくエリュアールによって演壇で代読されることが決まった(実際、エリュアールに発言が与えられたのは散会の、最後の最後の瞬間であった)。

■ 消えない痕跡

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小説(『皿に足を突っ込め Les Pieds dans le plat 』1933年)よりもより自伝風なルネ・クルヴェルの何冊かの本は、彼自身の内奥の分裂を完璧に表現している。

いったいクルヴェルは「社会が自殺させた者 suicidé de la société 」であったのか?

いく人の若き偉大な死者たち(アーサー・クレイヴァンジャック・ヴァシェジャック・リゴー)の列に彼を並べようと、アルトーがヴァン・ゴッホのために作り出したこの言葉がときに彼に適用されることがある。
しかし実際は、クルヴェルの惨劇は彼固有のものである。
彼の伝記は、死の前日、彼がシュルレアリストたちと決裂の瀬戸ぎわにあったことを明らかにした。

彼のブルトンとの協調は奇跡に類するものであった。
ブルトンはコクトーを、社交界を憎んでおり、小説を有罪とみなし、同性愛をひどく嫌っていた。
ブルトンが彼を排斥してもおかしくはない。

しかし、ブルトンはたしかに波らんに富んではいるが忠実な友情を長く彼にもった。
おそらく彼に反抗の無限の深みを感知していたのであろう。

フィリップ・スーポーはクルヴェルを「ほかの者たちが青い目をして生まれるのと同様、生まれながらにして反逆者であった était né révolté comme d'autres naissent avec des yeux bleus 」と言った。

グループのメンバー全員が彼の自殺に動転した。
自分の意見を述べた者たちのなかでも、アンドレ・ティリオンルネ・シャールがもっとも熱烈なところを見せた。

シャールは「私の知る人物のなかで、もっとも巧みに、もっとも早く自身の本性から黄金を生み出した男 l'homme, parmi ceux que je connus, qui donnait le mieux et le plus vite l'or de sa nature 」と述べている。

イギリスのシュルレアリスト、デヴィッド・ガスコインは一般的な感情をこう表現した。
「少なくともクルヴェルについて下手な年のとり方をしたなどとは決して言えなかった Au moins n'a-t-on jamais pu dire de Crevel qu'il ait mal vieilli 」

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Référence:
Michel Carassou, René Crevel, Fayard, 1989.
François Buot, Crevel, Grasset, 1991.
Numéro spécial « Crevel » de la revue Europe, nov.-déc. 1985.


『困難な死 La Mort difficile 』と『ぼくの肉体とぼく Mon Corps et moi 』は Biblio du Livre de Poche コレクションより再刊されている。
クルヴェルのその他の著作:
Babylone[バビロン]1927, 再刊 Pauvert, 1974.
Êtes-vous fous ?[君たちは狂っているのか]1929, 再刊 Gallimard 1981, coll. L'Imaginaire.
Les Pieds dans le plat[皿に足を突っ込め]1923, 再刊 Pauvert, 1985.
L'Esprit contre la raison[理性に抗する精神]1928, suivi du Clavecin de Diderot[ディドロのクラヴサン]1932, et autres écrits surréalistes, Pauvert, 1986.
Le Roman cassé, Pauvert, 1989.




日本アートNipponArtでは、 Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.を「シュルレアリスム人名事典」と題して翻訳中です。あくまでも、ご参考までに。

今後とも日本アートNipponArtをよろしくお願いいたします。
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