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こないだの日曜日に
宮城県美術館で開催中のゴッホ展に行ってきました。
絵のことはまったくわからないんですが、
そんなオイラとてゴッホはわかりますよぉ〜。「わかる」のではなく「知ってる」が正解^^;
ププッ…相変わらず…
心曲がってるので写真も曲がってボケますね^^;;
サンウ古チング(音読不要…笑)の皆さんは、
オイラが某所企画のメッセージカードづくりにゴッホ攻め(?)
してた遠い記憶、覚えてらっしゃいますでしょうか? 覚ちゃいねーよ?(爆)
ま、オイラ自身もひさびさに思い出しましたが^^;;;
サブタイトルが「空白のパリ時代を追う」とあるように、
と言っても…美術に疎いオイラにはどこが空白なのかはわかりませんでしたが^^;
いわゆるオイラでも知ってる“ゴッホの絵”になるまでのゴッホの作風の変化というか…
こんな人から影響を受けたとか…描き方の模索の過程というか…そんな流れで作品が展示してありました。
オイラが思い浮かぶゴッホの人物画といえば自身の肖像画が多い印象です。
狂気の画家ゴッホ…いたって人嫌いで自分の内面ばかり見ていたんだろう?
というオイラの勝手予想は見事にハズレ。
実際は妙に人懐こい人だったらしいです。「妙に」ってところがミソらしい…。
自身の肖像画が多い理由は単純なものでした。
とにかく貧乏だったため。これが第一、というか唯一の理由。
金があってモデルが雇えればモデルを描いて人物画の試行錯誤をしたかったけど
それができないので自身の肖像画を描いて人物画を描く練習をした、というのが実状だったそうです。
ゴッホの貧乏話は尽きなくて、
市販のキャンバスを半分に切って使っていたとか…
描いた絵の絵の具を剥ぎ取って薄ピンク灰色の絵具をその上に上塗りして新しい絵を描いたとか…
X線だか赤外線をあてると下地となった元の絵が見えるとか…
品ぞろえは豊富だが品質イマイチの絵具を扱っていたダンギー?爺さんの店で絵具を買っていたとか…
なんとかっていう赤色が好きで使っていたけど長期間経ると退色してしまう絵具で
今はこの肖像画の背景はベージュ色だけど描いた当初は赤色の背景だったとか…
とにかくゴッホの話の土台には、貧乏が付きまとってました。
(ダンギー爺さんはゴッホに画材を提供したりして、ゴッホを支援した数少ない人物の一人で、
ゴッホがお礼にダンギー爺さんの肖像画を描いた、と今知りました。ネット検索^^;)
絵の方はというと…
オイラ勝手なイメージとして、好き勝手に自分の描きたい作風で描きまくったために、
孤独で、生涯1枚しか絵が売れず、弟の世話になり、衝動的な行動をした…みたいな人だと思ってましたが。
(ゴッホに興味がある方なら、このオイラの勝手イメージにあきれるかと思いますが、
一般的なゴッホのイメージってそんなものじゃないでしょうか?違うかな^^;)
実際は、試行錯誤を繰り返し、画家仲間とも交流があったし、影響もうけて、努力した人なんですね。
ゴッホといえば、コテッコテに分厚く絵具を重ねる作風の風景画が印象的に記憶にありましたが、
水彩画のような(油彩で描きながら)作品もありましたし(表現方法模索の過程のようです)、
心の葛藤を感じるような空を描くよなぁ〜と思ってましたが、
のどかな田園の晴れ晴れとした清清しい空も描いていたんですね〜。
でも、この展示会に行って知ったこと、いまや狂気の天才画家ゴッホと呼ばれる彼が、
画風を試行錯誤し努力した、その先にあった心は「売れる絵が描きたい」「絵を売りたい」だったと。
今のもてはやされ方と実際にゴッホの生きていた状況のあまりのギャップに…
ま、売れなかったのは知ってましたけど、もの凄いギャップですよね…。
兄ゴッホの才能を見抜いて援助しつづけた弟テオ…
弟テオに感謝しながら「きっと売れる絵を描いてみせる!」と試行錯誤と努力しつづけたゴッホ。
なんだかね…
そりゃあ、作品の価値=金額、って方程式が直接的なのはわかるけど…
作品を描く気持ちにもお金が付きまとってるって、切ないというか…
オイラの勝手想像の“芸術”とは遠い気がするというか。 うん…。
芸術は美しいけど、キレイゴトじゃご飯食べられない、ということですね。
ゴッホの筆づかいの特徴?良くわからないですが…点描・線描…
あれ、遠巻きから絵を見ると色が混ざり合って味わい深い(←オイラの表現力の無さっT-T))ですが、
目の前で見ることが出来た今回、正直、目疲れます^^;;
なんていうんですかね、筆圧に圧倒される?って感じかなぁ。
せっかくの機会だから作品を近くで見たいと思うじゃないですか…(欲)
それこそ、あの絵の具の厚塗り具合の凹凸を感じたい、と言うか。
でも、結構な混み様の中を食い入るようにとずっと近くで観つづけていくうちに、
ちょっと列から離れて遠巻きでみたい、的な感覚になってきて^^;
列から離れたら人の陰になるから見えないんだけど。
目が疲れるっていうより、神経疲れる感じ?
