ここから本文です
フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

書庫全体表示

ギヨーム・アポリネール
Guillaume Apollinaire
1880、ローマ – 1918、パリ

詩人、結集者、シュルレアリスムの先駆者

本名ヴィルヘルム・アポリナリス・コストロヴィツキ Wilhelm Apollinaris de Kostrowitzky 。

1916年に若きアンドレ・ブルトンが彼を訪問し、彼を介して、フィリップ・スーポーと知り合ったとき、彼はすでに有名な詩人であった(詩集『アルコール Alcools 』は1913年発表)。
アポリネールの極端に愛国的な調子は、二人の若者を落胆させはしたが、1918年11月の彼の突然の死に彼らは動転させられた。
彼らが「シュルレアリスム」という言葉を再び取ったのは ―― 理念はすこぶる異なるが ―― 、多少彼の思い出へのオマージュなところがある。
彼は自身の戯曲『ティレシアスの乳房 Les Mamelles de Tirésias 』(1917年)を「シュルレアリスム劇(超現実劇)」と称し、彼はこの言葉を使用した最初の人びとの一人であった。

彼の意見すべてに賛同することはなかったが、彼らは彼の、とりわけ画家たち(ピカソ、シャガール、キリコ、シュルヴァージュ)の側に立っての、現代の美術のあらゆる形態に対する開かれた態度や、彼の結集者の、磁極としての役割に感嘆していた。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

「シュルレアリスム」という用語を最初に使用したのはアポリネールなのであろうか?
1924年、運動の誕生時、この話題には激しい議論がなされた。
ブルトンの敵対者たち(ゴル、デルメ、アルベール=ビロ)は、『アルコール』の詩人の優先権を主張した。
ブルトンと彼の友人たちは少なくともロートレアモンに、ランボーにと反論し、問題はより遠くまでさかのぼる。
議論は今もって未解決である。


「彼と知り合いだったことが、そうざらにはない幸運として通るはずだ」
« L'avoir connu passera pour un rare bienfait »(ブルトン、「ギョーム・アポリネール」、『失われた足跡』所収、1924年)
アラゴンは彼を「魔術師 l'enchanteur 」と呼んでいた。




日本アートNipponArtでは、 Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.を「シュルレアリスム人名事典」と題して翻訳中です。あくまでも、ご参考までに。

今後とも日本アートNipponArtをよろしくお願いいたします。
日本アートNipponArt
http://nipponart.jp/

この記事に

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事