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フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

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Mishima à propos du livre Après le banquet

イメージ 1A la vitrine du libraire
15 janv. 1966 - 05min 55s



「フランス文学についてもっとも本質的な理解を示している」(鹿島茂)とも評される、三島由紀夫のフランス語によるインタビュー。


1966年1月15日放送。番組名の“A la vitrine du libraire”は「書店のショーウインドーでは」ほどの意味。


なお、三島本人の日本語は通訳のフランス語を参考に再現している旨、ご了承くださいませ。

聞き役: ポール・ルイ・ミニョン Paul Louis MIGNON
出 演: ガストン・ルノンドー Gaston RENONDEAU、三島由紀夫 Yukio MISHIMA




――ガリマール社から出版の、三島由紀夫著『宴のあと』。ムッシュー・ルノンドー。あなたはミシマ作品の翻訳者であられます。「ミシマ」とは誰でしょう?


ガストン・ルノンドー

高名な谷崎〔潤一郎〕氏が亡くなられて此の方、谷崎氏は長年にわたってノーベル賞候補に、つい数ヶ月前に亡くなられましたが、ムッシュー・ミシマが差し詰め、錚々たる日本の作家たちの中でもその先頭に立つ者と、見なされているのでございます。



――ミシマ作品とはどのようなものでしょう? 今日まで、フランスで知られている作品はございますでしょうか?


ガストン・ルノンドー

残念ながら。われらはまだその主要な作品を持ち合わせておりません。
と申しますのも、アメリカはじめ諸外国におきましては、すでに評判著しい氏の作品の多くの小説が翻訳されております。
じつにフランスにおきましては、いくらかの名声を得た小説『金閣寺』を除いては、あまり知られてはいないのでございます。



――『宴のあと』のヒロインは、東京に大きな料亭を構える女将〔福沢かず〕。かつて外務大臣まで経験し、今は政界への復帰を目論む元外交官〔野口雄賢〕と親しくなり結婚する。ドラマはこの二人を中心に、伝統的なものと未来的なものが接触する二つの日本、その二律背反を描き出す。




イメージ 2『宴のあと』
三島由紀夫(著)
新潮文庫

「中央公論」に昭和35・1〜10まで連載。
プライヴァシー裁判であまりにも有名になりながら、その芸術的価値については海外で最初に認められた小説。都知事候補野口雄賢と彼を支えた女性福沢かづの恋愛と政治の葛藤を描くことにより、一つの宴が終ったことの漠たる巨大な空白を象徴的に表現する。著者にとって、社会的現実を直接文学化した最初の試みであり、日本の非政治的風土を正確に観察した完成度の高い作品である。




――ムッシュー・ミシマにお会いする光栄に授かることができました。これより私が直接、氏にお伺いしてみたいと思います。ムッシュー・ミシマ。伝統的なもの、そして近代的なもの。日本には二つの文学が存在するのでしょうか?


三島由紀夫

Il n'y a pas d'opposition entre les deux tendances.
La littérature japonaise contemporaine est une synthèse entre un apport occidental important et les formes nationales traditionnelles.

それら二つの風潮に、対立はございません。
現代の日本文学は、重要な、西洋からもたらされたものと、わが国の伝統的形式の総合〔ジンテーゼ〕であります。



――それら二つの傾向のどちらに、あなたご自身は関係されているのでしょうか? 古典的なものでしょうか? それとも近代的なものでしょうか?


三島由紀夫

Je voudrais parler en japonais ?
日本語でお話ししてもよろしいでしょうか?



――どうぞ。


三島由紀夫

わたくしの傾向は、エステティック〔美学〕とサイコロジー〔心理学〕との溶けあったところに、小説の目的を置いています。


日本では、エステティックとサイコロジーの傾向とは全然別のものではありませんし〔二つの異なる要素ではないということ〕、オリジナリティー〔独創性〕というものがリアリズムと反しないのが日本における傾向であります。


一方ではまた別の傾向がありまして、これらはわたくしは全然関与しておりませんが、わたくしは「I(アイ)のノベル〔私小説〕」、つまり西洋のロマン主義文学の傾向と、日本の中世の厖大な告白文学を融合したような、新しい形態の小説が19世紀末から盛んになっております。



――あなたご自身に、特別の影響を与えたフランスの作家はいらっしゃいますでしょうか?


