ここから本文です
フランスは思うに、自由平等の気ちがい病院というべきで …… これがフランスの短所であり、長所であり、困難であり、幸福である。

書庫シュルレアリスム人名事典

記事検索
検索

全69ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]



このカテゴリーでは、Alain Virmaux, Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994. を、「シュルレアリスム人名事典」と題して試訳しています。あくまでも、ご参考までに。
 
 
イメージ 1
 
 
Les grandes figures du
surréalisme
international
 
[シュルレアリスム人名事典]
 
 
 
 
Sommaire
目次

この記事に

Introduction
イントロダクション(3)
 
イメージ 2
 
 
■ 慢性的攻撃性、その理解の手がかり
 
おそらく、このゲリラ戦の連続という環境が、運動のポジションを常に情念的かつ劇的な性格たらしめたのであろう。
 
事実、ブルトンとその友人たちはぞうさもなく自分たちの行動に闘争的態度を備えていた。
相応の報いを受けたとて、誰も彼らを気の毒がる者はいなかったであろう。
もしも、この好戦的性格を彼ら自身が見せつけていたとしても、これは全く動機のないものではなかった。
 
まず、時代がそれに向いていた。
1920年代の初め、情念は生き生きとしていた。
1914年から18年の怪物のような殺戮の思い出はまだ現前していた。
このような極度に興奮したムードの中で、新しい声を発するには、実に大きな声で語りかける必要があったのだ。
戦争の使徒たち、勝利の歌い手たちが指導的立場にある時代。
当時支配的な愛国的言説に真っ向から反対するのは、リスクを伴うものであり、きわめて卓越した活力を要するものであった。
 
すでに、ダダが「好戦的な人たち」に、殺戮を許し、欲し、推奨した文明にはっきりと対立したことは知られている。
しかし、ダダはそれを嘲弄の、非常識な言動の、ほとんど滑稽な言動ともいうべき次元で行なった。
シュルレアリスムはより遠くへ行く決断をした。
敢然と困難に挑むことを、怪物ゴルゴーンに顔を隠さず立ち向かうことを。
 
要するに、攻撃にさらされるということだ。
そして、シュルレアリスムへの攻撃は事欠かなかった。
 
大殺戮の賛同者たちに立ち向かう、それは自分たち自身を卑怯者、敗北主義者、「ドイツかぶれ」呼ばわりされることをあらかじめ認めることであり、訴訟を、有罪を、時あらば受けてしまうということであった。
1925年、ミシェル・レリスは公衆で「ドイツ万歳!」と叫んだために、なかばリンチという目に遭うであろう。
熱狂の渦中にあった当初から、絶えずシュルレアリスム運動は何らかの足跡を残していった。
 
1920年代のまだ好戦的なムードがすべてを説明するわけではない。
たしかにブルトンと彼の友人たちは戦争に与した、あるいはただそれに甘んじただけのすべての者たちを敵として扱う決心をした。
そして、彼らの戦略は大惨事の出現を助長したすべてと手を切る方向へと彼らを駆り立てるものであった。
つまり、芸術の、文学の次元を含めて、紛れもない「革命」を要求することであった(「革命」は彼らの最初の雑誌のタイトルになるであろう)。
 
ところで、この次元において、彼らは激しい競争にさらされることになった。
彼ら以外の他の者たちも、過去を一掃しようと運動を創設しようとしていた。
「シュルレアリスム」の用語をめぐる緊迫の争いさえあった(参照:鉗子分娩(「シュルレアリスム」の用語をめぐる最初の論争))。
用語の奪取は大奮闘の末に得られたものであった。
新たな運動の周囲に、穏やかで、コンセンサスのある環境を創出するのは、当然、自然というわけにはいかなかったのであった。
 
イメージ 3
 
以上が、今日では驚きに値する、シュルレアリスムの攻撃性の主だった要因であった。
グループのメンバーは自分たちの行動によって、その代わり引き起こされる衝突に自制することはなかった。
互角に打ち返して見事に防戦するのみならず、機先をも制した。
反撃のみならず、急襲さえ行った。
 
