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「行列のできる投票所」というテーマでブログをアップしようとしたら、掲載を阻まれた、とブログ友達のコメントあり。
そこでためしに、これをアップします。
夕方のラジオニュースでは、今回の投票率は前回よりかなり低い様子だと報道していました。
心配をしていたところ、ブログ友達のサイトを見てみると、行列のできる投票所の写真が各地でアップされていました。それを見て安心した私ですが、この報道との差は何?。
これは何? 不正開票か?
と多くの心ある人々は心配しているのではないだろうか。私もその一人である。
私の選挙区では今日は雪がかなり降り、投票率はどうなんだろうか、低くなったのではないかと懸念している。
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随想
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倒木にタモギダケが次々と生え出てきます
あたたかいところがみつかった〜
きれいな模様でしょ。なぜ外に出したのだ、と怒っているようですが。おとなしく草の中に消えてゆきました。
内地では熱中病に注意などと猛暑の知らせが届くのに、当地では寒い夏の日々続くこのごろです。
週末は近くの山(私有)に行き、小さな畑の世話と野の生きものたちと過ごすのが楽しみとなっています。
野生生物写真家兼自然保護活動家の夫の資料室を、山小屋に移設する仕事を手伝っているとき、資料小屋の壁板に、ちゃっかりと黒い蛇が入り込んでいました。暖かいところが好きなので、いいチャンスとばかりに入り込んだのでしょう。「だめだよ」と、火ばさみでつまんで外に投げ出すと、怒ってまた中に入りたそうにしていました。
そこで私がカメラをパチリ。きれいな模様の蛇君の写真が撮れました。
山にはたくさんの蛇がいます。はじめは怖がっていた私もだんだんと慣れて、生き物の美しさ、いとおしさが身に沁みるようになりました。私たち夫婦の会話は、「今日はミーコ(蛇のこと)が屋根の波板に伸ばして日向ぼっこしていたよ」とか、「薪小屋にいたよ」とか「狸のためふんがあった」「ウスバキチョウの幼虫がいた」などが多いですね。身震いするほど嫌っていた黒い毛虫にも、かわいいね、と呼びかけます。
いま水辺の朽木にキノコのタモギダケが美しく群生しています。採って食べる前に撮影、はいチーズ。
今年はタモギダケがたくさん取れる年なのでしょうか。家の門柱に使っている木からも生え出て、味噌汁にしたり、オリーブオイルでいためたりと季節の恵みを楽しんでいます。
8月には京都と東京から妹一家の孫たちが遊びに来ます。そのころは山中に食用タマゴダケが生えてくるかもしれません。どういう反応を示すか、楽しみです。
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水に浮かべたほおの花
山にホオの花が咲く季節が来て、甘い香りが山に漂います。
このところ寒く冷たい初夏の日々が続き、青空が恋しくなった今日の午後、陽がさして、温かさが幾分戻ってきました。山の畑に植えたトマトやナスなどの苗と並んで、菜の花が黄色く並んで咲いています。雨をたっぷり浴びて生き生きとした野菜の子供たちが嬉々として見えます。畑らしくなった様子を見ると、静かなうれしさが湧いてきます。畑仕事を終え、3時ころ丘の上の「方丈小屋」でお茶をいただきます。
すっかり緑の葉につつまれた山の小道を歩き、何も考えず木々や草花や虫や鳥たちと語らうその時間こそ、私にとっては生の喜びそのものという気がします。
中腹の小屋のウッドデッキのテーブルに、
南幌町の陶芸家元木弘子氏作の大皿を置いてあります。
彼女の作品は大胆なデザインの形や模様の焼き物が多いのですが、花瓶にしても皿にしても使ってみると生活の中にしっくりと合い、料理を何倍にもおいしく見せる魔力を持っているのです。
山小屋の外に置いてあるこの大皿に、雨がたまっていました。私はふと、このさらにホオの花を浮かべてみたいと思いました。そしてとったのがこの写真です。皿の雨水に、大きな白いあでやかな花と、空にさやぐ木々の葉がゆれています。
