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フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

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若者


18歳の時って、先生、どこにいたの? スペイン?



サルドール・ダリ


スペインだ。



若者


スペインのどこ?



サルドール・ダリ


マリスト修道会付属学校だ。



若者


修道士さんたちとの接触って、まだあったんですか?



サルドール・ダリ


わしが後で……。わしはいつも修道士たちと寝起きしておった。
小学校はキリスト教の学校だ。それからマリスト。それから……[1]


だがな! 最初は逆だったのだ。
わしが小さい小さい時、わしは完全に無神論の、自由主義思想の学校にいたのだ。



若者


あっ!

サルドール・ダリ


わしは突如、無神論の世界から宗教的信仰の世界へと移ったのだ。



[1] それから……

1922年(18歳)はダリにとって運命的な年である。この年の9月、マドリッドのサン・フェルナンド美術アカデミーに入学するため「学生館」に入寮し、ロルカやブニュエルらと出会っている。ブニュエルが「もし学生館を経ることがなかったら、わたしの人生はまったく別のものになっていただろう」と回顧したのとは対照的に、生涯ダリは学生館の思い出を(とりわけロルカとブニュエルとの思い出は)冷たく、変によそよそしい、含みのある仕方でしか語ることはなかった。この時のダリは「マリスト」の後、思わず「学生館」と言いかけたのではないか。言いかけて、すぐに話題を変えている。そう受け取れる箇所である。


イメージ 1
サン・フェルナンド美術アカデミーのダリ
1923年

長髪にマント。スカーフみたいに大きなネクタイ。明らかに他の生徒とは違う服装の19歳のダリ(最前列左)と、ダリの言う「アホみたいな」(crétin. 通常「白痴」と訳される)クラスメイト。




若者


先生。今の18歳の若者たちってどう思います?



サルドール・ダリ


ああ。幼稚だ。



若者


どうして?



サルドール・ダリ


それは、宗教的感覚に、今の若い者たちは関心がないからだ。人間の人格形成において唯一無二の重要なことだ。



若者


だけど。先生。そこんところも少し教えて下さい。宗教的感覚がもうないってこと?



サルドール・ダリ


お前さんもよく知っておろうが? わしは、自分がカトリック的、使徒的、ローマ的、そして少し、少しルーマニア的だと何度も言っておる[1]。にもかかわらず、神の恩寵たる、人間誰しも享受することのできる最も大切なこと、つまり信仰を、わしでさえなかなか持つことができんのだ。
ゆえに、今の若い者たちは、形而上学的観点から言って、多くの錯乱を抱えておる。



若者


先生。18歳の志って、カトリックの宗教世界と両立するものなのですか?



サルドール・ダリ


ああ。もちろんだ。進めぬぞ。宗教的感覚なくんば、前に進めぬぞ。



若者


どうして?



サルドール・ダリ


それはまさに、科学の進歩が証明しておろうが。側面、いや、側面ではない。デオキシリボ核酸〔DNA〕の分子構造と、不死の観念との間にある結び付きが証明されておろうが。
で、わしは! 見つけたのだ! 紛う方なき人体の構造の中にその結合点をな。
ケツの穴だ。
鼻や目や、他のものと同じく、神が創り給いしものだ。人体の腹腔内器官だ。



[1] ルーマニア的

ダリの1973年のテクスト「そうだ! ルーマニアでは」を参照〔『ダリはダリだ』(北山研二訳、未知谷、2010年)所収「遺伝的帝国主義の不死性」〕。



イメージ 2欲望の適応
L'accomodation du désir

1929年、板に油彩

1929年にブルトンが賞賛し、ダリをシュルレアリストの一員として迎え入れることになる作品。



若者


何歳の時、先生は、シュルレアリスムに夢を見つけて、そして実現したのですか?



サルドール・ダリ


それはまさしく、1929年だ。



若者


おいくつですか?



サルドール・ダリ


知るか。調べ給え。



若者


あっ、はい。分かりました。調べてみます……


ええ、すると、1929年。何があったんですが? 先生に、発見というか、何があったの?



サルドール・ダリ


それはまさに、わしがこの世で最も愛する存在を介してのみ起こり得たことである。



若者


ガラさん?



サルドール・ダリ


わしのすべての絵画に着想を与えた存在。そうだ、ガラだ。



若者


でも、それって、先生、めっちゃいいよね! 愛がさ、こう、絵画と関係があってさ……



サルドール・ダリ


女については、一つ言っておくぞ。



若者


いいよなあ。なんて言うんだろう。その広がりっていうかさ……



サルドール・ダリ


待て。女については一つ言っておくぞ。女に芸術的創作は完全に無理だ。

女ベラスケスがいるか? 女モーツアルトがいるか?

ラファエロもいなけりゃ、建築家にもおらん。
女は平凡な才能しかもたぬ。


だが! 女には評価に値する事柄を、女のまさに専門とすることができる。それは胎児を作ることができるのだ。



若者


うん! そりゃそうだよ! 大事だよ!
先生だってその胎児の中間段階みたいなのを経て、生まれてきたんだからね!



