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12月25日
昨夜夕食後、8時には寝、午前1時に目がさめ、カトマンズ2日目の印象を記すことにする。
第1日目でのカトマンズの都市の幻滅とショックが冷めやらず、連れである夫は街から離れたい一心で、中心地観光は避けて、パタンへ行くことを主張した。
ホテルの前に停まっていたタクシーと交渉して、300ルピーで20分ほど走ったところにあるパタン宮殿へ行く。今日は車道も広く、交通は滑らかに進んでいった。相変わらず交通量や人は多く、スモッグと埃が白く街をおおってはいるが、昨日のような混乱渋滞はなく、路傍の浮浪者たちの群も見受けられなかった。
川沿いの環状線道路を通ってゆく。その川を渡るとき、ちらっと見えた河川敷には大きなスラムが形成されていた。橋を渡ってからまだかなり走ったあと、古都パタンの宮殿に着いた。宮殿広場の入場料は一人500ルピー(別に博物館の入場料は500ルピー)だった。
赤レンガに黒っぽい屋根、ひらひらのフリルが軒下になびいている宮殿の集まりが、青い空に美しく映える光景が、清涼感を与えてくれた。広場に沢山の人が群れていることには変わりはないが、建物や広場の様子には埃っぽさはなかった。いくつもの宮殿を見て歩き、ヒンズー寺院の内部に入ることが許可されている寺に上り、広場で店を広げている商売人と値段の交渉をしつつ買い物を楽しんだ。露店を見ていると必ず押し付けられるが、こちらも値切る楽しさもあり、私は石のネックレス類を約半値に値切って、全部で5000ルピーの買い物をした。夫は山小屋に使いたい、ブロンズ製のドアノブを2個買いこんだ。クジャクの彫像のノブとゾウの彫像のノブだ。重く大きいが夫が気に入ったもので、値切って20ドルと10ドルで満足していた。
広場を通り抜け、お茶屋さんやレストランがある路地に入り、ゴールデンテンプルという名の寺院やその他の散在している寺を、人々の生活圏を歩きながらそぞろ歩きを楽しんだ。今日は1日ゆったりと時間を楽しむ予定であった。相変わらずクモの巣のように電線が無数に垂れ下がった電信柱は見受けられたし、小さな広場に日差しを浴びて昼寝をしている犬たちは、平安そうではあったが、どの犬も皮膚病にかかり、毛が抜けていた。夫は「犬のジステンバーで、みんなにうつるんだ。治らないで死ぬだろう」と言った。
小さなお茶屋さんに入り、お茶に目のない夫はお茶を少々買い、若い店員さんの入れてくれたお茶をいただいた。その若者はたいそう日本語が上手で、聡明そうな穏やかな表情の若者だった。その隣のマネーエクスチェンジで、1万円をルピーに換金した。昨日よりも40ルピー円高になっていて、1万円は8390ルピーであった。
広場への戻り道、宗教美術の店に目がとまり、入ってみた。見るだけのつもりであったが、以前から関心のあった曼陀羅絵図や、仏陀涅槃図、輪廻転生図など、次々に見せてもらううちに虜になってしまった。やわらかい人柄のお店の人は、学生の描いた絵を見せ、それから巨匠の絵を比べて、その質の違いを教えてくれた。巨匠の絵はさすがに心をひきつけるものがあり、目移りするほどであった。この人は店主であり、向かいの美術学校の先生でもあり、この作品の作家である巨匠であることが分かった。デブ・クマール・ラマという作家で日本やタイその他の国で個展を開いたり、章を受章したり、日本の筑波にきたこともあるそうである。
彼の絵は本来はもっと高価なのだが、ここでは自分で売るからあまり高くないと言って、120ドル、140ドル、170ドルの値段の宗教画を、3枚で370ドルの割引で売ってくれた。1枚を仕上げるのにどれくらいの時間がかかるのですかと尋ねると、1ヵ月半かかったとのことであった。私たちはいいタンカ(仏画)は1枚数万円すると聞いていたので、1枚の値段で気に入ったタンカを3枚手に入れることができ、しかも作家の手ずから購入できたことをうれしく思った。
途中から若い助手のような男が次々と作品を見せ、マスターの手伝いをしていた。ラマ氏は店主であり美術学校の先生でもあり、若者は彼の学生でもあるということがわかった。私たちは向かいの美術学校に案内され、そこで彼の描いた絵などを見せられた。妹の夫である義弟が彼の絵が気に入り、77ドルで1枚買った。先生も若者も義弟も私たち夫婦も、そのアトリエ兼学校のカウンターで、ネパールティーをごちそうになりながら、みんなハッピーな気持ちの輪に包まれていた。
他に2人の学生がアトリエで絵を描いていた。
若者の名はプラカシュ、26歳であるが2人の子どもの里親であると言った。彼らはチベット難民の支援活動もしており、歩いて20分ほどのところにあるチベット織物工場に私たちを連れていった。彼の作品を買ってくれたお礼に、いいレストランやパタンの街の案内を買って出てくれたのである。まず、外国の大使も食べに来たという、ネパール式お好み焼きのお店に連れていった。昔懐かしい手作りのお好み焼きをたいそう庶民的な土間のような場所に座って食べた。おいしかった。
腹ごしらえの後、織物工場への30分ほどの道のりを歩きながら、彼はいろんなことを話してくれた。彼は結婚はしていないが2人の養子を養って学校に通わせているのだと言った。彼自身が子供のころ、父親を亡くし母と弟との貧しい暮らしをしていた時、今の仏画の師匠に出合い、彼の教育費を出してくれて高校まで出たとのことだった。彼が流ちょうなきれいな英語を話すのは、学校での教育とトレッキングのガイドをして身につけたものであるらしい。
利発な彼であるが、彼がもっと若いころいたずらで仲間とマリファナを吸ったことが師匠の知るところとなり、彼は師に呼び戻され、弟子として仏画の修行をするようになったのだと語った。今は3、4、5月と10、11月にヒマヤラ・トレッキング・ガイドをし、それ以外は、店の手伝いやタンカの製作の仕事をしており、村から母を呼び寄せて一緒に暮らしているとのことだった。
私はこの話を聞いて、幼い頃の虐待の体験が次世代に虐待を繰り返す「悪の連鎖」が問題となっているある国とは対照的に、他人の恩を受けた人が、その恩をさらに次の世代に返してゆく、善意の連鎖のよき実例を見た思いがして感銘をうけた。ネパール人の徳性の高さを知り、悲惨なネパールの姿に打ちひしがれていたわたしの心は、次第に癒されていった。この二人のみならず、ネパール人の道徳心に根差した、穏やかで人懐こい人間臭さは魅力的であり、それは壮麗な山岳をいただいたこの地の自然と、そこから生まれた宗教を彼らの人柄に写し取って生きているからであるように思われた。
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