オホーツクの詩季

舛添の公私混同、こんなのが日本の首都東京の知事:国民としてあまりにも恥ずかしすぎる・ためいき。一刻も早く辞めさせろ

随想

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日本的情緒と日本語

3)守らなければならない日本的情緒と日本語
 
 私がTPPに反対するもう一つの理由は、それが日本人を経済的に搾取し奴隷状態に追い込む恐れがあるのみならず、日本語と日本文化を破壊する恐れが大であるからです。
 私は英語教師として糊口を得てきたのですが、日本語を消えさせることには何にもまして反対の立場です。日本語と日本の精神性こそが、わたしたちの命だと思うからです。
 
グローバル企業の利益のためには、この協定と称する経済の罠に入り込んだ各国政府、カナダ、ニュージーランド、日本、その他の政府は、自国民を守ることよりも、多国籍企業の命令に従わなければならない、というルールを勝手に調印させられ、勝手に自国民の奴隷化をのまなければならないのです。それに反対するにはグローバル企業の決めた法的手段に訴え、英語で交渉しなければならず、しかもその法廷は秘密の、開かれたものではないので必ず訴訟では負けることが決まっているのです。これは不平等だらけの無理無体な秘密交渉であり、各国政府よりも多国籍企業が上位に位置するための、反民主的悪魔の謀略なのです。いったん参加したら、いやだといって参加取り消しはできないこと、また締結後3年間は各国国民に条約の内容を公表してはならないというものです。これまでカナダは13回提訴して13回負けており、莫大な賠償金を巻き上げられています。
 
引用始め・・・TPPとは、「国境なき資本」による世界統治体制を可能にする全地球人奴隷化プログラムのこと。その先には、新世界秩序の地平が広がっている。
TPPとは、多国籍企業が他国に土足で乗り込んで行って、非関税障壁撤廃を叫び、それに従わない国の政府にはISD条項を使って法律を変えさせてまで、無理に市場をこじ開け、まるでブルトーザーのようにその国の特許をはじめとする知的財産やその他の金目のものを強奪し、挙句の果てには国家主権まで多国籍企業が握ってしまうようにする条約です。…引用終り
 
 
 
文学は、悲劇的な出来事に対して、嘆き、悲しみ、鎮魂するだけのものでしょうか。そうではありません。
文学とは危機が迫った時、大切なものは何かを問う精神でもあります。
 数学者の岡潔博士は「数学の内容というものは情緒である」(『人間の建設』小林秀雄vs岡潔)といっています。 
「数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないことを証明し、しかしそれだけでは足りない、めいめいの数学者がみなその結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、数学とは言えないということが初めて分かったのです」「数学が成立するためには感情の満足がそれと別個にいるのです(39-40
 情緒というものは、人本然のもので、それに従っていれば、自分で人類を滅ぼしてしまうような間違いは侵さないのです(45)
 
と述べており、創造における情緒の大切さを強調しています。「時間の観念がまだ生まれていない時の、母から子へのやさしさの感覚、護られた記憶―これが核となって生命は繋がってゆく」のです。
「生命の本質は、不断なる生成であり、脳による創造性の出発点は、一つの「情緒」であると、脳科学者・茂木健太郎氏も解説しています。
 
また『右脳と左脳―その機能と文化の異質性』の著者角田忠信博士は、日本語の特異性と日本人の脳の働きの特異性について述べています。
西洋人は母音がノンバーバル(右脳)に入る(=で処理される)のに対して
日本人だけが母音が言語脳(左脳)に入る(=で処理される)と実験結果を発表しています。
日本語の音声のほとんどは5つの母音からなり、あ、い、う、え、おは単独でも意味を持っていること、そしてコオロギの鳴き声(や社会的な動物の鳴き声、ほかの自然音も)は日本人の場合、言語脳(左脳)に入ります。
しかし西洋人の場合、それらの自然音は音楽脳(右脳)に入ります。
一方ヘリコプター、オーケストラの音は日本人、西欧人ともに音楽脳にゆく
という実験結果を述べています。
 
「日本人の心というのは、こういう左脳の働きで表されるのではないか。
昔から日本文化の特色とされているような情緒性とか自然性、むしろ非論理的といわれているようなことは、こういう聴覚を通しての自然界の認知の仕方が原点になっているのではないか」と角田博士は言っています。
 
論理的な西洋人は、自然と対決して物事を知的に処理してゆくといういき方をするが、そこに日本人の自然とのかかわり方、自然の認知の仕方そのものに、両者の違いがあるのではないか、と言います。
我々の自然とのかかわり方と母音優位の言語の特徴と母音が言語脳の方で処理されるという日本語の特徴に関連性があるということ、母音のそういう特徴的な音形に似た多くの自然界の音も、日本語を母国語とするかぎり言語脳の中で処理されているという事実(実験結果)がある。
そうした研究結果に基づいて角田博士は
「これが日本人の自然観や心情をつくっているのではないか。そういう原点は日本語の母音の特徴に求められるのではないか。」(69という仮説を立てています。
 