三島由紀夫

Oui. Raymond Radiguet, que j'adimire beaucoup.
Et j'ai lu « Le Bal du comte d'Orgel », très jeune.
Ce livre m'a beaucoup frappé.

ええ。レイモン・ラディゲです。たいへん敬服しております。
『ドルジェル伯の舞踏会』を読みました。非常に若い頃です。
この本はわたくしに強い感動を与えました。


――現代社会における日本の作家の状況はどのようなものでしょうか?


三島由紀夫

La situation de l'écrivain japonais contemporaine, 〔聞き取れず〕, à l'époque d'Alexandre Dumas et Émile Zola.
現代日本の作家の状況は、アレクサンドル・デュマやエミール・ゾラの時代の……………。

Je voudrais parler en japonais.
日本語でもよろしいか。

日本の小説はあたかもその時代のように連載小説のかたちで500万部の発行部数を誇る大新聞に連載されることが多くなりました。
しかし10年前から、テレビジョンが非常に発達しておりまして、大きな新聞の連載は段々に衰えてまいりました。
しかしなお、連載小説の伝統は強く残っておりますので、作家たちはまずその作品を文芸誌に発表し続けられております。


――日本の作家の生活におけるテレビの影響はどうでしょう? あなたにとってテレビは新しい表現手段でしょうか?


三島由紀夫

日本ではそのテレビジョンは、影響はことに中産階級がほとんど本を読むことに代わるもので、本を読むよりも自分の家(うち)にいて一日テレビでもじっと見ることがみんな好きになりました。
ことに小さなアパートメントに子どもと奥さんといる時に、テレビジョンの傍……。


――例えば、原爆はどうでしょう。原爆は書物に影響を与えましたか?


三島由紀夫

広島の問題は非常に僕たちには語りにくい問題です。なぜならそれは、個人的な感情によってみんな復興をそこに望んでいるからです。
しかし小説は、戦争が済んでしばらくの間は、かなり社会的な傾向によって原爆を扱ったものもあれば、また私的、私小説的傾向によって自分の原爆の体験から小説を書いたものもありました。
しかし、それから10年、15年経つうちに、もっと客観的なかたちで小説が原爆を扱うようになった。
例えばわたくしの『美しい星』でありますけども、〔不明〕のかたちを取って原爆の問題を扱ったものです。
それから最近では井伏〔鱒二〕さんという小説家が、原爆を受けた少女の日記を借りたかたちでもって一冊書いております。



――ありがとうございました。ムッシュー・ミシマ。あらためてガリマール社から出版の三島由紀夫著『宴のあと』。こちらについてご紹介させていただきました。




Yukio Mishima et Raymond Radiguet
三島由紀夫の「ラディゲ病」

少年時代の感受性をおしゆるがした書物は、終生忘れがたいものになるであろうが、レイモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」(堀口大学訳)ほど、強い影響を受けた本はありません。そういう本は、われわれがまだ意識していない内奥のものと密接な関係があり、それを触発してやまぬ力をもっているが、今日もなお、ラディゲの窓から、ヨーロッパ文学の城館の内部へ入って行ったという、窃盗のような闖入の仕方を、決して後悔しておりません。私のかぶれ方は甚だしいもので、
「フランソワは知るのだった。自分がマアオにたいしてやさしい心を欠いていたことを」
と言った調子のパセティックな倒置文の影響は、最近にいたるまで、私を悩ましました。ユニークな飜訳文そのものの影響は、日本における近代西欧文学の影響と呼ばれているものの中で、黙視しがたい一傾向であります。このラディゲ病は、森鴎外の作品に親しむにいたって、ようやく快方にむかいつつあるようであります。

(「ラディゲ病」昭和27年1月・婦人公論)



イメージ 3『三島由紀夫のフランス文学講座』
鹿島 茂(編集)
ちくま文庫 1997年刊

三島由紀夫こそは、戦後最高の批評家である、と言う編者が作家別・テーマ別に編む、三島のフランス文学論集成。ラティゲ、ラシーヌ、バルザック、スタンダールらの作品を三島はどう読み解釈したのか? フランス文学からどんな影響を受け、自らの文学の糧として吸収していったのか……。三島文学を理解するうえでの格好の案内書。文庫オリジナル。




三島由紀夫 ミシマ・ユキオ 1925.1.14〜1970.11.25

東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。(新潮文庫・著者プロフィールより)

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