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土佐の偉人「坂本龍馬」・・・・・
その経歴はあまりにも有名なので、あえてここでは書きませんが、今日はそんな「坂本龍馬」にまつわる一人の女性について綴ります。
嘉永6年(1853年)、剣術修行のために江戸へ来た龍馬は、「江戸桶町(現在の東京都中央区)」にあった「北辰一刀流・桶町千葉道場」の門人となりました。
そこで知り合ったのが、道場主「千葉定吉」の二女「千葉さな子」でした。
その頃、龍馬には土佐に残した「平井加尾」という恋人がいたのですが、さな子と龍馬はすぐに恋仲に・・・・
現存する龍馬が姉の「乙女」に送った手紙には、「さな子は剣の腕前も達人で、顔も加尾より良い・・・」と綴られています。
龍馬の手紙のとおり、「さな子」は「北辰一刀流・小太刀免許皆伝」を受けており、顔立ちも良く評判の美人だったようです。
しかし、その恋は実らず、後に龍馬は「お龍」という女性を妻に娶り、その後「慶応3年(1867年)」に「京都」の「近江屋」で「中岡慎太郎」とともに刃に倒れます。
失意のどん底、龍馬を忘れることができなかった「さな子」は生涯「独身」を貫いたとされていましたが近年発見された資料で、「鳥取藩主・山口菊次郎」と結婚するも、すぐに離婚したという事実が判明しました。
後に「さな子」は「江戸・千住(現在の東京都荒川区)」で「灸院」を開業し、「明治29年(1859年)」に静かに息を引き取り、波乱に満ちた59年の生涯を閉じました。
「さな子」の「亡骸」は一旦「谷中墓地」に埋葬されたものの、「千葉県松戸市」にある「八柱霊園」に改葬され、その後「さな子」が無縁仏になってしまうことを不憫に思った知人が、「山梨県甲府市」にある「清運寺」というお寺に遺骨を分骨してお墓を建てました。
以前、「NHK」の「大河ドラマ」で放映された「龍馬伝」では、「貫地谷しほり」ちゃんが「さな子」を演じていましたよね。
ドラマの中では「さな子」を「強い剣士」として描かれていましたが、実際の「さな子」も相当な腕前だったようで、前述のように龍馬もその強さを絶賛しています。
今から数年前、「武田信玄」と「勝頼」の遺構探索の折り、「清運寺」にある「さな子」の「墓所」を訪ねてみました。
その日は肌寒い雨模様だったにもかかわらず、それまで強く降っていた雨が「さな子」の墓の前に立った瞬間、不思議なことにピタッとやんでしまいました。
(山梨県甲府市にある清運寺) (ここに千葉さな子が静かに眠っています) (墓石の裏側には「坂本龍馬・室(妻)」と彫られていました) |

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