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フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

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アンドレ・マッソン
André Masson
1896、バラニー - 1987、パリ

シュルレアリスムの重要人物か?それとも反逆者か?
ブルトンやグループとの関わりは断続的なものであったが、シュルレアリスムの冒険への彼の参加は、彼の絵画を解く重要な鍵であり続ける。

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この巨匠の長い創作活動において、シュルレアリスムが占めた位置は、全体にわずか12年と短いものではあったが、決定的なものであったであろう。
彼が絵画を発見するのは、彼が幼少の一時期を過ごしたベルギーにおいてである。
旅をよくするが、1915年に徴集され、無傷で戦争から戻ることはできなかった。
1917年にシュマン=デ=ダムで重傷を負い、そのとき、(彼は後年書くであろう)その「おのれ moi 」は「台なし saccagé 」にされた。

パリに戻り、絵画を再開し、1920年代のはじめ、ブロメ通り rue Blomet の、「アンチ=セナークル anti-cénacle 」と定義されたアトリエに居を定める。
アルトーバタイユ、ジュアンドー、レリスランブールミロ、サラクルーらが、ここに集まる。
ここでは情熱的に、芸術について、文学について、哲学について、論議がなされる。

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ある日、マッソンのタブロー『四元素 Les Quatre Éléments 』を購入したブルトンが、ブロメ通りを訪れる。
そして、ここの常連たちを誕生したばかりのシュルレアリスムに加入するよう求める。

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1924年以降、アンドレ・マッソンは熱狂的にオートマティスムに賛同し、その結果、「砂絵 tableaux de sable 」の技法を完成する。

■ (のこぎりの歯のような)ぎざぎざの関係
しかし、彼はパウル・クレーの影響下、決定したこの態度を和らげていく。
グループのメンバーの数多くの肖像画を残し、彼ら(アラゴンデスノス、レリス…)の本に挿絵を描いたにもかかわらず、運動から次第に遠ざかり、『シュルレアリスム第2宣言』(1929年)では、名ざしで敵視されるという結果をもたらす。
彼は反論もしなければ、反ブルトンのパンフレット『屍骸』への協力をも拒絶する。
しかし、彼は自身のものときわめて近いエロティスムの悲劇的見方をジョルジュ・バタイユに見つけ、彼と親密になる。

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バタイユは1936年に雑誌『アセファル(無頭人) Acéphale 』を創刊したが、その表紙の象徴(首をはねられた男)は、マッソンによって描かれた。

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同時期、いくつかの旅行のあと(とりわけスペイン)、画家はブルトンと和解し、雑誌『ミノトール』の冒険に直接に参加する。
まるで悲劇への刻限をはっきりと自覚しているかのように、当時彼は、もっとも激しい作品群を制作している。

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事実、戦争が勃発する。
マッソンは1940年にブルトンとマルセイユで再会し(「マルセイユ・トランプ Jeu de Marseille 」への協力)、翌年、マルチニックで合流する。
二人は「クレオールの対話 dialogue créole 」(『蛇使い女マルチニック Martinique charmeuse de serpents 』)を創作する。

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彼らの結びつきはアメリカまで続くが、1943年に終止符が打たれる。
この時以降、マッソンはますますシュルレアリスムに背を向ける。

戦後、彼はむしろサルトルの方へと向かう。
ジャン・グレミヨンの映画 André Masson et les quatre éléments [アンドレ・マッソンと四元素](1958年)や、マルローの求めに応じて制作されたオデオン座の天井画(1965年)によって、画家の名声は次々と打ち立てられる。

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彼の著作を収めた一冊は、象徴的な『シュルレアリスムの反乱 Rebelle du surréalisme 』というタイトルを冠している。

Référence:
André Masson, Vagabond du surréalisme, éd. Saint-Germain-des-Près, 1975. 〔『アンドレ・マッソン ―― シュルレアリスムの放浪者』〕
Le Rebelle du surréalisme, éd. Hermann, 1976 ( coll. Savoir ). 〔『シュルレアリスムの反乱』〕




日本アートNipponArtでは、 Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.を「シュルレアリスム人名事典」と題して翻訳中です。あくまでも、ご参考までに。

今後とも日本アートNipponArtをよろしくお願いいたします。
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