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旧山陽道を南に少し下ると、周防国衙跡あった。 国衙とは古代律令国家が諸国においた役所。しかし、律令体制の衰退に伴い姿を消したが、周防国衙は鎌 倉時代初期に東大寺大仏再建の造営料国になったため長く存在し、現在まで遺構が残された稀有な例とさ れている。 ただ今見ると、広大な跡地は史跡公園となっているが、遺構保護の盛り土され、めぼしいものはポツリと 建つ石碑ぐらいだった。 石碑は国庁寺(国衙を引き継いだ寺で明治4年(1872)の解体まで存続した)の官人達が安永7年(1860)建て たもので、銘文は次のとおり。 「ああ 古の昔 国毎に庁有り 今や寥々として聞こゆる無し 而して 此庁独り存す 是 豈記せざるべけんや よって謹んで典に拠り古にかんがみて 其の事を 碑陰に書して 以って不朽に伝う」 |
山陽紀行
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