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幼い時の記憶・・。こんな感じの食堂で瓶ジュース飲んだな。イスもこんな感じ。
キハや20系の食堂車もこんなイスでしたね〜♪
そういえば昭和40年代のあの頃、全国のあちこちでSLが廃止され、子供からおじさん、おばさんまでみんな無くなるSLの写真を撮るのが流行ってたな。
梅小路入りを控えて、花形機関車C622号機が函館本線で三重連の先頭に立ち、急行ニセコを牽いて大フィーバーから、もうかれこれ46年ですね・・。
よく、カメラ坊やのいるカメラ屋さんに行って、陳列されている欲しかった一眼レフを見るのが楽しみでした。そういえば小学生の頃は、ペンタックスSPFが欲しい少年でした。
フイルムももっぱら、ネオパンSSばかりだったけど、カラーが出始めると、さくらカラーにするか富士カラーにするか、よく迷い、それも12枚撮りにするか20枚撮り(このころまだ24枚撮りは無しでした)にするか。
僅かに、さくらフイルムの方が安かった記憶が・・。
昭和46年頃は、モノクロプリントが10〜15円に対して、カラープリントは50円だったので、36枚撮りは買えませんでした・・笑。 当時、連写はもちろんしませんし、一枚撮るのによくよく考えてシャッターを切ってました。
それも露出計もないカメラだったので露出はバラバラ。露出オーバーで白く飛んだ写真だったりアンダーで
濁った写真になったりと・・カラーで50円も出したものなら大変な出費でした。阪急十三駅の立ち食い阪急そばが一杯70円ぐらいの頃だっだたでしょうか。小遣いの中で写真代を捻出するのが骨だった記憶が残ってます。
日曜日、よく聴いていたラジオ 「不二家歌謡ベストテン」
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