金曜日はビールに寿司と決まっている。寿司桶持参で行きつけのグルメすし屋で仕込んで、ゆっくりと家でビールを飲みながら日本の米と海の幸を味わうのである。日中の山仕事の心地よい疲れと、好きな寿司を食べて飲み、テレビとは縁のない我が家ではそのままばたんキューと眠りの国へと旅立つのである。
そして3時間後、私は今日の記録を書いている。
今日は朝10時頃、山の畑に出かけた。夫は畑仕事の道具を入れる物置を建設中である。その手伝いと、先日切り倒したトドマツの丸太を、製材所に持って行き、製材にしてもらうためトラックに積み込むための手伝いをするために私も駆り出された。今日は久しぶりの雲一つない快晴の青空である。心躍るとはこのことである。
午前中の私の仕事は、キャンプファイヤー場へと運ぶためのトドマツの枝をトラックに積みこむことである。畑の隅っこには先日植えたリンゴの苗が3本並んでいる。フジ2本と王林一本、ホーマックで買ってきたものだが、フジ2本の方は芽が出てこない。ちゃんと生きてくれるか心もとない。すべて見よう見まねでやる百姓仕事である。まあ、いいさ。
午後は切り倒したトドマツの大木を隣町の製材所へ運び、製材にしてもらうため、トラックに積み込むための助手をするのである。私は昼食のおにぎり弁当と生サツマイモを持参した。数日前に樹を燃やした後、その灰の中からまだ煙が立っていて、その中にサツマイモを入れておいたら、おいしい焼き芋ができたのには感激だった。
********************
山には3つの山小屋がある。それはすべて夫の手仕事でできたものである。山のてっぺんの小屋は夫が「方丈小屋」と呼び、毎日通っている彼の根城である。そこからは斜里岳をはじめ知床連山とオホーツク海、時には阿寒の山並みが一望できる。また能取岬の自衛隊レーダーも見える。
私が峠の茶屋と呼ぶそこで、いつものように彼の好きな日本茶を出してもらい、私の手製のお弁当を食べる。
毎朝、朝食前に山小屋に行くのが彼の日課となっている。昨日の朝は朝食の時間になっても帰ってこないのでどうしたのかと思っていると電話があった。たまたま携帯電話を家に忘れ、隣の農家まで行って電話を借りて、トラックのタイヤを山道にすべり落としそうになったので、私に迎えに来るようにと連絡があったのだ。朝食を食べた後、一緒に山に行き、彼は立ち木にロープをくくりつけ、道具を使って車を引っ張り上げた。私は落ちそうなトラックのハンドルをしっかり捕まえているように指示をされ、無事に脱出。
彼はこんなことになった失敗の原因を、心が2〜3日前に見つけたヤマシギの巣にとらわれていたからだと明かした。数日前私たちは一緒に水芭蕉の咲く沢沿いの小道に続く坂を歩いていた。その時、地面の草むらから、大きな鳥が飛び立った。彼はその場所を見て、私に来いと言って見せたのは4個の鳥の卵だった。ヤマシギだ。我々に警戒して飛び立ったのだ。この卵から雛がかえるまで、この道を通るのは避けよう、と速足で歩きながら私に言った。
「あの鳥はここに帰ってくるの?ちゃんと抱卵するの?」「卵が温かい間に帰ってくれば大丈夫だ、しかし冷たくなったら放棄して、また別のところに新たな卵を産むチャンスがある」。このような会話を私たちは交わした。私たちのテリトリーにヤマシギが新しい命を生むという、このわくわくする事実に、当たり前といえば当たり前のことであるのに、なぜか心がしっとりとしたうれしさに浸されるのだ。
そんなことがあって、ヤマシギの巣に近づくことはやめようと誓い合ったにもかかわらず、毎日山に行く彼の心から、その巣のことが忘れられない。彼は遠くから望遠鏡をセットしてその巣を観察していたのだ。昨日の朝も私に内緒でその巣の観察に行くことに心せいていたために、トラックの運転が不注意になったためなのだと明かした。
「駄目じゃないの」と私に叱られながらも、昨日私たちは一緒に望遠鏡で観察できる位置へと行った。彼はなかなかそのあるべき位置が特定できずにいた。「おかしい」と言って巣があるはずの草地へ行って、やっとその理由がわかった。そこには壊れた卵が4つ散乱していたのだ。「これはキツネの食べ方じゃない。キツネは人間の匂いがない所には来ないからね。これは多分カラスに食べられたのだ、カラスはこんな食べ方をするから。」
残念、だけれど、自然界のおきてには逆らうことはできない。自然界の中ではこれも織り込み済みのことなのだから。卵が産まれて早い時期だったら、ある事情でその巣を放棄せざるを得ないときは、また生むことが多いのだと彼は言った。私たちはこの南方からの渡り鳥、繁殖のため沖縄やフィリピンのような南方からやってくる夏鳥のヤマシギが、わたしたちのテリトリーで、また子育てをすることを祈った。夏鳥といえば、カッコーやオウジシギも、もうそろそろ訪れる季節になる。この北海道には、このような遠くからの旅人が集まっては帰ってゆくのだ。時間の中の旅人でもある生きものの輝きが、同じ生きものである小さな自分と共鳴する。その喜びと悲しみが生の神髄かもしれないと思う。
*******************
頂上の方丈小屋で昼食を済ませた私は急な坂の小道を通り、丘の中腹のキャンプ場横のセロベルディ(緑の屋根の小屋)を通って下の畑へと帰ろうとした時、坂道の下の草むらから、大きな茶色っぽい鳥が飛び立って行った。先日チラッと見たヤマシギに似ているような気がした。夫にそのことを告げると、ヤマシギかもしれないと言った。そうだといいな、と私は思った。また子供を産んでおくれ。
午後は長い大きな丸太をトラックに積み込む。今ならばフォークリフトを使って楽々行う仕事だが、夫は昔ながらの手作業で、ロープを使って器用に積み込むのである。
その手子をやるのが私の仕事なのである。私は丸太が鉄の坂板からトラックの荷台にロープを伝って積みこまれるのを、反対脇からロープを引っ張って手伝うのである。合図とともに引っ張ると、丸太はぐいぐいと軽々と動き始めるではないか。夫はまっすぐな位置に誘導するため、私に待て、すすめ、と合図をしながら、位置を調整しながらトラックの荷台に正確に載せるのである。驚きである。二人で5本の丸太を軽トラックに積み込み、それにしっかりとロープをかけて、午後の仕事が終わった。
午後2時。彼が見つけた水芭蕉の大群生地が近くにあるということで、一緒に探索に出かけた。途中の山道に黒い塊が二つ見えた。私たちはとっさに、熊の親子の糞だと気が付いた。降りて写真を取り、人が大騒ぎして熊親子を殺す騒ぎにならないよう道の脇に取り除けた。人間が彼らの存在を抹殺する権利などありはしないのだ。
快晴のオホーツクの空、知床連山が白くくっきりと見える丘の道を少し下ると、広やかな水芭蕉の群落があった。そこは一度は畑か何かとして切り開かれたが、川沿いで湿地であり畑に適さないために放置された場所のように見えた。それは普通の湿地に咲く水芭蕉群落とは違い、倒れた萱の枯れ葉の中に無数の水芭蕉が生えそろっている不思議な光景であった。中に入ると水だらけの湿地であるが、枯れ野の広大な水芭蕉群落は何か、この世のものではないような、ある浄土感を漂わせているのだった。