ここから本文です
フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

書庫全体表示

 
TZARA
 
イメージ 4une vidéo ajoutée par hershaw sur YouTube

● ● ● ● ●


T=トリスタン・ツァラ、Q=インタビュアー


Q トリスタン・ツァラさん。あなたはご自身を発案者、すなわちシュルレアリスム運動の発案者のお一人とお考えでしょうか?

T 「発案者」とは仰々しい表現ですね。まあ、ダダはシュルレアリスムの形成に、思想の次元にも、詩の、芸術全般の次元にも重要な役割を果たしたと言いましょう。ダダは反抗の一運動、精神の一状態でした。あらゆる青年期に特有の反抗であって、とりわけ私たちの世代に一致していたのです。
 
Q ええ、戦争をともにした青年期でした、第一次世界大戦後すぐでした。

T 戦中です。

Q 戦中?
 
T ダダは1916年にスイスで生まれました。私個人としてはわずか二十歳でした。アルプ、バルら私たちみながそうで、運動にこぞって参加しました。私たちはあらゆるこの時代の偽りの価値観、偽りの道徳、偽りの芸術、いわゆる大文字の芸術に反抗したのです。
 
イメージ 1
(左から)
ハンス・アルプ、トリスタン・ツァラ、ハンス・リヒター
1917年頃、チューリッヒ

Q 単なる芸術上の、美学上の一運動、文学の一派ではなかったのですね?

T そういった言葉、表現そのものが美術的、文学的なのですが、私たちは文学のクラシックな意味合いでの文学の一派になろうとは思ってもいませんでした。

Q なぜ「ダダ」という言葉を?

T ダダは辞書の中から偶然えらばれました。まさに何も意味しないためであり、私たちがいかなる教義にも縛られないためであります。

Q ゆえにシュルレアリスム運動はダダ運動のあとに誕生したと。

T ええ、ダダは1916年のチューリッヒに生まれましたから。

Q シュルレアリスムは?

T 1924年のパリです。1920年に私はパリにやって来ました。そしてダダは計り知れない反響を得るのに成功しました。

Q ダダはパリの運動になったわけですね。

T ええ、大いにスキャンダルを巻き起こしました。それに、ダダ以降、スキャンダルの道は区切られると言えるかもしれません。
 
イメージ 3
 
パリのダダイストたち
「サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会訪問」 (カルチェ・ラタンの真ん中) 1921年4月14日
(左から)ジャン・クロッティ、アステ・デスパルベス、アンドレ・ブルトン、ジャック・リゴー、ポール・エリュアール、ジョルジュ・リブモン=デセーーニュ、バンジャマン・ペレ、テオドール・フランケル、ルイ・アラゴン、トリスタン・ツァラ、フィリップ・スーポー
 
Q 今日、あなたはもう文学の、美術の次元でスキャンダルを起こすのは難しいとお考えでしょうか?

T 過去の時代にさかのぼれば可能かもしれません。

Q 例えば。

T 例えば、ダリのように。スキャンダルを起こすには法王に謁見するのです。

Q となると、あなたは極度に順応主義的な立場ならスキャンダルを起こせるとお考えなのですね。

T ええ、でもまだまだですよ(笑)。
 
イメージ 2
シュルレアリストたち
1935年頃
(左から)トリスタン・ツァラ、ポール・エリュアール、アンドレ・ブルトン、ハンス・アルプ、サルバドール・ダリ、イヴ・タンギー、マックス・エルンスト、ルネ・クルヴェル、マン・レイ
 
● ● ● ● ●
 
トリスタン・ツァラ Tristan Tzara 1896.04.16〜1963.12.25
 
フランスの詩人。ルーマニア生まれ。1916年、第一次大戦中のスイス、チューリヒのカフェ<キャバレー・ヴォルテール>に集まっていたハンス・アルプ、フーゴー・バルらとダダ運動を起こす。『アンチピリヌ氏の最初の天上旅行』 La Première Aventure céleste de M. Antipyrine (1916)、『二十五の詩編』 Vingt-Cinq Poèmes (16‐18発表、18刊)を発表、17年には雑誌「ダダ」を創刊してダダの推進者、中心的存在となる。ダダはいっさいの既成価値、既成の意味の否定・破壊、即興や偶然性への依拠など過激で新しい主張に満ち、また好んで集会を開き、人前で詩や宣言の朗読を行い、観客を挑発することに専念した。『ダダ宣言 1918』 Manifeste Dada 1918 (18発表)は、特に過激なもので、のちのシュルレアリストのブルトン、アラゴン、スーポーらに強い影響を与えた。20年パリに移り、ブルトンらとパリ・ダダを推進するが、22年ブルトンとの意見衝突から徐々にダダ運動は衰退する。しかし、ツァラは29年シュルレアリスム運動に参加することになり、35年最終的に決裂するまでの数年間に『近似的人間』 L'Homme approximatif (31)、『狼たちが水を飲むところ』 Où boivent les loups (32)といった代表作を制作、発表する。長編詩『近似的人間』はツァラ個人の代表作であるにとどまらず、ダダ、シュルレアリスムを通じ傑作の一つといえる。雄大なリズム、飛躍しながらも緊張したイマージュでもって人間の新しい相貌が描き出されている。その後、フランス共産党に入党、第二次大戦中はレジスタンス運動に参加した。そのほかの代表作に『種子と成果』 Grains et Issues (35)、『間』 Entre-temps (46)、評論に『シュルレアリスムと戦後』 Le Surréalisme et l'Après-Guerre (47)などがある。
 
『集英社世界文学大事典』より
 
● ● ● ● ●

この記事に

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事