サルドール・ダリ


そうだ、そうだ。

だがな、より大切なことがある。女はな、女王にもなれるということだ。
ガラはわしの人生の女王だ。カスティーリャ女王もまたそうだ。ロシアのエカチェリーナも非凡の女王だ。ヴィクトリア女王も。
だから、女は女王になれるのだ。そしてわしは、重要な芸術作品を創造できたのだ。



若者


ガラさんは別?



サルドール・ダリ


ちがう。ちがう。ちがう。ガラもまた、その種の何かを創るには無能だ。だが!



若者


インスピレーション!



サルドール・ダリ


そうだ!



若者


やったね! インスピレーション!



サルドール・ダリ


いや! 待て、待て! インスピレーションではない!


男を、白痴化する能力だ!


お前さんにも分かろうが。恋をすると、お前さんも白痴になる。



若者


そりゃそうだよ! だって、恋は盲目だもんね!


先生、何かみんなにアドバイス……



サルドール・ダリ


誰だ! 今、勝手に入ってきた娘さんは?!



スタッフ


えっ?! アシスタントだと思いますけど……



サルドール・ダリ


あっ! そうか。すまん、すまん。カトリーヌが戻ってきたかと思ったのだ。



イメージ 3
ラファエロの首をした自画像
Autoportrait au cou de Raphaël

1920-21年、カンヴァスに油彩

ダリ16、17歳頃の自画像。





若者


先生。勉強の方はどうしてたの?



サルドール・ダリ


勉強か。わしは勉強ができなんだ。わしは狂気の笑いの発作を抱えておったからな。



若者


え、そうなの?



サルドール・ダリ


そうだ。だからわしは床で眠らなければならなかったのだ。決定的な事柄を考えるたびに、笑いの発作に襲われて、笑い転げ回っておったからな。




イメージ 4
ツバメの尾(カタストロフのシリーズ)
La queue d'aronde - Série des catastrophes

1983年、カンヴァスに油彩

1983年5月に完成した、ダリ最後の絵。



サルドール・ダリ


以上、わしが話したところがわしそのものだ。そして、繰り返し言うぞ。


ダリと狂人の間にある、唯一の違い。
それは、わしが狂人ではないということだ!


12





サルバドール・ダリ Salvador Dali 1904〜1989


スペインの画家。フィゲラスに生まれ、マドリードの美術学校で学んだ。そこでデ・キリコ、カッラの形而上絵画の影響を受けたが、同時にイギリスのラファエル前派やメッソニエなど19世紀画家の精緻な写実主義にも魅了されていた。1927年からマドリード、バルセロナで作品を発表し注目されていたが、1928年の二度のパリ旅行でピカソ、ミロと会い、翌年のグーマンス画廊での個展を取り決めた。この個展がきっかけでダリはシュルレアリスム運動に加わり、その派の最も目ざましく大衆受けのする画家となった。


ダリは生涯、奇行・奇癖を開発し、誇大妄想的自己顕示欲こそ創造力の源泉と主張して、その性向を誇張しつづけた。シュルレアリスムのオートマティズム(自動記述)の理論を受け入れはしたが、それをもっと積極的な方法に変容して、自ら「偏執狂的批判主義」と名づけた。すなわち、人は、意識の裏側で理性と意志が故意に停止した状態になっていることに気づきながら、あたかも冷めた偏執病におけるごとく、正真正銘の妄想を開発しなければならない、というのである。彼の絵はしばしばラファエル前派風と言われる精密描写をもっているが、それは、描き出された非現実的な夢の空間やイメージの奇怪さとの間に独特の幻覚的な現実感を生み出している(魔術的リアリズム)。この幻覚的イメージと魔術的な写実法の対比がもつ魅力のゆえに、彼の絵はシュルレアリスム作品のうちで最も広範に知られ、芸術外の分野にまで名を及ぼすことになった。


1937年のイタリア旅行ののち、ラファエロやイタリア・バロックの影響で一時期アカデミックな様式に変わった。アンドレ・ブルトンは1929年には彼を熱烈に支持し、展覧会のカタログに序文まで寄せていたが、ダリの変節を断罪し、シュルレアリスム運動から追放した。1940年から15年間をアメリカで過ごし、1955年にスペインへ戻った。アメリカでも自己宣伝を続け、自叙伝『サルバドール・ダリの秘められた生涯 La vie secrète de Salvador Dali 』(1942〜44)を出版した。その他、ダリには『天才の日記 Journal d'un génie 』(1964)、『サルバドール・ダリへの公開状 Lettre ouverte à Salvador Dali 』(1966)など、自己と芸術についての赤裸々でユニークな文章がある。最初の大規模な回顧展は、1941年、ニューヨーク近代美術館で行われた。

(『オックスフォード西洋美術事典』より)

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