ここから本文です
もはや、自分自身を軽蔑することのできないような、最も軽蔑すべき人間の時代

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]


Tristan Tzara à propos du mouvement Dada

イメージ 1L'art et les hommes
16 sept. 1963 | 02min 10s


ホテル・イストリア
カンパーニュ=プルミエール通り29番地

Hôtel Istria
29 rue Campagne-Première




Hotel Istria, dans le 14e arrondissement de paris, SITE OFFICIEL
www.hotel-istria-paris.com/



すべてが過ぎ行くうちにも、伝達するのは心の声であるかのように、大戦に端を発した二つの革命のメッセージが、モンパルナスに届きつつありました。

1914年から18年にかけての第一次世界大戦。

ロシア革命。それに、よりいっそう直接的であったダダ革命。

ヴェルダンでは何百万もの兵士が死と直面するさ中、トリスタン・ツァラなる一青年が投げつけたのは、“思想の爆弾”なるものでした。


ツァラ まあ、ご存じ、ダダはスイスで、1916年に生まれました。

ピカビアがその時期やって来て、ダダの一員に。

リブモン=デセーニュもこれに加入。

そして、ブルトン、スーポー、アラゴンの作る『文学』誌のグループが、このダダ運動に賛同しました。

そこにほどなく、エリュアールが合流。


――計画は何だったのですか?


ツァラ ダダの計画は、世間一般に考えられているところ、破壊、とは反対に、新しい価値観を生み出すこと、既存の価値観をくつがえすこと、でした。

そのためには明らかに、価値観をくつがえすためにも、世間一般に流通する、少なくもアカデミックな価値観を、破壊する、必要がありました。

それがため、ダダの評判は、破壊の運動であると、定着。

破壊こそがまさに、破壊だけがダダ運動であると、思われているのは、残念なことです。

もし、まず存在するものを破壊しなければ、建設はできません。明瞭なことです。



Francis Picabia. Tableau Rastadadaz. 1920. Cut-and-pasted printed paper on paper with ink, 7 1/2 x 6 3/4" (19 x 17.1 cm). Gift of Abby Aldrich Rockefeller (by exchange). © 2016 Artists Rights Society (ARS), New York/ADAGP, Paris


ツァラ ダダはもちろん、モンパルナスを舞台に、特定的に、特別に行われたものではありません。

イベント全体が、よその場所でも行われたのですから。


――モンパルナスでもダダは話題だったと思うのですが?


ツァラ ええ、大いに話題になりました。

モンパルナスは、先程お話ししたように、出会いの場所であり、間近に住む人たちにとっては、滞在地でもありました。

少し後ですが、マン・レイとクルヴェル、他に数人。私たちはカンパーニュ=プルミエール通りのホテル〔29番地、ホテル・イストリア〕に住んだのです。

ほとんどホテル全体が友人たちに住まれていました。

さあ、その頃はまさに、美しい人生。友情に包まれた。

ホテルは私たちの、一軒の非常に大きなアパートのようで、私たち全員が住んでいました。


――ファランステール?


ツァラ まあ、そう申せるのなら。



トリスタン・ツァラ Tristan Tzara 1896.04.16〜1963.12.25

1896年ルーマニアのモイネシュティに生まれ、1963年にパリで死んだ。詩人だが、彼の名は概してダダ運動そのもと同一視される。事実、16年チューリヒでダダを創始し、そのもっとも活潑な指導者となった。20年、パリにあらわれて「文学」誌のグループとまじわる。この雑誌運動の延長であるシュルレアリスムからは最初はなれた位置にいたが、28年に参加。だがのちにふたたび離脱して共産党に入党、抵抗運動にも加わった。その光彩陸離たる作品群はこんにち再評価されつつある。

この記事に

全1ページ

[1]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事