そしてそのことが、明治以来何度でも繰り返し現れては消え,安倍政権でもまたぞろ現れてきた「英語公用語説」「二重言語論争」にかかわってくるのです。
 

「政治と文学」雑感

 
2)政治と文学について 
 
私が運よく戦後の復興期に、大学で英文学を専攻したのは英語が好きだったこともありますが、経済的に自立した女としていきたいと思ったからです。ここで紹介するのは私が大学の卒業論文の対象に選んだW.H.Auden と修士論文の対象であるT.S.Eliotの詩であります。この二つの詩は、第2次世界大戦まぢかの政情不安な時代に書かれています。
 詩人は時代の空気を察知する、カナリアのような感覚を持っています。時間の中で生起するものと永遠なるものを洞察します。時間の中に生起するものを永遠なるものの相に照らし合わせ、再現するのが文学の本質的機能であり、詩人の感性によって再現される世界が文学でありますから、政治と文学が絡まり結びつくのは当然のことでしょう。第二次世界大戦の空気漂う時に書かれた2つの詩を簡単に紹介します。
 オーデンの詩は「子守唄」と題されていますが、30歳の詩人は隣に眠る恋人を見つめめながら、人間の歴史が生む現象のおぞましさと空しさ、そして性愛エロスの美しさと永遠へと生をつないでゆく確かさ強さをたたえ祈っています。
 エリオットの詩は『四つの四重奏』という長編詩の中から第一詩編をとったものですが、直線状に流れる時間を超越した芸術の時間「永遠の現在」を表現しています。大文字の「ことば」は、完成された芸術作品の永遠性をさすと同時に、第4連のWordである神、キリストの永遠性をもさしています。
 
 
「政治と文学」が結び付くことは文学の常態といってもいいのだと思います。私が数年前まで研究していたアイルランド劇作家シングの世界も政治的宇宙的性質を持つことは言うまでもありませんが、今回は割愛します。
その代わりについ最近まで、名前は知ってはいても作品は読んだことのなかったGeorge Owellについて若干述べてみます。
 
 
 ジョージ・オーウエルは1903年英国領インドのベンガルに生まれ、名門パブリックスクール、イートンを卒業後、数年間大英帝国の警察官としてビルマに勤務、その後職を辞して帰国。帝国主義的支配の悪を自覚し始めます。帰国後、貧民街探訪と放浪の習作時代、1929年の大恐慌中、レストラン、ホテルで皿洗いをしながらこの時代の人々の生活をルポルタージュ式に書いた『パリ、ロンドン放浪記』、1936年の取材で前線での戦いをルポした『カタロニア讃歌』、『動物農場』『小説1984年』(1949)があります。
 
 
 私が読んだ作品は『オーウェル評論集1,2,3,4』(平凡社)および『1984年』(早川書房)、『放浪記』ですが、私の心を最もとらえたのは、
6~70年前のオーウェルが、今日の(あるいは近未来の)世界の状況を表しているかと思う表現の数々であります。
1984年』に描かれたビッグ・ブラザーが率いる党が支配する全体主義的近未来の描写に、TPPに加入した暁に繰り広げられる(と危惧される)監視社会の悪夢が重なるのです。
次のような言葉があります。
 
   私は若い時分から、どんな出来事も新聞では正確に報道されないことに気づいていたが、しかしスペインに出かけてみて、事実となんら関係のない報道、それも普通の嘘に含まれているような報道に初めてお目にかかったのだった。元々戦闘などなかった地域で大激戦があったと報じたり、数百万人の将兵が戦死しているのに報道が完全に沈黙していたのを私は知っている。勇敢にたたかった部隊が卑怯者、裏切者と非難、攻撃されたかと思うと、銃弾が飛ぶのを一度も見たこともない手合いがでっち上げ勝利の英雄として騒がれたのを私は知っている。またロンドンの新聞がそうした嘘を受け売りしたり、張り切り屋の知識人が感情的になって最初から存在もしなかった出来事にわざわざ尾ひれをつけたりしたのを私は知っている(『カタロニア讃歌』p.303)。
 
   スペイン戦争を正しい見取り図の中で理解するために、我々はこのことを肝に愛じておくべきである。戦争の残酷さ、下劣さ、不毛―そしてとりわけスペイン戦争における陰謀、迫害、虚偽、誤解―を考えるとき、いつでも「どっちもどっち、おれたちは中立だ」という台詞を吐きたくなる。しかしながら、人間は現実に中立たりえないし、どちらが勝っても変わりはないという戦争などありはしない。大体において普通、一方は多かれ少なかれ進歩の側に立ち、他方は多かれ少なかれ反動の側に立つ。共和国が百万長者、貴族、聖職者、プレイボーイ、頑迷固陋の徒らに植え付けた憎悪を思うと、実態は明らかではないだろうか。本質的に言って、それは階級間の戦争だったのである。もしこの戦争に共和国が勝利を収めていれば、世界の民衆は大いに力づけられたことだろう。ところが、戦争は敗北に終わり、世界中の株主階層が手をたたいて喜んだ。ここに真の問題の所在があったのである。それ以外は水面に生じたあぶくにすぎなかったのだ(『カタロニア讃歌』311)。
 
