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フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

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Philippe Soupault parle du Montparnasse des années 20

イメージ 1L'art et les hommes - LES HEURES CHAUDES DE MONTPARNASSE
16 sept. 1963 | 01min 08s



おなじように、1919年のこと、スーポーは何軒もの見当ちがいな建物にはいってゆき、管理人に、フィリップ・スーポーさんのおすまいはこちらでしょうか、とたずねまわったものである。思うに、そうですという返事がかえってきたとしても、彼はおどろかなかっただろう。そのまま自分のすまいのドアをノックしにいったことだろう。

(アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』1924年)



――フィリップ・スーポー。思い出を、ほとんど幻影のようなものを追い求めているうち、またしても、あなたには、なじみの場所で、再会です。


スーポー おお! いかにも、モンパルナスは、わたしたちにとって、一つの時代、のみならず、並ならぬ、出会いの場所でもありました。

なぜなら、いいですか? モンパルナスの境を越えるたび、わたしたちは、たちまち、自由を吸い込んでいるかのような心地がしたのです。


――さきほどは、風俗の自由についてお話しくださいました。この点はもう少し強調すべきかもしれない、そう思えるのです。なぜなら、それがまさに、事実上、第一世界大戦後であったからです。


スーポー まさに、第一次世界大戦後でした。それにまさに、、、


――時代背景とも少し関連しているかもしれない?


スーポー ええ! もちろんですよ。爆発がありました。1914年から1918年にかけての、おぞましい戦争の後に。

誰もが、完全に、自由になりたいと感じました。

で、当時でさえ、風俗の面からして、並並ならぬものがありました。

わたしが言えるのは、少年たち同様、少女たちも、断じて、どんな偏見からも自由だったのです。

これは、全く通常とは異なるものでした。雰囲気として。

だが、見せびらかすようなところがなかった。とても自然でした。

これこそあった、すばらしいものです。これはナチュラル、、、

モンパルナスは極度にシンプルな場所でした。

ここでは誰もが断じて、自由に! 完全に! 生きていました。



フィリップ・スーポー Philippe Soupault 1897.08.02〜1990.03.12

1897年セーヌ・エ・オワーズのシャヴィルに生まれ、パリでくらす。大ブルジョワ家庭出身の詩人、作家。「文学」誌同人とともにパリのダダ運動に参加し、ついで初期シュルレアリスム運動の一員となったが、1929年に除名され、小説家、旅行家、ジャーナリストとして多彩な後半生をおくる。アンドレ・ブルトンとの共作で、「オートマティック」な最初の作品『磁場』(20年)を書いたことは忘れられない。長命だったせいかさまざまな回想記をのこし、90年に没。

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