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死神博士を演じていた天本英世さんは東京大学法学部を出てから当時の政治に失望して役者になった人で、死神博士を演じていたけれど実際のキャラクターはそれとは反対の、自由主義者であったらしい。権力を嫌う人だからこそ権力者を上手く演じることが出来る、という誰かのTweetをみて、自分のことかなと思った。


自分はあんまり既存の医者稼業が好きではないし、内視鏡検査に情熱を持っているわけではないが、それゆえに客観的に医者という職業とか、内視鏡を見ることが出来て、第三者から見た場合の理想の医者とか理想の内視鏡医を演じることが出来るんじゃないか、と思ったわけです。


ところが自分は医者を馬鹿にしたり医療(特に内視鏡は苦しい、などと)を馬鹿にしたりする人間は嫌いであって、それは馬鹿にする人間はその高みを知らずに評論しているに過ぎないと思うからです。自分自身は医療とは少し距離を起きつつも、それを馬鹿にするような人間を許せないというような矛盾が自分の根幹にはあるように思います。
普段は朝飯を食えとか言っているが、今回は内視鏡の話。

女性が経鼻内視鏡を受けて楽だった、というのを聞いたことが無いので書いておくけれども、
あれは男性向け。
女性は鼻腔が狭いから痛いので受けるべからず。(鼻の穴が大きい自信がある人はどうぞ)
鎮静剤ありで経口で、が正解。

それから上部内視鏡検査を毎年受けなければならない状況など以下の場合以外ない。

1)ピロリがいる上に、除菌もしておらず、かつ、萎縮が中等度以上。(オープンタイプ)
 (本人が除菌を拒否したとかいう特殊なケース)
2)前癌病変がある。癌の治療後。
3)アルコール依存症、肝硬変。
4)除菌の直後。
5)消化性潰瘍治療の直後。
6)その他興味ある病態。

上記ではないのに、毎年受けなさいという医者は、あまり上手じゃない医者で見落としが多いか、すごく神経質か、毎年来いといってもちゃんと来る患者が3割以下の医者か、単に病院の方針。

ポリープ(胃底腺ポリープ)がある、出血がある、浅い潰瘍がある、と言われている人のほとんどは
ピロリ菌陰性である。まずそういう胃の場合には「ピロリがいないので安心を」と説明するのが正解。
次回の検査は患者の性格や自堕落具合、過去のピロリ感染の有無によるけど、3−5年後と指示している。
極論すれば二度と受けないことにしても医療経済的にOK。

ポリープが胃腺窩上皮過形成性ポリープの場合にはPPIを服用させすぎとか、ピロリがまだいるとか、
別の問題がある。胃底腺ポリープか胃腺窩上皮過形成性ポリープかについて言及できない医者に当ってしまったら次回は違う医者を探すべき。ちなみに生検しないでそれらが判別できれば内視鏡医として中の上である。





ここまで自信満々に説明する医者は自分以外には自分の師匠、他には学会でも名物になってる自信過剰の医者が何名かいるぐらいであって出会うことはないだろうと思う。高名ではないのに自信満々であるほうが逆に怖いので、生検の結果を重視してくれるほうがまだ良いかなという気はする。

へその曲げ方

自分は半数ぐらいの患者に、「私は大腸検査をしていませんから」と断っている。
検査をしている横で「やってませんから」と断っているので患者はどう思っているんだろう。
そういう不信感から患者が減ってくれればいい、そう思います。

「お前がどういうときに大腸検査を断ってるのかがわからない」
と父親が言うけれど、ちゃんと基準はある。

基本的に他院に迷惑かける人は断らない。

知能が足りない人は基本的に断らない。(他院でトラブるので)
半径5km以内の人は断らない。
こりゃやばいな癌だな、と一見してわかる人は断らない。
すごい癒着のありそうな人は断らない。(他院では入らない)
癌サバイバーは断らない。
主治医がいい人のときには断れない。
前から約束していた人は断らない。

その約束をぶっちした人、理由もなく早く来た人は断わる。
似てるけど、以前に嘘をついたことがある人は断わる。
主治医がヤブ医者の人は断わる。
「大腸も」と後出ししてきたら断わる。
内視鏡を以前すすめていてその時点で嫌がった人は断わる。(これが実は最大の地雷)
土曜日に来たら基本的には断わる。

こちらからは以上です。

膝の上10cm

疲労感を訴える人の大腿部の太さを測定する。
測定の仕方は、立って膝の皿の上10cmの高さをメジャーで測るのである。

戦後、日本では覚せい剤が合法で、それはヒロポンだったけれども、
それがどう社会に影響を及ぼしたかについて、
真面目に議論した論文を知らない。

ただしそれはドーピングの一種である。
それが良いのか悪いのかはわからない。

生理的には、
人間の能力を伸ばすための時間、
ケアする時間、
それを使う時間はバランスが取れているべきだ。

強制的に働かざるを得ない場合に、
能力を伸ばす時間とケアする時間が足りなくなり、
筋力や、知力が維持できない事になるのは、
たいへん苦痛だろうと思う。

仕事の能力を下げてしまう、というのは解決の一つの方法だろうし、
訓練やケアの効率を上げれば多少は楽になるかもしれない。

躁病の人たちを見ていると、とにかく良く歩く。
あの人達に疲れないヒントをもらうとするならば、
スクワットをして筋力をつけて、プロテインを飲み、
毎日大股で長距離を歩いて水をガブガブ飲み、
あまり服装のケアをせずに、人の気持を推し量る事もなく好きな事をやる、
自分がどこまでそれを達成しているか、を測定するのに、
太ももの太さ、を使うのである。

というような方法もあるかもしれない。

朝飯を食べぬ人々

朝飯を食べないことが色々な認知のずれに繋がる場合がある。
(食べる人には食べる人で「朝食教」みたいな人もいるんだけど)


65歳を過ぎてから医者に対して
あーだこーだと自分の症状を訴えて、
良くならないと不満をぶつける人々がいるが、


例えばアルコール過飲、喫煙などと同様に、
朝飯を食べないという習慣も
その人達がある種の認知のずれをもつだろうと推測する根拠としている。


不定愁訴の多くは、自分で生み出したものである。
十分な知識がない、人格が成熟していない、不安定な生活をしている、
この人はどれに相当するだろう、と推測するときに、
食習慣を聞くのも外来でのルーチンのひとつである。

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