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七夕ちょうちん祭り

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8月6日と7日に、恒例の伝統行事「七夕ちょうちん祭り」が行われ、久しぶりに夏の夜の風物詩を堪能しました。
イメージ 2この祭は、秋田の「竿灯」、青森の「ねぶた」と並ぶ「日本三大火祭り」の一つに数えられるもので、約550年の歴史を誇っています。
 
 
 
 
 
 
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室町時代にこの地を治めた守護大名の大内氏26代盛見(もりはる)が、先祖の冥福を祈って笹竹に高灯籠を灯した盆ちょうちんが、庶民の間に広まったものといわれています。
 
 
 
 
 
イメージ 418時ころから市の中心部に飾られた沢山の紅ちょうちんがいっせいに点灯し、ろうそくが燃え尽きるまでの間、沢山の家族連れや観光客などで賑わいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三脚なしでの撮影ですので、多少お見苦しい点はご了承ください。
国が指定した伝統的工芸品は県内に3つありますが、一つは前回記事で紹介した大内塗、2つ目は全国的に有名な萩焼、そして3つ目が今回紹介する赤間硯です。
 
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イメージ 2昭和51年に県内で初めて指定された赤間硯は、滑らかな磨り味と芸術的な造形が特徴の高級工芸品として書道愛好家に人気があります。
材料となる赤間石硯石として優れた条件を備えており、さらっと伸びの良い墨液が得られ、しかも粘りがあるため細工しやすいそうです。
江戸時代には長州藩の参勤交代の贈り物として幕府に献上され喜ばれたようです。
 
 
 
 
 
イメージ 3産地は私の生まれ故郷のすぐ近くですが、県内に数箇所あった原石の採掘も年々原石の減少により現在はこの地区のみとなっています。
採掘した原石の作業工程のほとんどが手作業で、十数工程を経て硯になるそうですが、長い歴史の中で培われた技法は、匠の技として受け継がれています。
 
 
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左:裏面
今日は私達の○年目の結婚記念日です。
○年前に結婚記念として製作所の知り合いの方からこの赤間硯をいただきました。
まだ一度も使用せずに我が家の宝物として大切に飾っています。

桜めぐり

今日はウォーキングを兼ねて市内の桜めぐりをしました。
 
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上:一の坂川
室町時代に大内氏24代当主の弘世が、この一の坂川を鴨川に見立て、京都を模した街づくりを進めましたが、今も昔ながらの面影を残しています。
現在この両岸には200本ばかりのソメイヨシノが咲き誇っています。また、初夏には源氏ボタルも乱舞し、多くの人が鑑賞に訪れます。
先週土曜日に、市街地に近い鳳翩山(ほうべんざん)に登ったとき、頂上で北九州市からやってきた20名ばかりの中高年の山のサークルに出会いました。
リーダーらしき方と会話がはずみ、下山後に一の坂川の桜を見物して帰る予定だそうでしたが、当日はまだ3分咲きくらいでした。
 
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上下:国宝 瑠璃光寺五重塔
イメージ 4丁度この日は内部が特別公開される「ご開帳日」でした。
内部には経本がびっしりと積まれていましたが、そういえばこの五重塔は、京都で戦死した大内義弘の菩提を弔うために建立されたもので、いわばお墓のようなものなんですね。
 
 
 
 
 
 
 
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右:山口藩庁門
この門は1864年に時の藩主「毛利敬親」が藩政の本拠地を萩から山口へ移すため建設した山口政事堂の表門として築造されたものです。
当時は幕末の動乱期に当り、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文などの藩士がこの門を往来したものと思われます。
現在も県庁西口の門として利用されています。
 
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上:朝田古墳公園
この場所には弥生時代後半から古墳時代後半にわたる大墳墓群があります。
国道9号線(バイパス)の建設工事の際、トンネルの上に発見されたもので、昭和57年に国の史跡に指定され、平成4年には史跡公園として開園しました。
国宝「瑠璃光寺 五重塔」
イメージ 1イメージ 21442年に建立された大内文化を代表する建造物で、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺とともに日本3名塔とよばれる日本で10番目に古い塔です。


境内にある「大内弘世(ひろよ)」像
イメージ 3守護大名として西日本一帯に勢力を誇った大内氏の24代当主。
京都の文化や街並みに心をひかれていた彼は、14世紀半ばにこの地に拠点を移して京の都に模した街づくりを進めました。
その後16世紀には京都と並ぶ文化都市として繁栄を極め、「西の京」と呼ばれるようになりました。


さて、今回紹介するのは、郷土の伝統工芸品「大内人形」です。
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大内人形には次のような微笑ましい話が伝えられています。
大内弘世が街づくりをはじめたころ、京都の公家から美しい花嫁を迎えました。
遠く離れた田舎に嫁いだ花嫁はすっかりホームシックにかかってしまい、華やかな都にいたころを偲んでは毎日涙を流していました。
妻思いの優しい弘世は、そんな花嫁をとても可愛そうに思い、彼女のために都から多くの人形職人を呼び寄せて人形作りをはじめ、屋敷中を人形いっぱいに埋め尽くして花嫁をとても喜ばせたそうです。
そのときの人形作りの技術が現在に伝わっているものですが、このような微笑ましい伝説から「夫婦円満の象徴」として贈答品などにも使われ喜ばれています。
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大内人形は何段階もの手作業による工程を経て作られ、完成までにおよそ2ヶ月を要するそうです。
7箇所の製作所から作られた人形の表情はそれぞれ微妙に違うようです。
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1952年(昭和27年)にサビエルの山口来訪400年を記念して建立された「サビエル記念聖堂」を紹介します。
(旧聖堂の写真は下記でご覧ください。)
http://www.city.yamaguchi.lg.jp/kanko/org/kanko_joho/12_3.html

この教会はサビエルの生家があるスペインのナバラ州バンプローナ市(山口市と姉妹都市提携)のサビエル城を模したロマネスク建築の教会で、内部にはサビエルの一生を描いた美しいステンドグラス、正面(祭壇)上部の壁にはサビエルをはじめキリシタン大名や信者たちを描いた壁画、後方上部2階には立派なパイプオルガンが設置されていました。
天に向かって高く聳える2基の塔から毎日15分おきに時を告げる美しいカリヨンの鐘の音が市街に響きわたり、街のシンボルにもなって市民に親しまれていましたが、1991年(平成3年)に火災で全焼してしまいました。
炎につつまれた教会を夜のテレビニュースで見て翌日現場に駆けつけ、跡形もない残骸を目の前に見たときのむなしい気持ちは今でも忘れることはできません。
この聖堂がまだ健在のとき、ここで行われた親戚の結婚式に参列したことがありますが、パイプオルガンと聖歌の生演奏で彩られた荘厳でドラマチックな結婚式に感動したのを思い出します。

消失後、市民などからの熱心な再建運動が起こって各方面から多額の募金も集まり、1998年(平成10年)に近代的な教会に生まれ変わりました。
前の教会と同じ様式のものが建つものと期待していた市民は、近代的に生まれ変わったモダンな教会を見て随分と違和感を感じたものです。
三角形に近い新しい聖堂の姿は、聖書に記された「神の幕屋(テント)」をイメージしているそうで、高さ53mの2本の塔も復活し、懐かしいカリヨンの鐘の音は新しい教会から再び市街地に鳴り響いています。

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