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カッコー、カッコー、カッコー、カッコー
新緑けむる朝まだき
半分眠った意識の中で
南から来た旅の鳥の声がきこえる
新緑の木々も若草も
満潮の渚のカモたちの群れも
曇り空の下でまだ眠っている
半覚醒の中で考えている
権力機構の悪と不正義のこと
最近読んだ明治の巨人たちのこと
制度疲労が極限にまで達したとしか思えない
官僚機構の悪の数々
国民を苦しめるだけの警察・検察・裁判制度の現状のこと
社保庁、厚労省、国土交通省、開発庁
大蔵省、外務省、防衛省、農水省
数々の不祥事と国民をなめきった官僚機構の悪徳の数々
その中でも最悪なのが警察・検察・裁判の権力機構だ
5月24日の「サンデープロジェクト」で
数々の不正・捏造・こじつけ・冤罪の現状が放映されていた
検察と裁判の悪の連係プレー
誰が見ても白と分かるものを黒と言ってはばからない権力の精神構造は
信じがたいことだが、現実に数多くおこっている事実なのだ
警察内部の裏金問題ひとつ、何も解決していない
この根本から腐りきった体制を変えられなければ
国民を冤罪で苦しめようが、白を黒と言いくるめようと
正義さえ見ようとしなければ
権力は正義とばかり押しつぶせると考えている今の体制
今の権力機構に正義はないとしか思えないのが庶民の直観だ
この国の根幹の腐敗と悪徳こそが、現在の社会に蔓延する不正と不幸の源因である
天道、徳
このような言葉は死語になった感がある
「敬天愛人」天を敬い人を愛することを原点とした西郷隆盛の言葉を引用する。
* 人のかしらに立つ者は、人々の信望を集めなければならない。そのためには自ら勤倹力行し、私欲を立ち去らなければならない。
* 万人のかしらの命令は、下々の者は、どんな無理を命ぜられても、いやいやながら背くことができず、従順にいうことを聞く。
それをわが威勢と考え、人を我儘に扱えば、たちまち万人の仇敵となり、頭役の実力を失ってしまう。
* 役人はどんな理由で立てられるのか。自分勝手を致せと立てられるのではない。・・・・
役人は、万民のためにあるものだから、役人は万民の疾苦をわが疾苦とし、万民の歓楽をわが歓楽として、日々天意を欺かず、その根本に報いるのが良役人である。
* この天意に背いては、天罰は逃れたいところであるから、深く心を用いなければならない。
*!! 役人が私腹を肥やすようなことをしては、罪のない百姓も咎人にすることが多くなるので、その実情をよく調査し、人民がなぜ罪を犯すかをつまびらかに察しなければならない。!!
*!! もし役人が曲事をはたらき万人を苦しめ、君を欺けば、一人の盗賊などよりははるかに重い罪であるから、重刑に処するべきである。!!
!! 軽い罪を重く罰し、重い罪を軽く扱うように、法を私することが通用すれば、法度を何とも思わぬようになるものである。!!
現代人は「天」を忘れ、
それゆえに「徳」を忘れ
「利」に意を用いている
それゆえに不幸である
もう一人の明治の巨人南方熊楠は
神社合祀反対運動に10年の戦いをつづけ、その間18日間の投獄された。
神社の森を破壊することは自然を破壊することであり、自然を破壊することは人間性そのものを荒廃させると叫んだ。
自然はすべてに勝る教育者であり、心の悩みを解決させてくれる医者でもあるということを次のように述べている。
* 小生思うに、わが国特有の天然風景は、わが国の曼陀羅ならん。
* 凡人には景色でも眺めて・・・人に言えず、自らも解し果たさざるあいだに、何となく至道をぼんやりと感じ得(真如)、しばらくなりとも半日一日なりとも邪念を払い得、
* 学校教育などのおよぶからざる大教育ならん。
* 風景ほど実に人生に有用なるものは少なしと知るべし。
明治の偉人たちを知るにつけても、私たちの失ったものの大きさを感じないではいられない。
西郷も田中正造も南方熊楠も投獄の憂き目を経験した。
彼らの徳と叡智は人間の権力構造をものともしない、それを超えた絶対者である「天」を慕う気持ちを、窮地における自らの支えとしたことによって鍛えられ磨きあげられたのだろうと思う。
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