水鏡のほおの花
山には五右衛門風呂が3つあります。すべて夫の手造りで、傍に生えている木々や花の名にちなんだニックネームがついています。ミズナラの湯、エンジュの湯、カンゾウの湯。今日はミズナラの湯に入りました。木々の葉と木漏れ日、そこに立ち昇る煙の帯と匂い。それは懐かしい想い出もくゆらせるのです。心地よい風にほおをなでられながら釜の湯につかっていると、小鳥たちの澄み切った鳴き声がきこえてきます。
キキキキキキキキー、ギャアーオー、ギャアーオー、ジージージージー、
ホーホー、ホーホケキョー、
山の無限の木の葉波をつたって、
鳥たちと森羅万象の美しい唄が響きます。
小鳥の声と木々の緑に包まれたミズナラの湯 |
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朝は4時すぎには日が昇る。
連休最後の日曜日は快晴
5時半ごろ、インターネットをやめて散歩に出る。8時過ぎに寝て3時過ぎに起きるこの頃。
こんなに美しい日に外に空気を吸いに出ないことはもったいない。
昨夜は小雨が降ったのだろうか。生え出た草や、プランターに植えた葉大根の芽や、花が咲いた水仙の葉に露が残っている。道路向こうの「おばあちゃん」の家の桜が4分咲きになった。
さくらの季節がオホーツクの町にやって来た。夏日が数日あったから、桜の咲くのも例年よりも早い様子だ。
湿原沿いの小道を歩く。すがすがしい空気を吸い込みながら空を眺め、鳥の歌にうっとりとする。野の草と語り、小さなカタツムリに挨拶するためしゃがみこむ。「おはよう、かわいいね、きれいだね。」
今朝はセリを取るため1キロ先のせせらぎまで歩かねばならない。毎年たくさん生え出る水辺は、昨年コンクリート整備で群生地がなくなってしまったからだ。いつもの朝のラジオ体操の時間には間に合わないが、1時間散歩するからいいとしよう。
今朝は道野辺の野の草を摘んで、朝ごはんに料理するつもりだ。
あてにしていたセリの群生地がここも消えていた。仕方なく帰り道を歩いていたら、反対側の水辺に小さなセリの集まりを見つけた。セリの方も根絶されないように必死に生き延びたのだ。明治のころ、会津藩のサムライたちが未開の蝦夷地へと新天地を求めて移住したことが頭に浮かんだ。戦に敗れても、地震津波に襲われても、懸命に生き延びてゆく生命の強さと輝きが胸に迫ってきた。
人間側の都合による工事によって、追い立てられ、根絶されたかに見えたセリの群落が、飛び地に小さな群れを作って生き延びていた。コンクリート水路によって消えた群生地の近くでも、その反対側の湿地の土手に、別の小さな群生が見つかった。こうしてこの小さな群れは、また大きな群落を作って、人々にも春の味を与えてくれるのだろう。
帰り道、セリと、ヨモギの新芽と、こごみをつんで、大きくなった蕗の葉に包んで家に持ち帰り、朝の食事に調理した。とってもおいしい春の味覚だった。春の生命力をいただいた。
セリは軽くゆでておひたしに、こごみもさっとゆでて、マヨネースあえ、ヨモギは刻んで玄米ご飯の残りと白米の冷凍を戻したものと一緒に、オリーブオイルににんにくを刻んで炒めた中に入れてチャーハンにした。
味噌汁は石巻にいる夫から送られてきた石巻名産のわかめに、北海道産のなめたけの具を、赤みそでいただいた。念のため東北の産物の放射線量のチェックを調べて、害なしとわかったうえで頂いた。とてもおいしいわかめだった。
被災地の人々には申し訳ないが、そして夫からは「放射線量を煽りすぎるのはいけない」と怒られたけれど、
チェックすることは、安心するためにも必要だと思う。そして被災地の人々に何の落ち度もないのだから、危険な値が出た食品保障を国と東電がしっかり手当して、2次被害が出ないようにするという責務を政治責任者がしっかり取るべきだろう。
左から、こごみ、よもぎ、せり
左からキュウリとわかめの酢あえ[昨日の残り物)、こごみのマヨネーズあえ、セリのお浸し、玄米と白米のヨモギの新芽チャーハン。春の命をいただきます。ごちそう様でした。
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