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なにしろ弥生時代の定義からして、米作が始まった事なのだから日本人と水稲との結びつきの深さは尋常ではない。弥生人が白米の美味さを知っていたかは定かではないが、いくら玄米は栄養があると言われようが銀しゃりの味にはかなうまい。しかし、なかなかどうして他の料理とも合うし、炊く以外の調理法で食べても美味いのが米の米たる所以である。 米は野菜だろうが肉だろうが魚だろうが、何にでも合う。例えばカレーライス。シーフード、ポーク、ビーフ、チキンなど日本流にアレンジされて星の数ほどバラエティに飛んでいる。それらと米が絡み合ったときの美味さと言ったらない。オムライスではご飯とケチャップが絡み合い、そこに卵のシーツが乗っかって食事として供される。風呂敷がそもそもの発想ではなかろうが、こんなに日本らしい料理もなかろう。 しかしいくら米の料理であっても、もち米とうるち米とを交配させた現在の水稲には苦手な料理もある。例えばチャーハンがそうだ。日本の米では粘りがありすぎるため、蒸した米を使ったり、うるち米を使ったり、あるいはインディカ種を混ぜたりして店ごとにそれぞれ工夫している。パラパラと一粒一粒が口の中で分かれていく米の美味さは、「ああ、銀しゃりだけが米ではないよな」と思い出させてくれる鮮烈さがある。 思えば日本の米の粘りは、人と人との結びつきを象徴しているようでもあるし、あるいは外国米のそれは、それぞれ個性を象徴しているようでもある。米どうしが絡み合うのも魅力だし、米一粒一粒が個性を主張するのもまた別の魅力であって、そもそもそういう変幻自在な部分が米にはある。あの小さな一粒に古代人が神様を見出したのも頷けようと言う物だ。 これは息子の作文をぱくったものです。原文は以下。 日本人は昔から米が主食です。ごはんのま ま食べてもおいしいですがいろいろ調理して もおいしいです。 米というものはいろいろ野菜や肉や魚とあ います。たとえばカレーライス。シーフード や、ポークや、ビーフ、チキンなどいろいろ 種類もあります。それとごはんがあうことで すごくおいしくなるのです。オムライスもケ チャップとごはんがからみ合い、そこに卵の シーツがのっかって食事に出されるのです。 しかし、いくら米があっても、日本の米で は作れない食べものもあります。チャーハン がそうです。日本のようなネチョネチョした 米では作れません。チャーハンはパサパサし た、外国の米でなければいけません。 そうゆうように、日本の米では作れない、 料理もあるのです。米というのはあの小さい 1つぶでも大きなみりょくがあるのです。 子供の作文には落ちがないというが、 落ちがないのが魅力だ。落ちなんか考えているようでは、つまらない子供になりそうだ。 これで良い。(「不思議だな〜」で終わっちゃう黒柳さんを見習おう。でも大人になったら、落ちを考えようね)
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