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フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

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ポール・エリュアール
Paul Eluard
1895、サン・ドニ – 1952、シャラントン

「見者の兄弟 Le frère voyant 」(ジャン=シャルル・ガトー J.-Ch. Gateau )
晩年のきわめてスターリン主義的な彼は忘れて、デビュー時のまばゆいばかりのシュルレアリスムのみを考慮に入れることとしよう。

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本名ウジェーヌ・グランデル Eugène Grindel 。
両大戦間におけるシュルレアリスムの最重要人物のひとり。

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彼の青年期は過保護(裕福なブルジョア階級)であると同時に、喀血、サナトリウム(そこでガラに出会う)、戦争(毒ガスにやられた)、病院と、きわめて脅かされたものであった。

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最終的に生きのびた彼は、母方の祖母の姓にちなんだ筆名「エリュアール」と署名し、1920年、その生命を詩に捧げる決心をする。

彼は彼自身の雑誌『諺 Proverbe 』(6号)を創刊し、『文学』誌を推進する三銃士(アラゴンブルトンスーポー)に接近する。

■ 延ばし延ばしの加入
彼はただちに4番目の銃士のような存在になっていくとはいえ、新しい友人たちのいかなるオプションさえ分かち合わなかった。
例えば彼は自動記述に対してきわめて控えめである(彼はランボー流の「あらゆる感覚の組織的錯乱 raisonné dérèglement des sens 」を好む)。

1924年には、シュルレアリスムを準備中の仲間たちを突然離れ、一人マルセイユから船に乗り込み、数ヶ月続く世界一周の旅へと出てしまう。

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戻ってくると、再びグループにその地位を占め、運動の最初の歩みに参加し、以後15年にわたって決定的な役割を担っていくこととなる。

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彼のシュルレアリスト時代の詩集には ―― 『苦悩の首都 Capitale de la douleur 』(1926年)、『愛・詩 L'Amour la Poésie 』(1929年)、『直接の生 La Vie immédiate 』(1932年、フランソワーズ・サガンの小説タイトルになる詩篇「悲しみよこんにちは Bonjour tristesse 」を収録)、『公衆の薔薇 La Rose publique 』(1934年)、『豊かな瞳 Les Yeux fertiles 』(1936年)。

すべての詩集に多様な顔をした生命がリズムをつけにやって来る。

ガラが1929年にダリのもとへと去ったあと、彼はニュッシュ Nusch (本名マリア・ベンツ Maria Bentz )に夢中になり、彼女が1946年に急死したのちには、ドミニック Dominique に夢中になる。

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シュルレアリスム、それはまた彼がブルトン、シャールペレマン・レイ……らと共同署名した作品群でもある。

1932年のアラゴンの離脱をもっとも厳しく非難したメンバーのひとりがエリュアールであった。
にもかかわらず、スペイン内戦以降、彼は共産党に接近し、最終的に1938年にブルトンと訣別する。

■ 「自由」の人
レジスタンスの大詩人となってから(「自由! わたしは書く きみの名を Liberté ! J'écris ton nom... 」の詩句は誰もが復唱する)、彼はかつての同志たちとは決して和解しないであろうし、戦後、見かけ豪胆なスターリン主義にふけるであろう。
シュルレアリストたちはときに彼の否定できない詩の才能を疑わせるかのような彼の「裏切り trahison 」を許さないであろう。

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ブルトンとともに、彼は画家たちにもっとも親近感を示したグループのメンバーのひとりであった。
彼は、ダリ、クレーピカソらについて多く書いた。

彼は晩年、あまりそうとは認めなかったが、モスクワで見た「社会主義レアリスム」のアカデミックな、型にはまった絵画に不快感を覚え、彼の愛した画家たちのため彼自身の手で書かれたすべてのテキストの収集を企てる。
それが全4巻からなる広大な『芸術論集 Anthologie des écrits sur l'art 』の計画であったが、うまくまとめあげるには、彼に残された時間はなかった。
1952年11月、心臓発作のため急死してしまう。
第一巻の予告タイトルは「見者の兄弟 Les Frères Voyants 」(キャンズバン病院で、盲人の手引きに、かつて与えられた名称)であった。

1982年、ポンピドゥー・センターで内容豊かな展覧会「ポール・エリュアールと画家の友達」展が開かれた。

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Référence:
Jean-Charles Gateau, Paul Éluard ou le frère voyant, Robert Laffont, 1988


ブニュエルの映画『黄金時代』では、短くあるが、エリュアールの声をわれわれは聞くことができる。
ガストン・モドー Gaston Modot 演じる主人公が血まみれになった大写しの場面で、エリュアールの「モ・ナムール、モ・ナムール……」と発する声が吹き込まれている。



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「詩人は、霊感を受ける者というよりも、はるかに霊感を与える者である」
Le poète est celui qui inspire bien plus que celui qui est inspiré.
(「詩の明証性 L’Évidence poétique 」より。1936年6月、ロンドンで行われた講演、『見るものを与える Donner à voir 』(ガリマール、1939年)に収録された。)




日本アートNipponArtでは、 Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.を「シュルレアリスム人名事典」と題して翻訳中です。あくまでも、ご参考までに。

今後とも日本アートNipponArtをよろしくお願いいたします。
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