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フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

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ジョゼフ・デルテイユ
Joseph Delteil
1894、Villar-en-Val(オード県) – 1978、Grabels(エロー県)

最初期の追放されたひとり

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オード県に生まれ、早くも1932年に自分のぶどう畑を栽培する目的で隠遁したエロー県で没した。

彼のパリ滞在はおよそ10年間と短かったが、そこにはなお短いシュルレアリスム隊列への通行を伴った。
それでもアラゴンとブルトンを魅了した小説『愛の流れにて Sur le fleuve Amour 』(1922年)を出版した、最初期のメンバーの一人であった。

彼はまたアナトール・フランスの死に際して発表されたパンフレット『屍骸 Cadavre 』(1924年)にも共同署名した。

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ジェルメーヌ・ベルトンとシュルレアリストたち
『シュルレアリスム革命』誌、創刊号(1924年12月1日刊)より


しかし、彼の『ジャンヌ・ダルク Jeanne d'Arc 』(1925年)は彼に正式破門〔excommunication majeure 大破門とも.カトリックの宗教用語で教会からの全面的追放を意味する〕を引き起こし、ブルトンによって作成された辛らつな「絶縁状 lettre de rupture 」が『シュルレアリスム革命』誌第4号に掲載された。

追放によってその後の彼のパリの喧騒の放棄は、おそらく部分的に説明がつく。
生まれ故郷から彼はときおり数冊の本を出した( La Deltheillerie [ラ・デルテイユリー]、『旧石器時代の料理 La Cuisine paléolithique 』)。
1970年代およびそれ以降のエコロジスムの波の先駆者のひとりとして見なされた。

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1925年にフェミナ賞を受賞した彼の『ジャンヌ・ダルク』はほとんど因習的なところがなかったので、保守的な人たちのあいだでスキャンダルになった。
にもかかわらず憤激したブルトンは「ひどいゲテもの vaste saloperie 」と酷評した。




日本アートNipponArtでは、 Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.を「シュルレアリスム人名事典」と題して翻訳中です。あくまでも、ご参考までに。

今後とも日本アートNipponArtをよろしくお願いいたします。
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