|
8月6日と7日に、恒例の伝統行事「七夕ちょうちん祭り」が行われ、久しぶりに夏の夜の風物詩を堪能しました。
室町時代にこの地を治めた守護大名の大内氏26代盛見(もりはる)が、先祖の冥福を祈って笹竹に高灯籠を灯した盆ちょうちんが、庶民の間に広まったものといわれています。
三脚なしでの撮影ですので、多少お見苦しい点はご了承ください。
|
歴史・文化
[ リスト | 詳細 ]
|
国が指定した伝統的工芸品は県内に3つありますが、一つは前回記事で紹介した大内塗、2つ目は全国的に有名な萩焼、そして3つ目が今回紹介する赤間硯です。
材料となる赤間石は硯石として優れた条件を備えており、さらっと伸びの良い墨液が得られ、しかも粘りがあるため細工しやすいそうです。
江戸時代には長州藩の参勤交代の贈り物として幕府に献上され喜ばれたようです。
採掘した原石の作業工程のほとんどが手作業で、十数工程を経て硯になるそうですが、長い歴史の中で培われた技法は、匠の技として受け継がれています。
左:裏面
今日は私達の○年目の結婚記念日です。
○年前に結婚記念として製作所の知り合いの方からこの赤間硯をいただきました。
まだ一度も使用せずに我が家の宝物として大切に飾っています。
|
|
今日はウォーキングを兼ねて市内の桜めぐりをしました。
上:一の坂川
室町時代に大内氏24代当主の弘世が、この一の坂川を鴨川に見立て、京都を模した街づくりを進めましたが、今も昔ながらの面影を残しています。
現在この両岸には200本ばかりのソメイヨシノが咲き誇っています。また、初夏には源氏ボタルも乱舞し、多くの人が鑑賞に訪れます。
先週土曜日に、市街地に近い鳳翩山(ほうべんざん)に登ったとき、頂上で北九州市からやってきた20名ばかりの中高年の山のサークルに出会いました。
リーダーらしき方と会話がはずみ、下山後に一の坂川の桜を見物して帰る予定だそうでしたが、当日はまだ3分咲きくらいでした。
上下:国宝 瑠璃光寺五重塔
内部には経本がびっしりと積まれていましたが、そういえばこの五重塔は、京都で戦死した大内義弘の菩提を弔うために建立されたもので、いわばお墓のようなものなんですね。
右:山口藩庁門
この門は1864年に時の藩主「毛利敬親」が藩政の本拠地を萩から山口へ移すため建設した山口政事堂の表門として築造されたものです。
当時は幕末の動乱期に当り、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文などの藩士がこの門を往来したものと思われます。
現在も県庁西口の門として利用されています。
上:朝田古墳公園
この場所には弥生時代後半から古墳時代後半にわたる大墳墓群があります。
国道9号線(バイパス)の建設工事の際、トンネルの上に発見されたもので、昭和57年に国の史跡に指定され、平成4年には史跡公園として開園しました。
|

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- 花見
京都の文化や街並みに心をひかれていた彼は、14世紀半ばにこの地に拠点を移して京の都に模した街づくりを進めました。 その後16世紀には京都と並ぶ文化都市として繁栄を極め、「西の京」と呼ばれるようになりました。
大内弘世が街づくりをはじめたころ、京都の公家から美しい花嫁を迎えました。 遠く離れた田舎に嫁いだ花嫁はすっかりホームシックにかかってしまい、華やかな都にいたころを偲んでは毎日涙を流していました。 妻思いの優しい弘世は、そんな花嫁をとても可愛そうに思い、彼女のために都から多くの人形職人を呼び寄せて人形作りをはじめ、屋敷中を人形いっぱいに埋め尽くして花嫁をとても喜ばせたそうです。 そのときの人形作りの技術が現在に伝わっているものですが、このような微笑ましい伝説から「夫婦円満の象徴」として贈答品などにも使われ喜ばれています。 7箇所の製作所から作られた人形の表情はそれぞれ微妙に違うようです。 |
|
1952年(昭和27年)にサビエルの山口来訪400年を記念して建立された「サビエル記念聖堂」を紹介します。 |