当初より、彼らは敵を、ライバルを、憎むべき者を自分たちで決めていた。
その先頭には、クローデルコクトーがいる。
それに司祭たちも、のちに映画『黄金時代』の上映を禁止することになる例の警視総監シアップも忘れてはなるまい。
シュルレアリスムの人物調査には、これら敵対するが、重要であるところの人物たちを忘れず、注意を払いたいと思う。
彼らが運動の境界を示すのである。
彼らが防波堤の役目を果たすのである。
彼らが勝負の会場となる場を限定するのである。
 
これより、われわれは威信ある大隊のパレードを観兵する。
戦闘の熱気を、荒々しさを掴んでもらうためにも、引き立て役に選りすぐりのライバルたちいく人かを選ばせてもらった。
 
そして、絶対的模範者たちからなる小隊がある。
理想たるべき偉大なる先駆者たち、この旗の下にはランボーが(暫定的ではあるが)、ジャリが、アポリネールが、そしてロートレアモンがいる。
 
かくして、半世紀にわたって、整然と標識が立ち並ぶ、区切られた空間の中で、シュルレアリスムの冒険は繰り広げられていった。
 



日本アートNipponArtでは、 Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.を「シュルレアリスム人名事典」と題して翻訳中です。あくまでも、ご参考までに。
 
イメージ 1今後とも日本アートNipponArtをよろしくお願いいたします。
日本アートNipponArt
http://nipponart.jp/

この記事に

Introduction
イントロダクション(2)
 
イメージ 2
 
 
■ 失敗か? 成功か?
 
当初の、途方もない野心を鑑みれば、シュルレアリスムは失敗であったと見るべきか?
ウイあるいはノン。
ウイ、失敗だ。
運動が今日一般的に、長いリストの中の一つの「主義 isme 」以上のものとして認識されているという点で。
また、その主要な鼓吹者 ―― 「法王 pape 」という呼び方は避けよう、ブルトンと彼の友人たちはそれを正当なものとは認めなかったのだから ―― が、プレイヤード版が構成するエクリチュールのパンテオンに易々と足を踏み入れたと見えてしまうという点で。
 
ノン、成功だ。
是が非でも、失敗ではないとするならば、シュルレアリスムはただ作家たちのグループを指すものではない、そこには画家たち、写真家たち、映画人たちも関わってくるのだから。

たしかに、それを締め出そうと努めたのではあったが、専門性というものが出来上がってしまった。
すべてのクリエーターたちは多様な仕事をこなさなければならなかったであり、その小さな世界に閉じこもるのは避けなければならなかったである。
画家たちは書き、作家たちは写真や映画などをするのが、理想であった。
 
この次元では、失敗であった。
夢見た多領域性は、昔からの分類の前に消えなければならなかった。

しかし、譲歩がなされたとはいえ、シュルレアリスムが現代人の感覚を修正し、深くしみ込んだということはいかにして否定できようか?
その影響は広告の領域にまで現れたと強調された。
くどい繰り返しになるが、その影響力の広がりを、その狙いからかけ離れた領域へのその浸透を上手く証明するものではある。
 
次に(最後になるが)、シュルレアリスム最大の勝利の一つは、確実に、その賭けようとするところの周囲に、もっとも驚愕すべきチームを結成できたことにあろう。
アルトーからダリエリュアールからタンギーアラゴンからミロマックス・エルンストからスーポーマッソンからレリスプレヴェールからブニュエル、なんと豪華なメンバーか!
世紀を、世紀の顔の大部分を要約するメンバーである。
 
これらビッグ・ネームの中には、ほとんど継続的に運動には属さなかったではないかと指摘があるやもしれない。
それは正しい。
ほとんど誰もが、除名をともなうか、ともなわないか、絶縁という結果に、あるいは距離を取るという結果に終わってしまっている。
もしも、一方を正統派、ブルトンに忠実な者たちとし、他方を異分子、分離派とはっきり二つに区分けするならば、後者はその規模で前者を圧倒するであろう(ブルトン自身も1951年に正統性を失するとの疑いがかけられたことは考えに入れておこう)。
 
より衝撃的なのは、まだ多くのクリエーターたちが、実にシュルレアリスムと親しく付き合っているようには見えなかったのであるが、短くもシュルレアリスムの体験に同意したということだ。
顕著な例が、数年間と限られたものであったが、ピカソのそれである。
またそこにはジョルジュ・バタイユの、カンディンスキーの、ラカンの、カイヨワの、つかの間のパートナー、ドリュ・ラ・ロシェルの名前さえあげられよう。
 
