艮斎先生研究室

安積国造神社社家の三男に生まれた安積艮斎先生に関して調べております。

安積疏水は国家予算の3分の1???

昨今、立場のある方々が、あちこちで、口をそろえて、
「安積疏水は国家予算の3分の1を費やした大事業だった」と語る。

「なぜだろう」と、不思議に思っていた。
そもそも500戸移住の開墾に、国の3分の1の予算を使うというのは変だ。

ネットで調べてみたら、おかしな発信をしているのは、郡山市であることがわかった。

「日本遺産ストーリー」を書いたホームページに、

「大久保利通、安積の地に“夢”を見る」
「明治15年(1882)、約3年で、述べ85万人の労力と当時の国家予算の約1/3を要した水路52.1km、分水路70.2kmの安積疏水は完成した。」

とある。問い合わせ先は「郡山市文化振興課」と書いてある。

ネットで当時の国家予算を調べてみたら、だいたい7000万円であった。疏水は約62万円である。国家予算の3分の1とは、はるかにかけ離れている。

ある学者は、こう言っている。

「62万円といっても、起業公債を使った事業だから、10年返済とすれば、1年単位で言えば、6万2千円となります。国家予算の3分の1というのは、役人がつくった「ほら話」です」

また、こう言っている。

「大久保利通はそもそも夢を追いかけるようなタイプの人ではない。権力者が、自分ができることを現実化したということです。夢といったら、小林久敬を挙げなきゃなりません。大久保の夢があるとしたら、彼は日本を近代国家にするという目標は持っていました。以前はそれ中條!、今度は大久保!、と有名人にすがるやり方はどうかな」

大久保利通は暗殺の直前、たまたま福島県令の山吉盛典と会った。そのときの話が『済世遺言』にまとめられている。そのテーマは明治国家30年の大計画で、『貞観政要』(唐の太宗と家臣たちとの政治の議論を集大成した書物、為政者のバイブル)にヒントを得たものであった。安積開墾の話も少し出てくるが、山吉相手に、「お前は開墾を頑張れ」と励ましたに過ぎない。

「日本遺産ストーリー」には、
「枯渇した原野が広がり、人々は水を巡って争い、雨乞いや豊作の思いを込めた花火を打ち上げ、祈りを捧げていた」
とも書いてある。

安積は蒲生検地で3万石、その後灌漑池を増やして新田開発し、実高は4万5千石もあった。阿武隈川水系から堰上げして導水していたのに、枯渇したとは酷すぎる。「原野」に見えるところも、実は飼料、肥料、薪などの調達の場であった。水を巡る争いは、どこの農民もしていたこと。唐傘行燈花火などは、豊かだったからこそ、花火も打ち上げることができた。

「日本遺産ストーリー」は、真実を伝えようという誠実さがない。日本遺産を取るために、美辞麗句を並べただけのことである。文化庁もこのストーリーを認めたわけだから、国のレベルの低さもついでに露呈された感がある。


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