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4月12日14時頃 姫路城撮影のため、姫路城西側の小高い山・男山に登った。 そこには姫路市で一番古い配水地{昭和2年(1927)着工、昭和4年(1929)完成}がある。 その高い石段を登ると、頂上は男山配水地公園となっており、視界が開け、姫路城、好古園や姫路市街が 一望できた。 ここから見る姫路城は姫路城がきれいに見えるスポットと聞いてきたが、桜はあまり見られない。 桜と姫路城の組み合わせには適切なスポットではなさそうだった。 ーーーここからの姫路城は[ここ]をクリックしてください。 石段を登る途中に千姫天満宮と男山八幡宮があり、ここにも寄ってきた。
元和9年(1623)千姫が建立。当時、子供・幸千代を3歳で亡くし、夫忠刻(タダトキ)も病気がちだった。 千姫は姫路城から遥拝し、跡継ぎの誕生と夫の回復を祈願したと伝えられる。 このため、社殿は東向きになっている。平成14年(2002)現社殿に新築されたとのこと。 因みに千姫の略歴は次のとおり 慶長2年(1597)徳川家康の息子秀忠(後の2代将軍)と小督の方(江)の娘として生れる、家康にとって孫娘。 慶長8年(1603)6歳で11歳の豊臣秀頼に嫁ぐ。元和元年(1615)大阪夏の陣により秀頼と死別 元和2年(1616)伊勢国桑名藩主本多忠政の嫡男忠刻(タダトキ)と再婚、後に一男一女をもうける。 元和3年(1617)本多忠政 姫路に転封。 寛永3年(1626)忠刻 没 本多家を去り、徳川家に戻り、髪をおろして天樹院と名乗り、江戸城竹橋御門近くの御殿で余生を送った。 寛元6年(1666)70歳で没し、小石川の伝通院に葬られた。分骨され京都知恩院にも墓がある。
貞和元年(1345)最初に姫路城を築いたとされる赤松貞範が、城の鎮守社として建立、歴代の城主が信仰 した。 社殿前の石鳥居は、正徳6年(1716)のもので、姫路城主榊原政邦が寄進したもの。 武運の長久と家の繁栄を祈願文が刻まれている。 |
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