艮斎先生研究室

安積国造神社社家の三男に生まれた安積艮斎先生に関して調べております。

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艮斎先生に学ぶ会(会長佐久間盛徳氏・佐久間歯科)で、「上州紀行―安積艮斎先生の足跡をたどる旅」を開催し、17名が参加した。

6月24日(日)午前8時30分、安積国造神社に集合、一同旅の安全を祈念して参拝した。

マイクロバスに乗車、上州(群馬県)へ向った。
(株)今川(自動車整備工場)の社長の運転。快適である。

正午 前橋郊外 昼食

午後2時 榛名湖に到着。榛名神社の御神体と言われる湖に、一同、二礼二拍手一礼。

そして榛名神社へ。艮斎が参詣した神社。艮斎の紀行文「東省日録」に奇岩の様子が書かれている。

正式参拝し、榛名神社の宮司さんに懇切なご説明を頂戴した。

神社に最も近い「宮本」という名の土産店が、昔艮斎が一泊したところだそうだ。今は駐車場になっているあたりに屋敷があったという。

東日本大震災では揺れたが、奇岩の状態はほとんど変わらなかったという。

午後3時40分 高崎市の権田、東善寺(小栗上野介菩提寺)を参詣。記念館を見学。
境内には門人小栗公・栗本鋤雲像がある。両者とも艮斎の門人である。

住職村上泰賢氏に、お堂で名講義を頂戴した。
同氏は小栗公顕彰の第一人者で、最近もBSに出演したりと、意欲的に活動されている。

午後6時 草津温泉の大阪屋(艮斎が長男の皮膚病を治すために半月滞在した旅館)に着いた。
老舗の雰囲気である。ご主人の老夫婦も風格がある。

宴会には、大阪屋関係者の中沢山治氏を招いた。同氏からは、艮斎の白根山の文章等を訳すにあたって、メールで現地の景観等のご教示を受けていた。会うのははじめてであった。
 
6月25日(月)早朝、西の河原公園を各自散策。

午前8時30分 大阪屋を出発した。

湯畑の、安積艮斎・佐久間象山等の名を刻す草津来訪の碑を見、記念撮影した。

一路草津白根山へ。濃霧。

しかし、ロープウェイに乗り、登っていくうちに、霧がだんだん晴れてきた。
上に着いた時は快晴であった。

火口を見るためには、少々登山をしなければならない。しかし、艮斎はずっと歩きなのだから、我々は楽なものである。

美しい碧色の湖に感動した。

『艮斎文略続』「登白根山記」の文を思い出しながら、絶景を見た。

下山し、中沢ビレッジで、中沢山治氏の指導により、「草津よいとこ一度はおいで」
の節に合わせて、湯もみをした。

安積艮斎 東省日録より

(榛名に宿泊)
 榛名に至る。日已に下舂す。廟祝小山氏に宿す。居は深渓に臨む。遥かに妙義山を見れば、山色鶻突、已に一抹の遠靄と為れり。妙義より榛名に至る八十里の間、土塊の禹余糧の如き者、野に布くを見る。之を攬らば、軽脆にして砕け易からん。

(榛名神社)
 廾一日、榛名山に詣ず。山下の渓水琤として、老杉蔽翳たり。仰ぐも曦景を見ず。石壁、天に聳ゆる者、二つあり。其の一は巉巉として削成するが如し。其の一は盤據して堂皇の如し。路傍は皆、大石磥嵬にして、人、其の隙より過ぐ。隙は咫を以うること能わず。懍懍として其の圧するを懼る。渓谷の間を俯瞰すれば、巨石数十砰躍し、皆怒態を成す。壮士の臂を攘い相い撲つが如し。骨格奮張して、互いに相い圧して、遜避する者少し。苔蘚之を被る。皴駁愛すべし。崖腹に紅閣有り。其の下に朱欄の橋ありて、長さ二丈ばかりなり。橋の左に奇礓ありて、側らに立つ。大甕を剖るが如く、水涓涓として下に注ぐ。両崖に石壁竦峙す。齗齶甗勝窮まる所を知らず。
 其の西に紅欄翠甍ありて、樹杪縹緲たり。石磴は鱗次して上がる。廟塔門楼、翬飛輪奐として、土木の勝を極む。都下の罕に覯る所にして、此の山の香火の盛んなること知るべきなり。廟左に大石ありて、嶄然として独り聳ゆ。二十丈ばかりにして頭侈きく頸縮む。腰腹宏偉にして、中に巨龕を鑿ち、不動明王像を棲ましむ。甚だ奇怪なり。廟後の磐石、簷阿の如く、十数人を庇うべし。喬杉山に満ち、幽翠人に逼る。径有れば、巓に造るべし。平時は輙ち登ることを許さず。
 磴を下れば清泉觱沸す。掬い飲めば、極めて甘冽なり。万年泉と曰う。碑有り。元文中、崎嶴平君舒撰文す。苔蝕みて悉く読むべからず。渓を泝りて北すれば、二石離れ立つ。高さは二十丈ばかりなり。方なる者、円なる者、隋なる者、累累として相い畳なる。塔上の相輪の若きは、危むきて飛び墜ちんと欲す。覧る者舌を吐く。

