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最終日 僕は 木曜日で 帰る予定だった
でもほんとは もっと残って居たかった 最終日は リーダーに やりきった感が 欲しかったので
一番キツイ仕事与えてくださいって志願した 腰の痛みもきつかったけど どうしてもボロボロに なって帰りたかった ヘドロ出しの仕事だった かなりバテたけど もうこれ以上出来ないって感じに なりたかったので 思いっきりやった ズボンもヘドロで どろどろになった
終了時間に なり やりきったのか?って自分で 考えたけど まだ出来そうな感じがした でも未だに 筋肉痛は 取れず
あれで 良かったって自分で 言い聞かしてます リーダーに 帰るって言ってたけど ギリギリまで
残って手伝いたかったので 翌日の早朝に 送迎の仕事だけして帰りますと伝えた その日の晩 車で 寝てるといきなり地鳴りとともに 大きな余震が 来た
凄く車が 左右に 揺れた 確かに 怖かったけど もっと怖い思いを したのは 余震が 終わってからだった 津波が 来るかもしれないので 大学の3階に 避難してくださいと大声で 叫んでる声が した 僕らボランティアスタッフは 3階に 非難した 3階に 登ると石巻市の町並みが 一望出来た 停電で 真っ暗な町並みを 窓から見てると 町の防災無線で サイレンが けたたましく鳴っていた 「ウゥーーーーー」「津波が 来てます 海沿いの方々は 直ちに 避難してください」「けして海には 近づかないでください」 闇夜に その放送だけが 鳴り響いていた それを 見てて今まで ボランティアした家の方々の顔が 思い浮かんできた どうか 逃げきってくれ あの柱だけしか無かった 家は 潰れてないだろうか? 凄く不安と恐怖だった 心が 張り裂けそうなぐらい 悲しかった 此処の人達は まだ余震の恐怖と戦わなければいけない ほんと可哀想だった まだまだ復興には 程遠い現実 それでも此処の人達は 笑顔で ありがとうなど挨拶してくれる 僕は 一緒に 頑張りましょうしか言えなかった きっと全国の人達が 助けてくれます 同じ地球の子供だから 大丈夫!! 次の日 余震の影響で 緊急車両を 優先する為
ボランティア活動は 全面中止が 決定した 僕は 仲良くなった外人3人を 乗せて石巻市を 出ました 余震の傷跡は 大きく 石巻市から仙台市まで 停電だった 路面も凸凹してた 有名な山田電機の店舗もガラスが 飛び散ってた 終わりの見えない 復興
それでも人々は 確実に 前を 向くしかない 僕は 少しでも力を 貸してあげたかった また戻ってきますって みんなに 言った だから必ず また暇見つけて行きます 頑張れ〜!!東北!! 重たい文面を 最後まで 読んでくれて有難うございました
でも行った限り この現状を 伝えなきゃって思いました でもみんなが 沈み込むと日本の経済も沈み込みます 経済を 回しつつ 何でも良いので 復興のお手伝いを 少ししてあげてくださいね 支援物資で 僕が 行った時に 足りなかったもの (これは 日に日に 変わります) ブラジャー、長靴、ティシュBOX、肌着、野菜など色々ありました 現場では 頑張ってくださいって言うと中には 怒る方もいらっしゃるみたいです 何度も言われてるので 嫌に なってるみたいです だからご苦労様ですや一緒に頑張りましょうって僕は 声かけてました 写真で 見るとどうしても伝わらないのです
現状は もっと悲惨な状況です 今回のボランティア体験談は 3月末から約10日間のボランティア体験の日記でした
被災者の方々に 元気出してもらおうと行きましたが
逆に 僕が 元気もらいました
次の日記は GWに 行ったボランティア体験談 後日書かせて頂きます
長期的な支援 皆様もお願いします |
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始めまして。偶然日記に目が止まってボランティア体験を
読ませていただきました。
本当に悲惨な状況でしたね。
でも地元の方の優しさやアサヒさんの優しさが伝わってきました。
お疲れ様でした。お仕事も頑張ってくださいね。
2011/6/20(月) 午前 6:37
さくらさん
コメント有難うございます
あちらの方に 勇気与えるつもりが 逆に 勇気貰って来ちゃいました
ほんとあちらでは 人の優しさなど毎日沢山の方に 与えられます
2011/6/20(月) 午後 8:34 [ 塗装屋 ]