ブルトンは、まったく別の表現にその中心は置かれるが、のちに投げかけるある表現を、1940年ごろのある時期、使用しようとさえしていたのであった。
 
「誰もがシュルレアリストである、あった、あろう」
« tout le monde est, a été ou sera surréaliste »
 
すでに見た、1920年代末の『大いなる賭』誌、第2次大戦後のレトリスムシチュアシオンニスムしかり、シュルレアリスムとの関係で、あるいは対立するかたちで自己を定義しながら、多くのグループ、下位グループが発展した。
その方法は、仲間であるというサインを出しながらも、その地位を奪い去るというものであったり、シュルレアリスムと比較して自分たちの方が優れているといったものであった。
 
シュルレアリスムはどこでも、いつの時代にも、1969年のその死亡証明書まで、もっとも攻撃的な運動であった。
今日においてさえ、その遺産を探り、過ぎ去ったものとして宣言するか否か、その作業は今も続けられているのである。
 
 
日本アートNipponArtでは、 Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.を「シュルレアリスム人名事典」と題して翻訳中です。あくまでも、ご参考までに。
 
イメージ 1今後とも日本アートNipponArtをよろしくお願いいたします。
日本アートNipponArt
http://nipponart.jp/

この記事に

Introduction
イントロダクション(1)
 
イメージ 1
 
シュルレアリスム:ますますふつうに使用されつつある言葉。
奇妙に、突飛に、戸惑わせるかに思えるようなものを形容するための言葉。
少しイカレテいるというようなニュアンスもあり、まさに、結局のところ、その語源のように、きわめて現実離れしたものを形容する。
 
今日、ある政治家を指して、彼は「シュルレアリスム的」演説をするなどという場合、軽蔑ではないが、それは決まって馬鹿にしているということになる。
彼がとりとめのない、ささいな空想にふけっているということであり、庶民のふつうの感覚を見失った者、夢見る人、妄想家、ユートピア論者になってしまったということである。
 
だが、語の変遷は決して逸脱したものではない。
シュルレアリスム・グループが黒いユーモア、「ナンセンス nonsense 」、初期のドタバタ喜劇、マルクス兄弟の映画を偏愛したと知れば、変遷は語に一致しているのだ。

 
■ 平凡な一語
 
ゆえに、1924年に誕生し、1969年に公式に終焉したのが「歴史的 historique」シュルレアリスムであったにせよ、今日のわれわれの平均的言語の中にまでその痕跡は残されている。
もちろん、言葉はそれが包摂するものをあまり理解されずに使用されてはいるが、それは不可避の現象でもあろう。
 
同様に、エンディングに死体が登場したり、流血のある、少しでも血なまぐさいスペクタクル(映画や演劇)を、早急に「残酷演劇 théâtre de la cruauté」に結び付けようとする批評が必ず存在する。
このような意味で「残酷 cruauté」の用語を採用したのではなかったと、アルトーは繰り返し説明したのではあったのだが。
 
いずれにせよ、言葉というものはそれぞれ固有の生命によって生かされているものである。
学識ぶって、その意味の違いについて憤慨したところで、真に無意味なことであろう。
 
同じく、ここでシュルレアリスムを体系的に再定義するのも無意味なことに思われる。
すでにこのテーマで学問的な研究書ほか信頼するに足る入門書が出版されている。
どんなに小さな百科事典でさえ、「夢」「驚異」「狂気の愛」「自由」「革命」などのシュルレアリスムの大きな概念を簡潔に想起させるのに十分であろうし、その主要な技法、「自動記述」「眠り」「優美な死骸」をはじめとする様々な「遊戯」など、いくつかの基本的情報は提供されている。
 
われわれは、時間の流れによって権威づけられた、ある種の隔たりをもって判断された、シュルレアリスムの特色のひとつ、ふたつ、それらを眺めるだけで十分満足であろうか。
 
まず、シュルレアリスムは文学の一派たろうとは思いもしなかった。
この時代、数多の文芸運動が展開し、存在した。
シュルレアリスムは、ロマン主義、自然主義、未来主義……、とそれに続く運動たろうとは考えもしなかった。
 
シュルレアリスムには広大な、桁外れとも言える野心があった。
シュルレアリスムは行動と思考のあらゆる領域で適応可能な、グローバルな革命計画を投げつけたいと考えていた。
 