(榛名湖)
 渓廻り路転ずること十五里、天神嶺に造る。仍ち是は榛名山中なり。湖有りて周廻三十里、水色沈碧なり。相い伝う、「霊物の蟠る所なれば、旱歳、雨を禜して必ず験あり」と。東岸の一峰、岳蓮に逼肖するは小冨士と曰う。北岸に山高くして偏なるは烏帽岳と曰う。烏帽と並び峙つ者は、冠岳と曰う。西岸の一峰、立石数丈相い倚り、碧玉硯屏に類いするは、硯岳と曰う。皆草有りて樹無し。儼然として天地の一大名園池なり。

白根山を登るの記(『艮斎文略』続)より

 既にして絶頂に至る。一峰巑岏として、刻叨槊すること単楹の如し。其の他の諸峰繚遶たり。池有り。泓然として以て深く、清冽にして掬うべし。池を循りて北すれば、乱峰復た起こり、周匝環の如し。池有り。渺然として以て広く、甚だ温くして浴すべし。大抵の諸峰皆硫気が為に薫蒸せられ、或いは黒或いは赭、骨立して膚無く、絶えて草木を生ぜず、怪奇卓異の状を極む。而して、池水は一冷一熱、咫尺頓に異なる。造物者の詭幻を致すこと、尤も思議すべからず。
 
碓氷嶺を踰え浅間山を過ぎるの記(『艮斎文略』続)より

 川を過ぎ、山路陟り降ること三里、草津に至り、客館中沢氏に投ず。已に燭を秉る。児、文九、始めて遠途を渉り、峰巒の奇秀、道路の険阨、実に墮地以来、未だ観ざる所なり。精神英発して、燈下に士善と山を評し水を批し、談ずること刺刺として已まず。復た平素驕惰の比にあらず。蓋し、山水の秀気、以て之を激発すること有らん。信なるかな、愛子は羈旅せざるべからざることや。此れより、日、温泉に浴す。未だ二臘ならずして、疥漸く瘥に向かう。神気益壮んなり。温泉も亦た霊なり。

「艮斎詩略」より

題上毛草津客舍壁(上毛草津、客舎の壁に題す)  安積艮斎
 
架谷依山連幾家   谷に架し山に依り 幾家を連ぬ
夏寒裘褐換蕉紗   夏寒くして 裘褐 蕉紗に換う
窻昏屋外千峰雨   窓は昏し 屋外 千峰の雨
瓶插巖頭五月花   瓶には挿す 巌頭 五月の花
溫液有靈眞可澡   温液霊有り 真に澡うべし
濁醪雖薄尚堪賖   濁醪薄しと雖も 尚ほ賖するに堪う
曾無一事侵胸府   曽て一事も胸府を侵すこと無し
醉裏題詩點墨鴉   酔裏詩を題して墨鴉を点ず
 昨、白根山に遊ぶに、山中の桜花の初、放に数枝を折りて帰る           *下平六麻

○客舎 旅館。現 草津温泉大阪屋。 ○裘褐 かわごろもとあらい毛織物。寒を防ぐ冬衣。
○蕉紗 芭蕉の一種の蕉麻の繊維で織った布。 ○巌頭 巌のほとり。 ○温液 湯。
○濁醪 濁酒。もろみ。 ○賖 掛けで買う。 ○胸府 心。 ○酔裏 酔った心。
○題 書きつける。 ○墨鴉 下手な書。謙遜の詩的表現。

現代語訳
 谷に架け山に寄り添い、旅館が軒を連ねている。
 夏でも寒く、麻衣を脱いで皮衣に替えた。
 窓辺は暗い。屋外では雨が降り、多くの峰を潤している。 
 瓶に、白根山の巌のほとりで折りとった五月の桜花を挿した。
 草津の湯は霊妙で、実に洗い清められる。
 たとい濁り酒が薄くても、さらに掛けで買うに値する。
 ここでは心を侵すようなことは一つも無い。
 酔い心地で詩を作り、下手な書ながら書きつけてみた。

解説
 この詩は、安積艮斎(一七九一〜一八六〇)の漢詩集「艮斎詩略」(嘉永六年刊)に収められた七言律詩である。天保九年(一八三八)、艮斎は、門人某と長男文九郎とを伴い、碓氷峠を越え浅間山の山腹を通って草津へ行き、半月ほど滞在し、その間、草津白根山を登山した。その時の紀行は、「踰碓氷嶺過浅間山記(碓氷嶺を踰え浅間山を過ぎるの記」「登白根山記(白根山を登るの記)」(『艮斎文略続』所収)として書き残されている。それによれば、艮斎が滞在した宿は、今の草津温泉大阪屋旅館であることが知られる。
 艮斎は幕府の昌平坂学問所教授等を歴任した幕末の大儒である。その門人は小栗上野介、吉田松陰、高杉晋作、岩崎弥太郎、前島密はじめ二、二八二名を数える。

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