 
 日本での政治と文学に関する作品として、その代表格として石牟礼道子の『苦界浄土』3部作があげられます。水俣病患者の苦悩とチッソ株式会社(日本資本主義の国策会社代表格の一つ)との闘争です。石牟礼は根本的には詩人であり、患者とその家族の苦悩を描きつつ、日本の失われた村落共同体の豊かな語りの世界を再構築しました。それは日本の心の神髄にある海や川、山野に生きる神々の世界と霊的な交感をする人々の魂の世界です。
 

定年退職のよろこび

定年退職のよろこび
 
20133月末をもって24年間務めた大学を定年退職する。
病気も事故も不当逮捕もなく、無事にこの日をむかえられたことを心から喜ぶ。
3つの退職者送別の会に出て、3つの挨拶をこなして頭の整理もし、大学生の卒業式を自分の卒業式ともひそかに想い、ダイヤのネックレスとイヤリングをつけて式典に臨んだ。
卒業式終了とともに有給休暇を取り、大学の研究室を明け渡し、自宅の書斎を1週間かかって整理整頓し、これからの仕事をやりやすくする体制を整えた。研究室にあったほとんどの本は隣の建物(夫の野生生物研究所)の一室に収めるべく山積みになっているが、暖かくなったらすこしづつ整理してゆこうと思っている。
 定年退職の何よりの恵みは、「有り余るほどの時間」である。
部屋の整理をするにしても、以前のように時間に追われてあたふたと済ませる、ということを考えなくてよい。埃をかぶっていた書類を、これは今後に自分の仕事、やりたいことに必要か否かを精査して、処分すべきものを決めてゆく。何も1日で終わらせる必要はないのだ。やり終えた仕事はそれで終わる、これからの目標にとって必要なものを手じかな所に置く。洋書の書棚の前面に日本語の書籍を並べる。英米文学研究関連は終了し、日本文学・思想・文化の研究と思索・詩作、エッセイを中軸とする。
「文学とは時間の中で生起するものを、永遠なるものの相に照らし合わせ、詩人の感性によって再現される世界であるから、政治と文学が絡まり結びつくのは当然のことであります」「文学とは危機が迫った時、大切なものは何かを問う精神でもあります。今私はその答えを探し続けています」と「政治と文学雑感」と題する同僚への退職のあいさつで私は述べた。尻切れトンボに終わった挨拶の、続きをこれから言葉にしてゆきたいと思っている。
 
2013.3.3 オホーツク吹雪遭難事故
 
 
34日朝6時、 オレンジ色の光が暖炉の赤レンガを照らす
窓辺に小鳥たちが舞い、白樺の枝とエサ台を行き来する
赤い丸い火の玉が黒木立の左側から昇り始める
日の出の位置が北へと移動する
春が近い
昨日とはうって変った快晴の朝だ
 
土曜日午後から日曜日朝にかけて
大荒れの猛吹雪がオホーツク地方を襲った
20年近くこの地に住んで、最大の大荒れ吹雪だった
日曜日夜中、眠りから覚めた私は窓辺に座り
強風が国道を、蒸気のような粉雪を吹きあげながら駆け抜けるさまを
2時間も見続けていた
 
街灯がともった国道は横殴りの風の道となり
軽い粉雪を巻き上げ吹き抜け
我が家の庭には粉雪の砂丘が出現し
その姿は強風の流れと呼応して
変幻自在に流麗な舞を見せる
 
土曜日午前に吹雪の警報ニュースが
繰り返しラジオから流れた。
しかし午前中は日が照るなどして気が緩んだ人もいたかもしれない
午後になり天気は急変し、突然激しい雪となった
道路の交通止めなどの規制がとられた
夜、我が家では万が一停電になった時のために、
湯たんぽと電池の蛍光灯を用意して寝た
 
日曜日の朝、
この猛吹雪で8人の遭難死があったことをニュースで知った
動けなくなった車の中で一家4人が中毒死、
車から降りて歩いていた親子の死
雪の中で見つかった若い女性の死体
車社会の死角とも、言えるかもしれない
安全と思っていた車が一番厄介なものに変わる
道路は消える、見えなくなる、吹きだまって車は動けなくなる
歩き始めても前は見えない、
強風で動けなくなり、家から200メートルのところで力尽きて死ぬ、
こんな悲惨な事故が近くで起こった
 
 
滅入る心に、いい言葉に出会いました。
 
 
 
大悪は大善の来るべき瑞相なり(智慧亡国御書=日蓮)
 
 
命は限りあるもの、かりそめにも正しい事に費やそう。
 
少しも恐れることなく。

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