なんかね〜なんていうかね〜なにかはわかんないけど、なにかが強烈なんですよぉ。
色彩が強烈…それもあるけど、なんだろうな…なんていうか…
(言って良い言葉かどうか…今、覚悟決め中……言うわよ! なんかそんな人いましたね・・・笑)
前述の勝手イメージを今までずっと持ってきたからなのかもしれませんけど…
でも狂気の画家、って言われますよね。
オイラの超低レベルな表現で…でもオイラが感じたままを率直に言うと…
滅入る…^^;
負のオーラ?が… 半端ない^^;
たとえ美しい花を描いている絵であっても、
その絵に向かっているゴッホの狂気じみた一心不乱かげんが…絵にしみ込んでるというか。
見ていて精神が圧迫されるというか息苦しくなってくるというか…。
う〜ん…絵の手前50㎝に黒い渦が巻いてる感じ?
30㎝じゃなくて50㎝手前(笑)
30㎝までOK!なんていうフレンドリー感は無い…的な^^;
それ以上近づいたら黒い渦から手が出てきて引っ張り込まれそうな…ゴッホの狂気の世界へ。
で、「売れないわな」と(笑)
狂気の画家、巨匠ゴッホ…。
ゴッホが死んでそんな風に呼ばれるようになって、
「ゴッホはすごい」「ゴッホは天才画家」そうやって口がポカーンとあくような価値となったけど…。
あくまでも今回の展示はゴッホの有名な作品たちが生み出される前の…
ゴッホの才能が目を出す前っていうか、そういう時期の作品の展示なので余計にそう思うのかもですが。
正直…
ゴッホが生きている時代に、彼の画力の凄さを感じたとしても、手が出ない金額じゃなくても、
自分ちのたとえば家族団欒する場所に…ゴッホの絵を飾ろうって気になるか?ならねーよな^^;;と。
花でも田園風景でも蟹でも肖像画でも、ふくよかな女性の石膏像を描いた絵でさえ、
なんだか闇感じるんですよね。
オイラは絵のことはまったく無知で、凄い凄くないは判断できないです。
できないですが、必死に試行錯誤する中でも、消せない闇感は感じました。
それも、伝播性の。こっちまで引きずり込まれるような、飲み込まれるような、そういう闇。
闇を闇として直接的に感じる作品は、こっちも闇を覚悟で見てるから、それはそれで素敵と思うんですけど…
闇を描いていないのに闇を感じる作品のほうが、逆に心の闇が強烈で。
売れるための必死さというか…。
なんだか、そんなことが頭によぎりながら…
ヘロヘロになって展示室を出てきたような感じでした。
好き勝手に好きな絵を描いて、貧乏で、弟に世話になって、
最終的に精神病んで死んでいった…と勝手に持っていたイメージはすっ飛びました。
苦悩した人というイメージももちろんあったけど、どっちかというと、好き勝手に…だと思ってたので。
とにかく、オイラ的にはゴッホのイメージが変わったんですね。
だってね…狂人ゴッホ、って言われるゴッホ、実は人懐こい性格だったんですって!
眉間にしわ寄せて近づくなオーラで人を遠ざけてたとばかり思ってたのに。
で、その、人懐こい貧乏画家は…
あまり親しくすると付け込まれるかと地元の人々に思われて、避けられてたんですって…。
なんだかね…こんな言葉使いたくないけど、かわいそうでしょう?
いっそ、誰も俺にかまうな!的性格だったら、まだ救われたのに。とか思いません?
今まで“時代の先を行きすぎて時代がついてこれなくて、気の毒な画家”と思ってたんですけどね、
気の毒じゃなくて、かわいそう…になった、ゴッホの印象。
そんなこんなで…
初めてのゴッホの直筆絵画との出会い、終了。
また見られる機会があるのかどうかですが…
今回の展示会を見に行ったあとで、全盛期の作品を見ると、いくら華々しくても闇感じそうです(笑)
一緒に見に行ったうちのおかんは…
「ゴッホよりシャガール(ゴッホ展のあとシャガール展やるチラシをみて)が良かったわ〜」と^^;
うちのおかんは、美しくて可愛らしくて癒されるのが好きなので。
でもオイラは…精神ヘロヘロだ〜なんだと言いながら、甘美なシャガールより闇なゴッホですよ…(笑)
損保ジャパン東郷青児美術館の『ひまわり』は常設展示なんですかね?
今まで東京に行っても、行ってみようとも思わなかったな〜。
今度、行ってみよう!!!!
ではでは…
目からうろこ(無知だから〜の一言に尽きるけど…^^;)のゴッホ展観賞日記、おしまい。
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