よく知られるとともに、その主要な狙いであるところは、マルクスの「世界を変革する transformer le monde」とランボーの「人生を変える changer la vie」、この二つのスローガンを再編成し、統合し、融解させることにあった。
 
少なくとも旋律豊かな詩人たるべきことが問題なのではない。
人類に思考の新しいシステムを、人類と世界の関わりを保証する新たな方法を、提供しようとしていたのであった。
 
計画は壮大であり、すべてを包括するかのものである。
その影響からは何者も逃れ得ないであろう。
 
それでも、再び昔の悪い習慣に戻ってしまう危険が存在した。
1930年以降、危険は『大いなる賭』誌の主要推進者、ルネ・ドーマルによって定式化されていた。
 
「アンドレ・ブルトンよ、いつか文学史の教科書に載らぬよう気をつけるがいい。」
« Prenez garde, André Breton, de figurer plus tard dans les manuels d'histoire littéraire. »
 
警告は、絶対的恐怖、最悪の結末、を意味した、つまり、シュルレアリストたちが激しく抗ったところのものであるからだ。
ブルトンにとって、その友人たちにとって、この言葉はもっとも辛辣な侮蔑であったにちがいない。
 
けれども闘争は、時とともに、結果、ドーマルの予言が見事に的中していくことになる。
シュルレアリスムはその公式な終焉以前から、文学史の教科書に加えられたのであった(『大いなる賭』誌もまたそこから完璧に逃れることができなかったのは言うまでもあるまい)。
 
日本アートNipponArtでは、 Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.を「シュルレアリスム人名事典」と題して翻訳中です。あくまでも、ご参考までに。
 
イメージ 2今後とも日本アートNipponArtをよろしくお願いいたします。
日本アートNipponArt
http://nipponart.jp/

この記事に

Les Surréalistes
シュルレアリストたち(2)
 

イメージ 1ダダ

 

トリスタン・ツァラ Tristan Tzara 1896-1963
ジョルジュ・リブモン=デセーニュ Georges Ribemont-Dessaignes 1884-1975
クレマン・パンセルス Clément Pansaers 1885-1922
エミール・マレスピーヌ Émile Malespine 1892-1953
ピエール・ド・マッソ Pierre de Massot 1900-1969

 
イメージ 3ベルギー
 
ブリュッセル
カミーユ・ゲーマンス Camille Goemans 1900-1960
ポール・ヌージェ Paul Nougé 1895-1967
マルセル・ルコントMarcel Lecomte 1900-1966
エドゥアール=レオン=テオドール・メゼンス Édouard Léon Théodore Mesens 1903-1971
ルネ・マグリット René Magritte 1898-1967
アンドレ・スーリ André Souris 1889-1970
ポール・コリネ Paul Colinet 1898-1957
ルイ・スキュトネール Louis Scutenaire 1905-1987
イレーヌ・アモワール Irène Hamoir 1906-1994
マルセル・マリエン Marcel Mariën 1920-1993
ポール・デルヴォー Paul Delvaux 1897-1994
ラ・ルーヴィエール
アシール・シャヴェ Achille Chavée 1906-1969
フェルナン・デュモン Fernand Dumont 1906-1945
マルセル・アヴレンヌ Marcel Havrenne 1912-1957
 
イメージ 4英国
 
 
イメージ 5ユーゴスラヴィア
 
 
 
イメージ 7ルーマニア
 
 
イメージ 9日本
 
 
イメージ 15スペイン領カナリア諸島
 
 
イメージ 11ギリシャ
 
 
イメージ 16エジプト
 
 
イメージ 17アルゼンチン
 
 
イメージ 21ペルー
 
 
イメージ 19メキシコ
 
 
イメージ 13デンマーク
 
 
イメージ 14スウェーデン
 
 
イメージ 20レバノン
 
 
イメージ 18イラン
 
 
イメージ 8マルティニーク
 
 
イメージ 12ハイチ
 
 
イメージ 10アメリカ合衆国
 
 
 
日本アートNipponArtでは、 Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.を「シュルレアリスム人名事典」と題して翻訳中です。あくまでも、ご参考までに。
 
イメージ 2今後とも日本アートNipponArtをよろしくお願いいたします。
日本アートNipponArt
http://nipponart.jp/.

この記事に

全69ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事